65 番外編(篤視点) キスの練習相手は義妹で好きな人①


 嵐のように激しい感情に突き動かされる。


「わっ、私が好きなのは……」


 俺に押さえつけられて動けない非力な義妹を見下ろす。灰色の制服に濃い赤色のネクタイ。肩で切り揃えられた髪は緩く波打っている。あどけなさの残る顔立ち。小さめでふっくらした唇が震えながら紡ごうとしているその先の言葉。聞かなくても分かってる。


 ああ。こんな事になるのなら、もっと早く伝えておけばよかった。

 皮肉に思えて自分を嗤う。生まれて初めて、沼田君を邪魔な存在だと感じた。


 この問題から目を逸らしていた自分が悪いのかもしれない。可愛い義妹をいつも直視できなかった。もし迫って振られたら、もうこの世界に俺の居場所はない。ずっと問題を先送りにしていたから今、こんな事態に陥った。


 妹が本当に沼田君を好きになってしまった。


 彼のよさについて、ついつい熱く語りがちだった自分が愚かしい。普段の生活では俺だけしか知らない秘密として優越感に浸っている部分もあった。でも妹にだけは語り尽くした。


「沼田君と妹がくっついて結婚すればいいのに。そうしたら俺と沼田君は親族になれる!」


 ……そんな野望を持った事もあった。けれど妹が沼田君を選び俺から離れていく未来を想像した時ゾッとした。自分がただのシスコンじゃないと理解した。


 口元に笑みを作って優しい口調で咎める。


「美緒? 練習中は俺を好きになる約束だっただろう?」


 悲しげな目をして下唇を噛む妹を冷たく眺める。「相手が沼田君じゃなくて残念だったね」心の内で嘲笑する。


「私が好きなのは……お兄ちゃんだよ」


 妹は不満を主張するように顔を横に向けたけど、その呟きは俺に阿るものだった。

 これでいい。小さく笑う。

 妹が沼田君を想っていても絶対に近付けさせない。

 拗ねた妹の横顔に手を伸ばす。ふっくらと柔らかい頬を指でなぞった。


「俺も美緒が好きだよ」


 口にしたら睨まれた。詰ってくる。


「ねぇ、お兄ちゃん。一体何人の人に好きだよって言ったの?」


 おかしな事を聞かれた。

 思い返したら、この人生において愛の告白をしたのは美緒にだけだ。


 過去「一井さんの事が好きなんだ」とクラスメイトに言った事があるけど一井さんも嘘だって分かってたし、全然気持ちはなかった。恩人である沼田君の好きな人を好きになるとかありえないし。


 ほかの女の子と付き合っている時は俺に「好きだ」と言わせる事は俺の負担になるからと女の子たちの間でタブーだったし。


 答えないで考えを巡らせていた俺に妹は嘲るような笑みを見せた。


「嘘が上手だね」


 美緒の両手に頭を引き寄せられた。重ね合う前になって打ち明けられた。


「キスの練習は今日で最後にするね。明日、沼田さんに告白する。今までありがとうお兄ちゃん」


 その内容に驚いて妹を見つめた。少し寂しそうな柔らかい眼差しで見返してくる。


「お兄ちゃん? どうし……」


 沈黙していた俺に美緒が問い掛ける。彼女の手首を掴んだ。


 どうでもよくなった。美緒が沼田君を好きだとしても。俺たちが兄妹である事も。今まで必死に我慢していたのが急に馬鹿らしく思えた。


「キスの練習がちゃんと終わるまで告白はしない方がいい。こんなんじゃ相手が沼田君であってもすぐに振られるぞ」


 優しく諭すように嘘をついた。美緒はあからさまにショックを受けた顔をした。

 俺の出鱈目な言葉も信じてくれる。天使だな。


「いいの! 振られても……もうお兄ちゃんには関係ないでしょ?」


「関係あるよ」


 不安げに見上げてくる瞳を睨み告げた。


「俺を好きになればいいのに」





 義妹のキスの練習相手になった。



 十月のある夜。

 俺にとって天地がひっくり返るような事件が起き、この茶番は始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る