ウォット・ユー・ビリーヴド・イン 6

「くぅっ……はっ!?」


 魔力を流し込んで視神経を強引に鎮静化させると、もう工場の中に春谷はいなかった。

 しかし百万ワットの輝きを発生せしめた膨大な魔力が彗星のように尾を引き、春谷がどこへ行ったのかを示していた――工場の裏手にあるだ。そこへ繋がるてっがぶち破られており、魔力の尾が外へ向かって伸びている。

 満里奈は決断的に駆け出し、ひしゃげたゲートをくぐってへ出た。するとそこにも春谷はいない! 既に相当遠くへ逃げていってしまっているのだ。魔力の尾が伸びていく西の方向を見やると、物凄い速さで運河沿いの通路を駆けていく春谷が700メートルほど先に見えた。

 満里奈もその身に秘めた魔力を励起。アズールの光の魔法陣を前面に展開しながら全速力で追いかける。

 魔法陣に三つの光点を灯し、魔法のエネルギーを高密度収束。半永久的に周囲の熱を奪い続ける小さな超次元領域を形成し、極低温のレーザーとして撃ち放つ!


「止まれぇっ!〈ストレイトレイン・フリーズ〉ッ!」


 三条の青い光が音よりも速く大気を裂く!

 一発目と二発目は外れた。いずれも春谷の手前側の地面に着弾し、氷の柱に変わって砕け散った。

 だが三発目は命中した! 春谷の左足を氷に包み、通路の舗装面と結びつけて前のめりに転倒せしめる……地面とキッスだ!


「うぶふぉおッ!?」

「ふぅーっ」


 かくして満里奈はさほどの苦もなく逃走者との距離を詰める。

 そして弱ったカマキリみたいに両手をビタビタさせている春谷の25メートルほど前で立ち止まると、情け容赦ない決着の一撃を準備し始めた。

 魔法の杖を掲げて最大限に魔力を励起し、大気中の窒素分子をその意志の支配下に置いていく――窒素を瞬時に凝華させることであらゆる物体を氷に閉ざす必殺魔法、〈モーメントニトロ・フリーズ〉だ。

 出力を最大に設定し、出来る限り多くの窒素が春谷を閉じ込めるよう調節していく。多ければ多いほど氷は強固なものとなり、春谷の魔力、体力、そして気力をも凍てつかせるものとなる。

 程なくして春谷の身体を覆う大気が青ざめた魔力光をまとい始める。残る工程はその魔法の名を詠唱コールするのみ……!


モーメントニトロ・フリ――」

「〈フォトンバスター〉ッ!」

「――ッ!?」


 詠唱コール不可能! 詠唱妨害インターセプトだッ!

 春谷はうつ伏せのままレーザー魔法を乱射した! 満里奈は反射的にしゃがんで回避! 励起していた魔力は掻き消され、〈モーメントニトロ・フリーズ〉は不発に終わってしまう……!

 そのかんげきを突いて左足を滅茶苦茶に動かし、春谷は力任せに氷の足枷を破壊! さらに一瞬運河の方を見やると、通りがかった中型無人輸送艇トラックに飛び移った!


「ああっ……!? くっそぉ!!」


 満里奈もすかさず後続艇に飛び乗って追いすがる!

 そして操舵室の屋根の真上、レーダーマストのすぐ目の前に着地した瞬間――足元のこうはん越しに中年女性の悲鳴が聞こえてきた。

 何ということか、有人操艇だったのだ! 中型以下の輸送艇トラックでは絶滅して久しいはずの!

 ……満里奈は一瞬極めて強い戸惑いを覚えたが、すぐに思考を切り替えて防壁魔法を行使。魔力のバリアをふね全体に張り巡らすと、舷窓スカッツルから操舵室を覗き込んでノックした。

 操舵席に座っていた中年女性操舵手が恐る恐る舷窓スカッツルを開ける。


「巻き込んでごめんなさいっ、前の輸送艇トラックを追いかけてもらえませんか!?」

「ななななななんでよォッ!?」

「事件なんですお願いしますっ!」

「あっ、はいぃ……!」


 操舵手は歯をガタガタ言わせながらも前を見た。満里奈もそれを見て視線を春谷に向け直す。

 すると春谷も満里奈が追いかけてきているのに気が付き、ふねを光のバリアで護りながら自身の頭上に魔法陣を浮かべた。

 射撃魔法が来る! 一方の満里奈はあくまでふねの防護に専念することにし、バリアにより多くの魔力を回した。


「わたしが魔法で護るから、あなたは真っ直ぐ前だけ見ててッ……!」

ジャッジライト――ステラァァッ!!」


 詠唱コールとともに春谷の魔法陣が空中高くへ舞い上がっていき、満里奈のふねの直上で巨大化して。

 超新星じみた閃光を放ち、高エネルギーの魔力光線を雨のように降り注がせてきたッ!!

 即座に防壁魔法〈フロスト・オブストラクション〉が反応し、青い氷の魔法陣で全ての光線を押し留める。……ギシギシと、軋んだ音を立てながら……!


(なんて魔力量……! 魔法使いとしての活動は、つまり経験はほとんどなかったはずなのに! 地の素質がハンパじゃないんだ!)

「やるねえ、この魔法を防ぐなんて!!」


 春谷が100メートルほど先から大声で呼びかけてくる。


「一応切り札なんだけどなそれ!! こうもサラッと防がれるとちょっと自信失くしちゃいそうだよ!!」

「だったらもう投降してくださーいっ!!」

「それはダメだねえ!! 僕は宇宙飛行士なんだよ!! たとえ刀折れ矢尽きるともこの計画だけは投げ出せない!! それは仲間たちを見捨てることになるからだ!!」

「どういうことですかそれはーっ!!」

「今こうしている間も!! 仲間たちがあのの彼方で!! 僕の迎えを待っているんだ!! せっかく光を超える方法を、量子変換機動クァンタムコンバートマヌーバを完成させることができたのに、こんなところでみすみす諦めるわけにはいかないんだぁぁッ!!」


 上空の魔法陣が一際まばゆい輝きを帯び、隕石めいた超高エネルギーの一撃が降り注ぐ!

 満里奈もまた気合を入れ直し、氷の護りを一層硬いものとする……! そして!

 光線と魔法陣が激しくぶつかり合うッ!!

 二人の全力の魔法が互いに押し合い、せめぎ合い、打ち消し合う。光線は氷の魔法陣に細かいヒビを入れ、氷の魔法陣は光線を打ち砕いて弱めていく。

 魔法のパワーは同等らしい。

 よってこの勝負を決するものはただ一つ、“根性”である。

 相手より根性のある方が勝つ!


 …………満里奈は両足で踏ん張りながら、春谷を鋭く睨みつけた。

 これまで尊敬の眼差しを向けていた、かつて宇宙の最前線にいた男を。


(全部わたしの予想通りだった……。わたしの憧れた宇宙飛行士・春谷望海は本当にもういない。……それ自体は別に構わない。わたしが勝手に残念な気持ちになるだけだもん。だから別に構わない、けど)


 けど。


(だとしてもやっぱりこれはないよ。だって、それでほんとに仲間たちと再会できたとして……? ? 無理だよそんなの。無理に決まってる。だから――)


 だから。


「――その計画は意地でも止めるッ! やぁぁッ!!」

「ッッッ!!!」


 春谷の光線を打ち砕く!

 瞬間的に魔力を注ぎ込み、氷の魔法陣を敢えて自爆させることで!

 そして春谷が怯んでいる隙に大声で指示を出す、下で操舵輪ステアリングを握っている女性操舵手に!


面舵一杯ハード・ア・スターボード!!」

「は、面舵一杯ハード・ア・スターボード!!」

「〈ゼットレイン・フリーズ〉ッ!!」


 艇を右に曲げさせながら再度の極低温レーザーを三発同時に発射!

 その軌道はイナズマめいたジグザグを描き、春谷の意識を撹乱、命中する!

 一発は春谷の足元に! もう二発は艇尾の喫水付近だ! 海水もろともプロペラが凍てつき、程なくして逃亡艇の行き足は止まる……!

 満里奈は春谷のふね艇首オモテへ飛び乗り、今度こそ決着をつけようと試みた。だが彼は!


「まだまだぁ! 破ッ!!」


 己の足に光線を打ち込み、またしても足枷を破壊した!

 そして逃亡! 今度は運河からへ向けてだ! ライムグリーンの作業服がネオとよの暗い路地裏へ消えていく……!

 満里奈もそれを追ってへ飛び移――る前に、自分を乗せてくれた艇に素早く魔法をかけた。左舷の舷窓スカッツルに白い結露で『ごめんなさい ありがとう』と浮かび上がるように。それからネオ豊洲のフロートへ飛び移る。


 春谷は背後の満里奈を〈フォトンバスター〉の乱射で牽制しながら走っていき、やがてとある廃ビルに駆け込んだ。

 電気が止められ、エレベータもエスカレータも動いていない真っ暗なそのビルの階段を、春谷は勢いよく駆け上がっていく。満里奈も負けじと階段を登る。時折飛んでくる光線を〈フロスト・オブストラクション〉で弾きながら。

 ……そうしているうちに。




「ッ……!?」

「もう逃げられませんよ、春谷さん」




 必然、二人は屋上に辿り着いた。

 安全柵もない、手入れされずに朽ちかけているビルの屋上。

 街明かりが星光のように降り注ぐその場所に、春谷は追い詰められた。

 満里奈は魔法の杖をぐっと握り直し、春谷に鋭い戦意を向ける。


「何もかもお終いです。あなたの計画は終わるんですっ!」


 春谷もまた魔法の杖を構え、満里奈に視線を向け返してくる。あくまでも抵抗を続けるつもりなのが明らかに分かる。

 しかし彼に勝ち目がないのもまた明白であった。魔法の実力は満里奈と互角。総合的な消耗度合いも満里奈と同等。そして根性は満里奈の方が上である。

 ここで決戦に臨んだとして、春谷が勝つ可能性は限りなくゼロに近い。

 ……そのはずなのに。


「く、くくくっ」


 春谷はどういうわけか、まだ不敵な笑みを浮かべ続けていた。


「何がおかしいんですか?」

「いやね、ここでお終いだなんて、随分と僕も見くびられたものだなと思って」

「なんですって?」

「君さ、宇宙飛行士に一番大事な能力って何だか分かる?」

「…………?」


 突然の問いかけに当惑した満里奈が少しだけ首を傾げていると、春谷は作業服の胸ポケットに手を突っ込んで何かを探り始めた。


「知性や体力? 仲間との協調性? ……そんなものはぶっちゃけた話、どうでもいい。というよりも本質ではない。じゃあ宇宙飛行士の本質とは何か。それは『何でもいいからとにかく生きて帰ってくること』。これに尽きるんだ。そしてそのためには、ミッション中起きたアクシデントに対処する技能と、、要は慎重さが必要なんだよ」

「………………………………」

「事前準備とは想定しうることを想定し尽くし、その対策を施しておくこと。起こりうることは何でもだ。たとえば今なら、ANNAに計画を嗅ぎつけられて、工場を強襲されることとか――」

「……!」


 ポケットから“何か”を引っ張り出す。

 それは折り紙のような正方形のモノが貼り付けられた、ナックルダスターのような物体で。

 春谷は“それ”を杖と反対の左手に装着しながら、得意げにニヤリと口角を上げた……!


「――あるいは、こうして逃げ場のなさそうな場所に追い詰められちゃうこととかねえ!」

「!? まずッ……!」


 彼の言わんとした真意を察し、満里奈は反射的に魔力を励起する!

 だが遅い! その瞬間には既に春谷は走り出しており、満里奈の横を通り過ぎようとしていた!

 彼はビルの屋上を突っ切ると一切の迷いなくそのまま飛び出し――高さ50メートルの空中へ飛び出し、左手を前に突き出した! すると!

 ナックルダスターの正方形がばさばさ言いながら展開し、白い二等辺三角形の翼となって、彼を中空に浮かしめたではないか……!? “それ”は軽量微細な特殊カーボン繊維で作られた手持ち式簡易滑空機ハンドグライダーだったのだ!

 ハンドグライダー。最大速力は自転車レベル、機動性に至ってはほとんど皆無! 実際紙飛行機のほうがマシと言っても過言ではない代物であるが、今この場面においては最悪の一手でもあった。何せ満里奈にはのだから……!

 そう! 満里奈は空を飛べる魔法も、空を飛べる道具も持ち合わせていないのである。つまりこれ以上追いかけることができないのだ。

 おまけに春谷は元エースパイロットの経歴を持つ。魔法使いや宇宙飛行士である以前に熟練した航空従事者なのだ。

 翼を駆ることにかけてはいちじつならざるちょうがある――そんな人間の手にかかれば紙飛行機以下の産業廃棄物だって化けるものだ。実際彼はもう造作もなく海風に乗り、既にネオ豊洲のビルの谷間に悠然と飛んでいってしまっていた。弘法は筆を選ばないのである!


 満里奈はどうしようかと考えた。ここまで追い詰めておいてみすみす逃すなど論外だ。

 だが打つ手はない。いっそ自分も氷の魔法で即席グライダーを作ってみるかとも思ったが、上手くいく可能性がプランク長ほどもないのが目に見えていた。

 そんな姑息な手段が通用するほど地球の大気圏は甘くないのだ。


(でも、それでも……!)


 ならばやってみるしかないのか!? インスタント魔法グライダーを……!

 満里奈はもうにっさっも行かなくなって杖を構えた。かくなる上はそれしかないのだと腹を括って。


 ……しかし、そこから魔力を励起しようとした丁度その時。

 腰に装着した思考通信機を通じて、脳内に直接。

 “彼女”の声が響いてきた。


【満里奈、そのままビルから飛び降りて!】



§



【誓っ!】

【捕まってた人たちの安全は確保できたよ。今から援護する! だからそのまま飛び降りて!】

【うんっ!】


 誓に言われるがまま、満里奈はビルの屋上を蹴り出して仰向けに落下した。寸分の躊躇ためらいもなく。

 ともすれば満里奈が唐突に正気を失ってしまったかのように映るかもしれない。しかしそうではなく、これは至極冷静な戦術的判断と園寺誓おさななじみへの信頼に基づく行動である。

 小さな背中に地球の重力加速度がかかり、自由落下運動を開始せしめる。

 さっきまで立っていた屋上がどんどん遠くなっていき、風が髪をなびかせ、次第に歩道の舗装面が近づいてくるのが肌感覚で分かる。

 背中の一点がぞわぞわと粟立ち、衝突の寸前――視界の端で火花が弾けた!

 ビリビリと肌がかすかに痺れ、落ちていく身体が受け止められる。

 そして愛刀のつかを口に咥え、その黒ずんだ刀身を魔力で帯電させている黒髪の少女……園寺誓が、満里奈の顔を覗き込んでくる。


「誓っ」


 魔法の磁力でビルの谷間に浮かぶ誓は、その腕で抱きとめた満里奈に無言で頷きかけると、両脇のビルに繋ぎ止めた磁力線のロープを“った”。

 すると二人の身体が水平方向の加速度を持ち、ふんわりと進み始める。

 速度は着実に上がっていき、37km/h20ノット46km/h25ノット、そして56km/h30ノットにまで到達する。そのまま春谷の飛行経路をトレースし、ネオ豊洲の大水路メインストリート上空を飛んでいく。

 程なくして小さな白の三角形が見えてくる。誓がまた思考通信で言う、


【満里奈は攻撃に集中して。それ以外のことは全部私が引き受ける】


 と。満里奈はそれに頷きで応え、杖を真っ直ぐ春谷の方へ向けた。

 残った魔力を最大限に励起。春谷のハンドグライダーに照準を合わせ、大気中の窒素を自らの意志のコントロール下に置く。

 白い翼が青ざめた光を放つもやに包まれ、その周囲の気温が下がり始める。

 春谷も満里奈の攻撃に気づいて振り返り、魔法の杖を向けて反撃してくる。〈フォトンバスター〉が弾幕めいて乱射され、満里奈の魔法を妨害せんと襲いかかってくる――だが、当たらない! 誓のまとった強い魔力電磁場がバリアとなり、光線に干渉して打ち消したのだ。

 それでもなお〈フォトンバスター〉を乱射し続ける春谷。彼の周りの大気はその青ざめた光を強めていき、ついに!

 満里奈が詠唱コールする!


「凍てつけっ!〈モーメントニトロ・フリーズ〉ッ!!」

「なっ――――」


 その瞬間!

 春谷の身体はハンドグライダーもろともに凍りつき!

 真っ白な氷塊に変わって、ネオ豊洲の大水路メインストリートへと墜ちていったのであった……!




 …………これで決着だ。

 今度こそ、本当に終わった。

 宇宙飛行士・春谷望海の5000光年航海計画は、その幕を下ろしたまま、ついに始まりを見ることはなくなったのである。

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