第29話 自販機前で、女友達と

 菜乃に連れられて事務所の会議室に入ると、彼女はカギを閉めて俺を誘惑した。

 俺はそれに応える形で彼女にキスをする。

 ところが直後に会議室の扉をノックされた。

 扉の前にいたのはなんと瑠理。

 俺は一緒に打ち合わせしようと頼んで誤魔化す。

 瑠理が打ち合わせ用に飲み物を買うというので、会議室に菜乃を待たせて瑠理のあとを追った。


「口についたグロス、拭いたんだね!」


 俺がひとりで自販機までくると、瑠理が購入したカップコーヒーを手渡してくる。


 彼女は会議室で俺と会ったとき、すでに俺の唇についたリップグロスに気づいてた。

 ここに来る前に菜乃が気を利かせて拭いてくれたが、瑠理にはしっかりバレていたのだ。


「聞いてくれ、瑠理!」


 もう言おう。

 瑠理だって同じ事務所のVtuberなんだ。

 だったら、彼女には隠さなくていいだろう。


 俺と菜乃の関係を秘密にするのは、万が一菜乃が身バレしたときに彼氏がいると広まるのを防ぐため。

 Vtuberに男がいると判明するのは致命的だから。

 事務所が菜乃へ隠すように指示したが、リスクを考えれば俺も当然だと思う。


 でも瑠理は、同じ事務所のVtuber。

 彼女は他人を蹴落とす性格じゃないし、そもそもすでに事務所を支える看板Vだ。

 ならば、俺と菜乃の関係を伝えてもいいんじゃないか?


「実はさ、俺と菜乃は――」

「やめて健ちゃん! その先は言わないで欲しい」


 俺が菜乃との関係を打ち明けようとしたところで、言葉をさえぎられた。


「え? いや、大事な話だから」

「お願いだから! その先は話さないで欲しいの!」


「瑠理? おまえ一体どうしたんだ?」

「聞かなければ知らないんだから。それなら、まだ少しくらい許されるんだから!」


 彼女の声は少し抑揚がおかしく早口だった。

 いつもの明るく元気な声とは違う。

 まるでここが最後のとりでとばかりに、必死に訴えていた。


 瑠理は俺が何を言おうとしたのか気づいた?

 俺の唇についたリップグロスで察したのか?

 でも、なんで俺と菜乃のことを聞きたがらない?


 意味が分からず瑠理を見ていると、彼女は自販機から2杯目のカップコーヒーを取り出して俺に渡した。


「あのね、健ちゃん。お願いがあるんだ」

「お願い? 急にどうした?」


 瑠理は休憩用の簡素な椅子を俺の方に向けた。


「この椅子に座って待ってて欲しいの。3杯目ができたら一緒に戻ろう?」

「ありがとう。もちろん待つよ」


 少しの時間も待たず、俺だけで戻る気はないよ。

 でも椅子に座るほどかな?


 俺は疑問を感じたが厚意に甘えて、両手にカップコーヒーをひとつずつ持ったまま、ゆっくり椅子に座った。


 すると瑠理は、なぜか椅子に座る俺の正面に立って、コーヒーを持つ俺の両手を左右へ広げさせた。


「え? 何?」

「動くと左右のコーヒーがこぼれちゃうからね。だから、じっとして」


 瑠理が正面に立ったまま、今度は俺の足を両側から押して、ひざを揃えさせた。


 な、何??

 彼女、何してんだ?

 っていうか顔が近いんだけど……。


 瑠理は黙っていれば美少女。

 黒く長い髪に小さな顔で、目が大きく童顔だ。

 アイドルに匹敵するルックスで、菜乃とはまた違った幼い可愛らしさがある。


 美少女の顔があまりに近すぎて緊張する。


「あ、あの、瑠理? どうしたの?」

「会社の会議室なのに、カギかけて悪いことしてたんだよね? でも、特別に黙っててあげてもいいよ」


「すまん。助かるよ」

「でも、そのかわり……」


「そのかわり?」

「健ちゃんが、黙って受け入れるのが条件」


 瑠理はそう言いながらワンピースの裾を大胆にまくり上げると、なんと俺のひざにまたがって上に座った。

 それも向かい合わせに!


 驚いて下を見ると、目に飛び込んだのは大きく開かれてあらわになった瑠理の内もも。

 まくり上げたワンピースの裾からは、幼く小さなふとももが伸びて、俺の足を両側から可愛く挟んでいる。


 さらに瑠理のふとももとお尻の感触が、彼女の体温と共に俺の足に伝わってきた。


 こ、これワンピース越しじゃない!

 瑠理がパンツで直に俺の足にまたがってる……。


 そして、これで終わりじゃなかった。

 彼女は黒く長い髪を耳に掛けると、ゆっくり俺に顔を近づけてきたのだ。


「え、あ、いや、ちょっと……」

「黙って。動くと横で持ってるコーヒー、こぼれちゃうよ?」


 キ、キスだ!

 瑠理は俺にキスをしようとしてる!

 う、嬉しいけど、ダ、ダメだ。

 俺には菜乃がいる。

 彼女を裏切ることになる。

 でも、両手にカップコーヒー持ってるし、ひざの上に瑠理が座っていて逃げられない。

 顔を横にそむけるしか……。


「私、頑張って勇気出してるんだよ。ね、健ちゃん。そのままでいて。会議室のこと黙っててあげるから。ね? お願い……」


 俺の考えを見透かしたのか、小声で釘を刺された。

 お願いする瑠理の声がすごく必死で、本当に勇気を出しているのが伝わってくる。


 彼女は俺の肩に手をかけると、涙が溜って潤んだ瞳をゆっくりと閉じた。

 静かに瑠理の唇が近づいてくる。



 瑠理は会議室でのことを黙ってると言ってくれた。

 なのに、俺が彼女のお願いを聞かなくていいのか?

 瑠理のお願いは脅迫だけど、会議室で悪さをしたのはまぎれもなく俺自身な訳で。

 そして――。



 頬へキスされた。



 薄く小さな唇が俺の頬に優しく触れた。

 頬に瑠理の唇の柔らかさを感じる。

 それから瑠理はゆっくりと顔を離した。


「今日はほっぺたで許してあげるね」


 彼女は教室では見たことがないほど顔が赤く、俺を見つめる目からは好意があふれていた。


「今のは私が脅迫して襲いました。だから健ちゃんは悪くないんだよ」

「瑠理……」


「このことは、ふたりだけの秘密だからね? そうじゃないと、会議室のことバラしちゃうかも」

「わ、分かった」


「さあ、3杯目のコーヒーもできたみたい。会議室へ持ってこうね」


 彼女はいつもの調子に戻ると、顔を傾けてにっこりと微笑んだ。


 それから、会議室へ戻り打ち合わせをした。


 3人でナノンの配信ネタを考えて流れを確認する。

 菜乃も瑠理もこれまでの経験はだてじゃなかった。

 特に瑠理。

 カワイイ総合研究所でツートップを張る実力は本物で、彼女の人気を支えるのがトークだけじゃないのだとよく分かった。


 菜乃と瑠理は仕事の話だからか集中していたが、ただ、どことなく互いによそよそしい感じがした。


「じゃあね。健ちゃん、姫ちゃん、また学校で! 私、お姉ちゃんと帰るから」


 瑠理が俺とは何もなかったように手を振る。


「ああ、また明日」

「瑠理ちゃん、今日はありがとうね」


 帰りの電車で菜乃は言葉少なだった。

 心の優しい彼女のことだ、きっと瑠理に隠しごとをしたので罪悪感があるんだろう。


 俺はというと、大好きな菜乃へ、ついにキスをしたことと、仲のいい瑠理から頬へキスされたこと、その両方が頭を駆け巡っていた。


 恋人の菜乃には隠しごとをしたくない。

 だけど瑠理からは、頬へのキスを誰かに明かせば、会議室の悪さをバラすと脅迫された。

 もう、このまま俺の胸へ仕舞うしかないのか。


 家へ帰ってからも、興奮と混乱が入り混じった状態で、朝方まで寝付けなかった。



 翌日、寝不足で学校へ行った。


 昼休みになり、昼食を食べるために屋上へ集まるが、菜乃と瑠理は普通にしている。

 動揺を引きずる俺と違い、さらっと切り替えるふたりに感心した。


「今日は事務所でナノンの配信を観るよ」

「え? 来てくれないの?」


 菜乃の態度があからさまに不満そうだ。


「姫ちゃんたら、そんなこと言って! また健ちゃんと放送事故しちゃうよ? やめといたら?」


 瑠理から当然のツッコミが入った。

 うっかりでナノンの配信にカルロスが登場したら、もういい訳すら難しいだろう。


「それに俺、勉強しなきゃいけないことが結構あるんだ。栗原専務との打ち合わせもあるし」

「打ち合わせは昨日したんじゃないの?」


 なおも菜乃は不満そうだ。

 いや、話の途中で菜乃が俺を連れ出したから、また行くハメになったんだよ。

 栗原専務から呼ばれたら断れない。


「じゃあ、私も協力したあげる。事務所行こっと」


 瑠理はにこにこしてるが、菜乃がものすごく不満そうに俺の袖を引っ張る。


「……断って欲しいな」


 俺にだけに聞こえるような小声だ。

 可愛くてキュン死しそうなる。


 でも、断るって言ったって……。


「いや、瑠理だって配信だろ? 今日は大人しく家にいろって。俺も真剣に勉強したいから」


 それを聞いた瑠理が膨れた。


 確か今は楽しい昼飯タイムだったはず。

 なのに左側の菜乃からは、配信で一緒にいないのが不満なようで睨まれてる。

 右側の瑠理からは、事務所へ一緒に行かないのが不満なようで睨まれてる。


 一緒に居たがる美少女ふたりに挟まれて、俺に逃げ場はなかった。


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