第5話

 目の前に座るアグライア・ウェルナーの語る言葉を聞きながら、知らぬ間にこんな事になっているのかと呆れ返る思いでいた。


 漆黒の髪に美しい菫色の瞳をした華やかな顔立ちの美人だが、着ているものは襟首が水で濡れたままのサイズの合わないメイド服だし、髪の毛はタオルで拭いたもののびしょ濡れのまま。

 頭からワインや井戸水をかぶっていたら、施した化粧が落ちて酷い有様となった事だろうと思ったが、そもそも舞踏会に参加するというのに、化粧の一つもしていなかったらしい。

 下級使用人と同様の荒れた指先、割れた爪、艶のない髪に栄養状態の悪い顔色を見て、生家でどれだけの目に遭ってきたかという事が容易に察せられる。

 しかも、あろうことかこの国の公太子自身に冤罪をふっかけられて、罪人として捕らえられるかどうかの瀬戸際といった所だというのに、

「チキショウ、辺境伯なんか会った事もないのに紹介なんか出来るわけもないのに、無理矢理馬車に乗せやがって。哀れに思って金をくれるって言うなら、その場で恵んで放逐すりゃあいいのに。そうしたら、とりあえずベンの実家に行って匿ってもらって、それから職場探しでも何でも出来たというのに・・・」

淑女らしからぬ言葉でぶつぶつと文句を言っている。


 僕はダーフィト、僕の所有するミグロス商会は、ブザンヴァル王国に本店を置く世界を股にかける大商会としても有名だ。

 そこの会頭だと言っているのに、彼女の頭の中には『僕を頼る』という発想がとりあえずのところ無いらしい。

 僕は金もあるし、見た目もやたらと優れているから、これ幸と僕の懐に入って僕に寵愛を受けながら甘い汁を吸ってやろう等と思うのが普通だというのに、

「なんで連れてきやがったんだ、ベンの所に放置してくれていいのに、そもそもお前、私と何も関係ないだろうに。お金と一緒に何処か安全そうな場所に落っことして行ってくれないかな」

と、貧乏ゆすりをしながら、時々舌打ちをしているのがこちらの方まで聞こえてくる。


 僕もついでとばかりに捕縛されても馬鹿馬鹿しいので、ホーエンベルグ公国に置いた支店にも寄らず、そのまま馬車で港まで行くと、今夜出発予定のうちの船へとアグライアを連れて乗り込んだ。


 船室へと足を踏み入れたアグライア嬢が、真っ青な顔をすると、

「まさか・・伯爵令嬢から船乗り専用の娼婦へと転職決定ですか?」

と、意味不明な事を言い出した。

「やっぱりお母さんの言う通り、知らない人について行かなきゃ良かった!」

 怯えて壁に張り付くアグライアに対して、無害をアピールするために両手を肩の位置まで上げると、

「君が言う通り、エルンスト公太子が今夜のうちに君を捕縛しようと動くかもしれないから、うちの商船で国外に出ることにしたんだよ」

と言ってにこりと笑ってみせる。


 あれ?普通、この笑顔を見せればどんな女性でもうっとりするんだけどなぁ。

 アグライアはうっとりとせず、威嚇する猫のような様子で言い出した。


「ど・・ど・・どこに連れて行こうっていうんですか!」

「ブザンヴァル王国だよ」

 公国の隣国となるブザンヴァル王国まで陸路で移動すると十日は旅程がかかる事になるのだが、海路を使えば今の季節であれば三日で移動する事が出来る。

「国内だと足がつくから、ブザンヴァルの娼館に私を売るつもりなんですね!」

 令嬢を売る前提で僕が動いていると思われているのだな。


「御令嬢、僕は商人だが、娼館への人身売買などには手をつけていないんだよ」

 だから、安心して今はこの部屋で休んで欲しいと思っているのだが、

「そう・・ですよね・・・貴方は商人なのですよね・・商人は己の利益が無ければ動かないもの。価値を示す事が出来るのなら、ある程度の出資をしてもらう事も出来るって事で・・・」

と、ぶつぶつと言い出した。


 今夜開催された舞踏会で婚約者に婚約を破棄されて、その婚約者を異母妹に奪われて、尚且つ冤罪だというのに捕縛されるかもしれない恐怖と戦っているわけだから、突然の国外への移動で頭の中が混乱しているのだろう。

「とにかく、王国に到着するまではこの船室でゆっくりと休んでいてくれ。侍女を呼んでおくから、身支度を手伝ってもらうといい」

「いや、私、とりあえずは何でも一人で出来るので」

「頭からワインをかけられたんだろう?井戸水で流したとしても、まだきっとベトついている。湯を運んでもらうから綺麗にしてもらいなさい」

 僕はそう言うと、扉の外で控えていたウルスラを呼んだ。

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