ウォット・ユー・ビリーヴド・イン(君が信じてたこと)

江倉野風蘭

ウォット・ユー・ビリーヴド・イン 1

 時に、西暦2050年。

 日本国海上首都・東京コロニー市の治安は、はっきり言って最悪だった。

 スリや万引きなどといった軽犯罪から、強盗、強姦、放火に殺人、麻薬の三密(密造・密輸・密売)、挙句の果てにはテロ行為。ありとあらゆる犯罪行為が絶えず行われており、長期的に見て減少する見込みは全くない。

 例えばの話、内務省がこの年の春に公開した資料によれば、平成7年に起きた強制わいせつの認知件数は『国全体で』4000件程度だったが、それからおよそ半世紀経った現代では『東京コロニー市だけで』1000件近く認知されているという。つまり一日に2人か3人は被害に遭っている計算だ――人口五百万人の東京コロニー市だけで、である。

 もちろん警察もただ手をこまねいているだけではなく、人員の増加や監視体制の強化など様々な手を打ってはいるのだが、悪党どもの物量にはまだまだ追いつけていないのが現状だ。


 だから今夜も事件が起こる。

 7月も半ばを過ぎ、世の中が夏休みというものに突入した、この蒸し暑い夜にも。

 とある繁華街の付近に佇む小さな神社の境内で。


「~~~……! ~~~ッ……!!」


 一人の年若い女性が四人の男たちに囲まれ、くぐもった悲鳴を上げていた。

 その口は粘着テープで塞がれており、声を出しても意味がない。また手足をばたつかせて抵抗しようにも、腕は手錠で、脚は男たちの腕力で動きを封じられていた。

 要するにもう詰んでいた……残念ながら。

 残された選択肢はただ一つ。このものどもが満足するまで、ひたすらカラダを弄ばれ続けることだけであった。


「ほらほらもう泣くのやめなって。無駄に疲れるだけだよ泣いても」


 顔の右横にしゃがむ与太者が頬をぺちぺち叩きながら言った。


「ただちょっと股開いてじっとしてればそれでいいんよ。それしか求めてないんよ。分かる?」

「~~~……!!」

「分からん? なんで?」

「~~~……!!」

「大体さあ、風俗嬢でしょ? 毎日のようにやってるでしょこういうこと。ただそこに金があるかないかしか違いなんてないじゃんねえ」

「~~~……!!」

「まあいいや。おい、ハサミ」


 与太者がそう言って手を差し出すと、反対側にしゃがむ与太者がカバンを探り、ハサミを取り出して「ほい」と渡した。

 ブツを受け取った与太者はそれを彼女の顔前でひらひら見せびらかすと、「じゃあ服切るよ?」と律儀にも予告してくる。ドブのように濁った瞳で、彼女の顔を覗き込みながら。

 彼女は首を横に振った。明確な拒絶の意思を提示した。先程からずっとそうし続けているように。

 だがハサミはそれにも関わらず、彼女のブラウスの襟元に近づけられてくる。彼女をこの与太者どものオモチャにするための、最初の一歩として。

 彼女を犯すための第一段階として!


 ……救いなんてものはそこにはなかった。神も仏もいないのだ。

 だから彼女はもう、首を横に振ることも、声を上げることも、何もかもやめにしてしまった。

 そしてだらりと全身の力を抜き、彼らのなすがままになろうとした。その方がより楽だから。

 与太者の持ったハサミがブラウスに届く。刃の根本の方でしっかりと布地を捉えて、繊維を、じゃきりと――――!!




「おー、楽しそうなことやってるねえ!」




 ――――切ってしまわない!!


『!!!!!?????』


 その場にいた全員が鳥居の方へ視線を遣った。

 今まさに全てを諦めたばかりの彼女もだ。

 すると、そこには。


 ……緑色の作業服に身を包んだ、一人の中年男性が立っていた。


 彼は手に何も持たず、ただ鳥居の下に立っていた。体型はそれなりに屈強なようだったが、その立ち姿はどこか力なく、呆然と立ち尽くしているようにも見えた。実体のない亡霊のような印象すら纏っていた。顔を隠す夜の闇がそのイメージをより強いものにしている。

 しかしその視線だけは確かに彼女へ、そしてそれを取り囲んでいる与太者たちへと向けられていた。

 何であるかは分からない、しかし明確な、何かしらの感情を伴って……!


「いいねえ、神社で女性に乱暴かい。親の愛情を受けずに育ったの?」


 男性は半笑いで言いながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 与太者たちも立ち上がり、彼の方へと向かっていく。


「だったら何だよ?」

「いやあ、いかにも家族とかいなさそうな見た目してたから、つい」

「だったら何だよォォ!!」


 与太者の一人が掴みかかろうとする!

 危ない! …………しかし!

 男性は力の抜けた姿勢のまま、彼の手首を何の気なしに掴み返していた……!

 そのまま腕を外側へひねり、関節に負荷をかけていく……!


「ぁぁッ……!?」

「いつもこの四人でつるんでるの? 他に友達は? 恋人とかは?」

「っ、うるせ――ぅあァァァァあああっ!?」


 男性はその与太者の腕を引っ張った。

 肩を脱臼させられたのか、与太者は不自然に腕を垂らしながらその場にへたり込んでしまう――その側頭部にキツいローキックが入り、彼は意識を失った。


「「ぅ……うおォォォおおおお!!!???」」


 それを見た他の与太者二人が突っ込んでいく! 半ば恐慌状態になりながら!

 そしてかわるがわる殴りかかる、だが――男性は手慣れたように受け流し、反撃をお見舞いしていく。与太者の攻撃はまるで当たらず、男性の攻撃だけがヒットする!

 何度殴りかかっても当たらない。さながら子供でも相手しているかのように避けてしまう。

 男性の攻撃だけは全てが当たる。さながら拳を吸い込ませていくかのように当ててしまう!

 ……そうして与太者たちが疲れ果てると、男性は彼らの髪を雑に掴み、神社の石畳に熱い口づけベーゼを捧げさせた。二人はうつ伏せのまま動かなくなった。


「オイ……」


 残るはハサミを持った与太者だ。

 リーダー格の彼はじっと様子を伺っていたが、とうとうハサミを鳴らしながら動き出した。

 男性がそちらを振り向くと、与太者はハサミを持った腕を引き絞り――!


「調子乗ってんじゃねえぞコラァァ!!」


 ――男性の腹に突き刺した!


「うっ」


 赤黒い血がそこから溢れ、石畳にボトボトとこぼれ落ちる……!

 さすがの男性もこれにはたまらず、がくりと膝から崩れ落ちてしまう。

 与太者はその様子を見ると、「ははっ」と笑ってハサミを投げ捨てた。

 そして女性を抱え上げて神社から逃げ去ろうとする、だが!


「「!!!???」」


 男性が与太者の足を不意に掴んだ!

 与太者は勢い余って転倒し、女性は彼の腕から投げ出される。

 一方の男性は立ち上がると、上体を起こした与太者の顔を見下ろしながら、作業着のボタンを上から順番に外し始めた。

 男性が作業着を脱ぎ捨てて、その腹を晒すと――




「……すごいねえ。




 ――そこにあるはずの刺し傷が、綺麗さっぱりなくなっていた。

 まるで最初からなかったかのように!

 確かに血は出ていたのに……!


「は? ……がッ」


 困惑を隠せない与太者の顎をつま先で蹴り上げ、男性は彼の意識を沈めた。


「……………………ふぅー……」


 かくして男性は四人の与太者を打ち倒してしまった。

 あと意識を保っているのは男性自身と、彼を見上げているこの女性だけだ。

 男性は女性の前にしゃがみ込むと、彼女の口を塞いでいた粘着テープをそっと剥がした。

 ……そんな彼の表情は、優しげに両目を細めた微笑であった。


「あ、あ――ありがとうございますっ!!」


 神や仏は実在している。

 彼女はこのとき本気でそう思った。神社の拝殿を背にして微笑みかけてくるその男性の顔を見て。

 この世は案外捨てたものではない。神も仏も実在するし、本当にピンチの時は助けてくれる。今まさにそうしてくれたように。

 だから彼女はお礼を言った。何度も何度もお礼を言った。

 額を石畳に擦り付けるようにしながら。


 ……その男性は女性の感謝をひとしきり受け止めたあと、こう言った。


「それはいいんだけどさ、あなたもこんな時間に一人でほっつき歩いてるってことは、やっぱり家族とかいないんだよね?」

「ありがとうございま――えっ?」


 女性が違和感を覚えて顔を上げると。

 そこには目を細めたまま拳を振り上げる男性の姿が

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