第9話 幼馴染みの攻撃ターン

 俺は優しくて可愛い菜乃と付き合うことになった。

 だけどそれは、秘密の関係。

 菜乃がVtuber聖天使ナノンを続けていくには、万が一身バレしたときを考えて、恋人がいるのを隠す必要があるからだ。


 翌朝。

 幼馴染みのカレンを家へ迎えに行くこともなく、真っすぐ駅へ向かう。

 本来なら死ぬほど落ち込みながら登校するところだが、俺の足取りはむしろ軽い。


 なぜなら、菜乃とメッセージで《おやすみ》と《おはよう》のやり取りをしたからだ。


 カレンと登校してたときは、朝は忙しいから送ってくるなと言われてたし、寝るときはたまに返事をくれるくらいだった。

 それが昨日の夜も今朝も、菜乃の方からメッセージをくれた。


 我ながら単純だ。

 こんなことが嬉しくてしょうがない。

 今夜は俺の方から先に《おやすみ》を送りたい。

 でも、時間が早すぎたら変だし、結構タイミングが難しい。


 そんなことを考えながら電車を降りて駅から出ると、聞き慣れた声で話しかけられた。


「あら、健太じゃない。おはよー」

「カレン!」


 俺の身体は無意識にこわばった。

 いつもならカレンからのメッセージへ大急ぎで返信するのに、何件もほったらかしたからだ。


 だが、てっきり不機嫌かと思った彼女は、朝から笑顔だった。

 というか、俺を見てニヤニヤしている。


「あっれー? 姫川さんがいないじゃない??」

「ああ、彼女は……」


「やっぱ、見栄張ってたんだー。どうせ彼女に頼み込んだんでしょ? 私の前で優しくしてくれって!」

「そんな訳ないだろ」


「ハイまた強がったー。現にあなただけじゃない?」

「いや、だからこれには事情が……」


「聞きなさいっ。健太が私に謝らないから、私、本当に別の人と一緒に登校することにしたのよ!」

「え?」


 帰り際、三浦とあの剣幕でケンカしていたんだ。

 てっきりカレンもひとりだと思ってた。

 三浦と仲直りしたのか?


「ハーイ、彼が私と一緒に登校する前田君でーす!」


 カレンが合図すると、うちの制服を着てそばに立っていた男が急に寄って来た。

 妙に痩せててチャラい感じだ。


「あ~俺、前田っす。で? おまえ、誰? 美崎ちゃんとはどんな関係? あ、元彼だったり?」

「中村だ。おまえこそカレンと、どんな関係だ?」


 前田を見ながら、三浦はどうしたのかと思案する。


「気にしないで前田君。彼、単なる幼馴染みなんだー。前はカワイソーだから私が一緒に登校してあげてたんだよ? でも残念。今日はおひとり様なんだってー」

「へえ、そりゃ残念だ。カワイソ~になぁ、中村君」


 俺はよく知らない前田に挑発されたが、カレンの言動から三浦の次の男なんだと理解できた。


「カレン……。ああ、俺と登校しないのはもう分かったよ。前田君、カレンをよろしくな」

「え、健太!? あれ? 何で!? ちょっと健太ー! あんたそれでいいの? 私ー、違う男と登校しちゃうんだよー?」

「よかったぜ、美崎ちゃん! 幼馴染み君からお墨付きが出ちゃったし。さぁ、ふたり仲良く学校行っこうぜ~」


 カレンは困惑し混乱しているように見えたが、徐々に怒りの表情に変わる。

 彼女は辺りを見回すと、口の端を上げて悪い笑みを浮かべた。

 そして、急にさっきよりも大声をだす。


「健太ー! 私ね、超悲しー思いしたんだよ? メッセージの返信もくれず、全部無視なんてヒドイよー! 幼馴染みの私にどうしてそんなに冷たくするの?」


 カレンが大声で酷い扱いを受けたと訴えたのだ。


 人通りの多い駅前で、しかも今は通学時間。

 学生にとって幼馴染みというワードは、かなりインパクトが大きいようだ。

 周りにいた同じ学校の生徒たちが、みんな何ごとかと足を止める。


「あれ、うちの制服じゃないか。朝から修羅場か?」

「幼馴染みに酷いことしたんだって」

「え? 男として最低だな。相手、幼馴染みだろ?」

「それなのに謝んないで、連絡も無視らしいよ?」

「ありえないだろ?」

「私、男の顔覚えとこ。あ、写真の方がいいかな?」


 マズい!

 やじ馬が完全に誤解してるじゃないか!

 急に表情が変わったと思ったら、カレンはこれを狙ったのか。


 これ、相当怒ってるよな?

 だからこんな仕打ちをしてくるんだ。


 そもそも、俺にはもうカレンへの未練がない。

 なので、カレンから俺への直接ダメージはゼロ。


 だけど、人の多い駅前でこんなに注目されてしまった。

 これじゃ、まるでさらしものだ!

 悪さをして女性に愛想をつかされたんだと、大勢の人に誤解されてしまう。

 学校で、いい笑い者になるじゃないか!


 いくら直接ダメージはゼロでも、間接ダメージがとんでもなく大きくなるぞ。


 ……しかし困った。

 今さらどんな説明をしても、周囲の人からは取り繕ってるようにしか見えないだろうな……。


 く、くそ……。

 悔しいけど、これじゃ黙って謝罪するしか……。


 俺があきらめかけたそのときだった。

 急に後ろから声をかけられる。


「私、もう黙っていられないから!」


 つい昨日に聞いた女性の声。

 張りがあって艶やかで、それでいてかすかに甘いそんな声だった。


 その声だけで俺の鼓動が少し早くなる。

 ゆっくり振り返ると、理想の彼女がそこにいた。


 菜乃がこの場に乱入したのである。


「な、菜乃」

「おはよう、健太。昨日は凄く嬉しかったよ。……そして、昨日はどうも、美崎さん!」


 俺の名は優しく、カレンの名は少し強めに呼んだ。


「あ、姫川さん!? え、ええー!? なんでなの?」

「わおっ、姫川さんじゃんか!」


 カレンが面食らっている。

 前田の方は声に驚きと喜びが入り混じっていた。


「ちょっと、菜乃! 目立っちゃマズいだろ!?」

「健太に誤解が広まるの、私は我慢できないのよ」


 菜乃が俺をかばうために、こんなやじ馬の多いところに出てきてしまった。


「あのー、姫川さん?? 健太に頼まれてフォローしたのって、昨日だけじゃないの!?」


 菜乃とカレンが向き合って話すので、徐々にこの場の空気が女子ふたりに支配されていく。


「え~? ナニナニ? 美崎ちゃんはさぁ、実は姫川さんとなんかモメてたりする??」


 前田が空気を読まずにへらへらと話しかけたが、彼女たちが揃って無表情の冷たい視線を送ったので、奴もさすがにすぐ黙った。


 それから菜乃は、真っすぐにカレンを見つめる。


「あのとき私、手は抜かないって言ったわよね?」


 その声は、凛としてるのに少し甘くて艶やかな響き、そして確かな意志と覚悟が感じられた。

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