第七話 日々の生活が賄えれば十分

 かつての自身ならいざ知らず、亡き聖女アリシアへの手向たむけで勝手に遺志を受け継いだこともあり、積まれる金貨の枚数は然程さほどの問題じゃない。


(たくさん持っていても重いだけ、日々の生活がまかなえれば十分、か……)


 質素な少女の言葉が頭の片隅を掠めて、色濃く影響されたものだと微かに自嘲じちょうしてから、夫妻の問い掛けに答える。


「人狼公、それに御夫人も… 傭兵というのは信用稼業だ、舌の根も乾かぬ内にエルザとの契約は破れないし、一番の悪い連中に肩入れしてくつがえすのは面白いだろう」


「ははッ、確かに違いない、そっちの方が楽しそうだ!」

「あら、案外と可愛らしい雇い主に惚れているだけ、かも知れませんよ?」


 艶やかに微笑み、何処か楽しそうに尻尾を振る貴婦人に指摘され、狐にままれたかの如く、くだんの吸血姫と顔を見合わせてしまう。


 少々赤面している彼女に戸惑って視線を外すと、今度は何とも言えない表情の狐娘や、くつくつと声を押し殺してわらう黒狼のヴォルギスが視界に飛び込んできた。


「あたしの大事な友達を手籠めにしたら、噛むよ? 思いっきり」

「… 勘弁してくれ」


 威嚇いかくするように牙を見せつけてきた狐娘に辟易へきえきしつつも、挨拶代わりの面通しが終わったのを見計らい、横目で本題を切り出すように促す。


 あくまでも自身は吸血姫に従う傭兵であり、差し出がましい振る舞いを避けるための配慮だったのだが… どうやら、正確な意図は伝わってくれないようだ。


「うぅ、そんなに見詰みつめられても反応にきゅうするわ。屋敷の書斎に籠って書物ばかり読んでいたから、世間一般でいう殿方への耐性がなくて……」


 途中で語尾を濁した美しい吸血姫が身じろぎ、赤黒いドレスに隠された豊満な肉体をき抱いて、伏し目がちに紅い瞳を向けてくる。


 悲しいかな、雄のさがに逆らうことができず、柔らかそうな胸の谷間に意識が吸い寄せられて、人狼公を苦笑させてしまった。


「おいおい、正直な奴だな」


「えぇ、初々しくて微笑ましいですね。ペトラ、今の内に噛んでおきなさい、きっとクラウド殿は手を出しますよ」


 したり顔で根も葉もないことを言い出した夫人のせいで、場の雰囲気が弛緩していくのを修正するため、やや強引に話を引き戻す。


「エルザ、此処に来た目的を思い出せ」

「…… はっ、そうでしたね」


 気恥ずかしそうに咳払いして、居住まいをただした吸血姫が今後の指針について言及すれば、人狼公は戦士長の背後に控えていた者達を下がらせた。


 さらに軍議用の隣室へ移動して、メイド狐が机上に広げた部族国の地図と向き合い、其々それぞれの視線を落とす。


「さて、敵方のベルクス王国軍だが、今は首都を陥落させた後の再編中だ。恐らく、本国から占領下にある北西領へ増援が到着したら、押し出されてくる後発の部隊を待って、再度の攻勢に転じるだろう」


 ちらりと確認するような人狼公ヴォルフラムの一瞥を受けて静かに頷き、国境沿いの都市ラズベルで見掛けた一個旅団規模の軍勢などのことを伝えておく。


「むぅ、人間は本当に数だけ多い」

「それが彼ら種族の “力” なのですよ」


 狐人の母娘が短く言葉を交わす中、ざっくりとした敵戦力をあらわすための駒が手早く並べられて、部族国の中央領に陣取る敵主力を囲む形で三領軍の駒が置かれた。


 一応は包囲状態になっており、個々の戦闘力でも膂力に優れた亜人が有利と言える。ただ、こちらの総勢はベルクス側の半分ほどにしかならず、数的不利によって苦戦を強いられるのは必定だ。


「結局は連携が肝要か……」

「けれども人狼公、今の我々は王を欠きます」


「かと言って、エルザ嬢を含む領主の一人が名乗りを上げれば揉めますよ?」


 しれっと口を挟んだ夫人の指摘通り、各地の領主は種族が異なるため、利害関係を調整する王が不在の状態では統制を取りがたいのだろう。


「特に北東領の蒼魔人族と人狼族うちは反りが合わん。自分達を “高貴なる青い血ブルーブラッドの末裔” とかのたまうくらい、気位の高い連中だからな」


「どうせ最初に攻められるのは黒曜の森人ダークエルフ族だ。そして、各個撃破を許すほど、戦場でまみえた蒼魔人の将兵は愚かしくない」


 すっと伸ばした指先で、俺は一番戦力が手薄な南東領を示して、他の牽制に必要となる予備戦力を残した敵軍の駒を動かす。


 合理的に相手方が動くと仮定するなら、最も確率の高い行動だ。


「確かに定石だけど…… 何か妙案でもあるの、クラウド殿」

「偽兵で時間を稼ぎ、後方の補給線を絶つ」


 図らずも人狼公と吸血姫の軍勢が合流している事から、最も兵数が多いと認知されている状況を逆手に取り、先ずは迂回路で一個連隊を占領下の北西領へ向かわせる。


 他方、居残り組はベルクス王国軍の斥候を徹底的に排除しつつ、大きめに構築した陣地から炊事の煙など広く立ち昇らせ、手勢の減少に気付かせないよう注意を払う。


「もし可能なら領民も動員して、頭数を揃える事は可能か、人狼公?」

「…… 余り気は進まんがな」


「万事整えてから敵勢の動きに乗じて、後方に仕掛けるのですね」

「あぁ、南東領への本格的な侵攻後、少し経った頃が狙い目だ」


 小首を傾げた夫人に頷いて、予測される幾つかの事後的な展開も踏まえた話をめていき… 有効と思える献策の説明を済ませれば、既に夜遅い時間帯となっていた。

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