ウォット・ユー・ビリーヴド・イン 3

 そして翌日、日曜日。まだ夜明け前の午前4時。

 早起きした誓と満里奈は、日課の早朝自主訓練を終えようとしているところだった。

 メニューはこうだ。まず学生寮から7キロほど走ってネオだいの臨港レインボー公園へ向かい、そこで基礎トレーニングと組手を行う。それが済んだら今度は往路とは別のルートで走って帰る――今はその最後の部分、つまりジョギングでネオ台場から戻ってきたところである。

 白みがかってきた東の空に背を向け、肩を並べて二人で走る。二人以外に人はおらず、またふねも全く走っていない。運河沿いに軒を連ねる飲食店はいずれもまだ閉まったままで、街全体がさながら凪いだ海のように静まり返っていた。

 寿司屋、居酒屋、居酒屋、蕎麦屋。その隣にはラーメン屋。韓国料理屋がそれに続いて、橋を渡ると中華料理屋。誓の心理的商売敵だ。

 よく目立つドラゴンの看板を掲げたその店をちょっとだけ睨みつけながら左へ曲がると、遠くの方にまた運河が見えてくる。このと学生寮のとを隔てる運河だ。幅は約50メートルで、橋はこの先にはない。

 だが誓はそこへ真っ直ぐ向かっていく。自主訓練の最後の仕上げに、50メートルジャンプして飛び越えるのだ。魔法使いとしての脚力で。

 スピードを少しずつ速くしていく。助走をつけながら足に魔力を集中させる。

 あそこを飛んだら美味しい朝ごはんが待っているのだと念じ、決断的なる最終加速をかけ――――――!!




「誓ストップ!!」

「ッッッ!!!???」




 ――――――ずに止まる。

 つんのめりそうになりながら急制動をかけて振り返ると、その原因を作った張本人こと満里奈は少し後ろで足踏みしていた。走るペースを乱さないためである。

 誓がそこまで戻っていくと、満里奈は眉を八の字にしながら言った。


「ごめんねびっくりさせて。でもね、ちょっと見過ごせないものを見ちゃって」

「見過ごせないもの?」

「ほら、あれ」

「うん……?」


 満里奈が指で差した方へ誓も視線を向けてみる。

 するとそこには神社があった。石で出来た鳥居と玉垣、それに木造の拝殿からなる小さな神社が。

 一見どこにでもあるような普通の神社だ、が、しかし……が誓にもすぐに察せられた。

 それは。


「っ、血がっ……!?」


 そう! 血だ!

 境内の石畳に血溜まりらしき赤いものが見えたのである……!

 誓は歩道のガードレールに足をかけて水路を飛び越え、神社の石鳥居をくぐった。満里奈もその後をついてくる。


 ……果たしてその赤いものとは、実際三つの血溜まりであった。

 境内の石畳の上で三角形をなしている。そのうち隣り合っている二つのところには人の前歯らしきものが落ちており、それらの血痕がこの石畳へのキスマークであることを雄弁に物語っていた。

 残り一つの周りには特に何も落ちておらず、先の二つとは出来た原因が違うようであったが、その代わりがほんの僅かながら感じられた。

 本格的な魔法とまではいかないまでも、魔法使い特有の超身体能力や超生命力を発揮したあとに遺る、ごく微弱な魔力の“圧”が。


 ……もちろんこれだけでは、何も詳しいことは分からない。

 二人が高度な専門知識を持っていればまだしも、現時点ではまだ一端の訓練生に過ぎないのだから。

 一体何がどうしてこういう状況が生まれたのか、それは専門家を頼らなければ分からない。

 だが一方で、そんな新米ニュービーの二人でも。


((ここで何かよからぬことがあったのだけは分かる))


 そうは言っても、蓋を開けてみたら全然大したことのない事件かもしれない。

 東京コロニーでは日常的に起きているような些細なことに、今回はたまたま魔法を使える人物が関わっていたというだけの取るに足らないことかもしれない。

 しかしとんでもない事件に繋がっているという可能性もまた、否定はできない。

 そして事件の予兆をみすみす見逃すか狼少女候補生になるかだったら、二人は断然後者を選ぶ。

 だから。


「満里奈、このこと教官に連絡しよっか」

「うんっ」


 ……というわけで、誓は右耳の統合情報端末IDで血痕の写真を撮影し、それを添えて自分たちの教官――ふかがわなつ1佐にメールを送った。

 そしてただ自分(と満里奈)が狼少女呼ばわりされるだけで事が片付いてくれることを祈りながら、また二人で走り出して寮へ帰った……。



§



 一方、その頃。


「……………………ん」


 与太者たちに危うく犯されそうになり、謎の中年男性にその場を救われ、かと思えばどういうわけか殴られたあの女性は、自分がどこか見知らぬ場所にいることに気がついた。

 見渡してみると、そこはどうやら町工場の中のようであった。使い道のよく分からない大きな機械が壁際に並べられている。天井はそれなりに高く、床面積もそれなりに広い。

 自分はその広い空間の真ん中に座らされていた。手足は結束バンドでパイプ椅子に縛り付けられており、身動きはほとんど取れない。口も粘着テープで塞がれている。

 先程自分を襲おうとした与太者たちもまた、同じように拘束されていた。意識は未だ戻っていないようだが。

 そして自分たちをここへ連れてきたのであろうあの中年男性の姿は、どこにも見当たらなかった。

 が、しかし。


「おー、おはよう」


 程なくして二階から降りてきた。

 新しい作業服に身を包んで、やはり半笑いで話しかけてきながら。


(これは一体何なんですか!? 何をするつもりなんですか!?)

結束バンドそれきつすぎない? 痛かったら言ってねちょっとだけ緩めるから」

(何なんですかって聞いてるんです!!)

「あんまり暴れないほうがいいよ、食い込んで痛いよ」

(このテープを剥がして!!)

「…………『何をするつもりなんだ』と、言いたげな顔だね」


 その男は女性の前にしゃがみ込み、彼女の顔を上目遣い気味に見上げた。

 女性は静かに一度頷いてみせた。

 男は深く頷き返すと、先程までとは打って変わって、至極真面目な声色で語り始めた。


「それはごもっともな疑問だ。インフォームド・コンセント……理解を伴う合意。君たちも人間である以上人権を持ち、それが侵されることはあってはならない。まあそうやって言いつつ僕はいま盛大に君たちの人権を踏みにじっているわけだけど、だとしても、最大限の配慮はして然るべきだと考えている」

「……………………」

「だから君たち全員が目を覚まし次第、僕が君たちをどうするつもりなのか詳しく説明しよう。今は簡単に一言でまとめる。僕はね、君たちを――」


 そして首から下げた細いチェーンを外し、その先に取り付けられたものを女性の目の前に掲げた。

 それは。


「――仲間たちを家族の元へ帰すための、踏み台にしようと思っている」


 ある女の名が刻印された小さな金属札。

 すなわち、認識票ドッグタグであった。

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