55 番外編(柚佳視点)*3 歪み



「はーい! あら、海里君!」


 玄関の戸を開ける音に続いて、母が口にした訪問者の名前にドキリとする。



「こんばんは。柚佳いますか?」


「うん、ちょっと待ってね。柚佳ー! 海里君よー!」


 母に呼ばれた。何でか少し嬉しそうな声で。焦る。



 ちょっと待って。今、とってもだらしない格好してるのに!



 本当、着れればいいやという思考で何も考えず、部屋のタンスから適当に出した青っぽい縦縞柄のショートパンツといつも家で着ている大きめの白いTシャツ。どちらもくたびれていると認識していた。


 何より、ショートパンツがショートなせいで足が膝上まで見えているので恥ずかしい気持ちになる。


 呼ばれて出て行かない訳にはいかず……一瞬だけ顔を合わせ待っていてほしいと伝えた後に急いで着替えを済ませようと考えた。


 部屋を出て玄関へと赴く。戸口の外に立つ海里が目を丸くしているのが見えた。慌てていたので早口になる。


「海里、どうしたの? ちょっと待ってて着替えるから少し待ってて!」



 あーあーあーあー。見られた。油断してた。海里が訪ねて来てくれたのは嬉しい。しかし女の子として敗北したような複雑な気分を味わった。


 部屋に戻って悔やむけど仕方ない。待たせているので急がないと。


 取り敢えずとタンスから外用のジーンズと水色のパーカーを引っ張り出して着替えた。




「お待たせ! 家の中ごちゃごちゃしてて汚いから、外で話そう!」


 外で待ってくれていた海里に声をかけた。海里が遊びに来てくれると前もって分かっていたら掃除をしておいたのに! 日頃から部屋を綺麗にしていない自分の悪習慣を恨む。



 海里の提案で小学校の近くにある公園へ行く事になった。


 昏く、闇へと移ろう空。車も通るけど広くもない道路には帰りを急ぐような学生や子供たちも歩いていたりして人通りが割と多い。


 海里は話があると言っていた。何だろう。



 一つだけ思い当たる事があった。



 美南ちゃんの事だ。



 海里の近くを歩きながら一瞬、立ち止まりそうになる。すごく公園へ行きたくない。それでも重たくなった足を動かして彼の後に続く。


 さっきはたまたま「キスの練習相手」になってもらう流れになりはしたけど、海里が好きなのは美南ちゃんなのだ。付き合ってないからと言って本命じゃない子とキスをするのは何か違うと思ったのかもしれない。



 どうしよう。せっかく手にしたチャンスを、このままでは失ってしまう。





 あ……っと、いけない。考えに気を取られて歩みが遅くなっていた。


 俯くのをやめて顔を上げた。前方に海里がいないと知って焦った。だけど不安に感じたのはほんの瞬き程の間で、隣を歩いていると気付きホッとした。


 先に行ってしまったと思った。


 また性懲りもなく泣きそうになって下唇を噛んだ。もう高校生なのに。必死に涙を抑える。



 何で隣にいてくれるの? 幼馴染だから?



 彼を見つめた。虚ろな目で黙ったまま私の視線にも気付いていない。何を考えているの?




「ねえ」



 美南ちゃんの事だったらと思うといても立ってもいられなくて、無意識に呼び止めていた。



 ――美南ちゃんじゃなくて、私を好きになって。



 強く願った。でも口には出さなかった。微笑んで誤魔化した。



「私、負けるのが嫌いなの、知ってるよね?」


 ゆっくり目を細めて海里に尋ねた。


「お、おう」



 彼は話の意図が読めないと言いたそうな戸惑いの窺える表情で返事をした。……私ばかり好きなのはつらい。



「意地悪されたら当然仕返しするの、知ってるよね?」


「おっ……おう」



 ……他の子を好きになるなんて許せない! 絶対に私を好きになってもらう。それで、泣かせてやる。




「そういう事だから、覚えてなさいよ!」




 怒りが湧いてきて少し強めに言い置いた。私だけ泣くのは不公平だ。

 怒って不細工な顔を見られたくないので海里より先を行く。



 公園に着いたら美南ちゃんの事を告げられ、やっぱりキスの練習はしないと言い渡される可能性が高い。せっかくの足がかりを見す見す失う訳にはいかない。


 既に、昨日まで認識していた以上に。自分が卑怯で狡い奴だと自覚していた。


 ……今更、汚れるも何もない。




 決意した事があった。

 海里の関心を繋ぎ止められるんだったら、利用できるものは利用する。



 幼馴染である事も、桜場君も、海里の優しさも。



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