第40話

「クソッ! どうしてこうも私がはばまれなければならないんだ!」

 ボロボロのスーツ姿な鑪場たたらば 八雲やくもは、研究所の惨状さんじょうを目の当たりにして、強く壁を叩きます。

 秘匿していたはずの研究所は、設備が破壊され、収容していた幾人かの人間がいなくなり、警備の吸血鬼も地にしていました。

 意識のない警備員を忌々いまいましげに八雲は見つめます。

「なんの為に薬まで渡したと思っているんだ……使えない無能共め!」

 八雲の悪態へ応える様に、研究所内の電話から着信音が鳴り響きます。片足を引きり電話までたどり着くと、八雲は受話器を手に取りました。

「……もしもし?」

「あら、戻ってたのね八雲さん」

「……っ!?」

 声を聴いて息を呑む八雲と対照的に電話の主は柔和な口調で語りかけます。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない。それとも話すのが久々だからかしら?」

「何故君が……こく!」

「寝たきりのはずじゃないのか、とでも言いたげね八雲さん」

 自分の言いたかったことを当てられ、八雲は口をつぐんでしまいました。無言を肯定と受け取ったのか、先程とは変わって電話の主、いばら 琥は冷たい声で続けます。

「私、10年前に言ったはずよ。はくや珀の友達に手を出したら、あなたと言えど容赦しないって」

「……」

 八雲は何も喋りませんが、その表情には苦悶くもんが見えます。

「別にあなたの目標を否定するつもりは無いわ。私だって、始祖様を復活は吸血鬼が生きやすくなる方法の1つだとわかっているもの」

「なら、君m「いいえダメよ?」

 琥の否定が八雲をさえぎります。

「始祖様の件は私達が成しげる目標であって、子供達を巻き込むものじゃないの。八雲さん、少しは考えてみて?」

「……何をだ」

「子供は親の操り人形じゃないのよ?」

 一呼吸し琥は続けます。

「あなたがどんな目的を持っていようと、子供は宝。犠牲にするべきでは無いの。あかねちゃんの件だって、私が知らないとでも思ったかしら?」

「……君だってわかっているはずだろう。我々の様な存在が、今この時代でどれだけ淘汰とうたされているのかを!」

「えぇ、もちろん」

「ならば何故理解しない! お飾りの鑪場なんぞではなく、始祖様を目覚めさせることが、消えく我らの希望だと。犠牲を払ってでも成し遂げる価値はある! 君もそう思わないのか!?」

 八雲の問いに、電話口から大きな溜息ためいきが返ってきます。

「八雲さん、私さっきも言ったわ。始祖様の復活は、方法の1つでしかないの。あなたは1つの考えに固執し過ぎている」

 八雲はギチリと歯を喰いしばり、うなる様に声を荒げます。

「君が私……鑪場にそれを言う資格があるのか!」

「私が荊の名を持つからよ、八雲さん」

 そう言い切る琥に対し、八雲は何も言い返せませんでした。自分達の持つ苗字の役割を理解していたからです。

「このままだと、あなたは鑪場の名を剥奪はくだつされるでしょうね。もう少し立ち振る舞いを考えた方が良いわ」

 琥がそう言うと、電話はバキンと音を立てます。八雲は壊れた電話を投げ捨てると、血まみれの拳で再び研究所の壁を強く叩きました。



 研究所が荒らされてから2週間程経った頃、1人の男が深夜の海岸沿いを歩いていました。ボサボサの髪と剃られていない顔の髭に、Tシャツにジーパンといった姿は、誰も彼を鑪場八雲と認識しないでしょう。彼がいつもしている様な貼り付けた笑みはなく、不衛生な顔はとても不機嫌に見えます。

 八雲は一先ずの間身を隠し、始祖復活へと繋がるキッカケを求めていました。自分がまだ鑪場八雲でいられる内に何かを成さない限り、長年掲げてきた始祖復活は叶わないからです。

 八雲はふと立ち止まり、今しがた自分の歩いてきた住宅地の方向へ向き直ります。

「血の匂い……」

 打算的な思考があったのか、それとも本能が血を求めたのか、理由は八雲にしかわかりませんが、彼は血の発生源へと駆け出します。

 八雲は300m弱の距離をわずか数秒で走り切ると、血まみれの少年の前で立ち止まりました。

 少年の周囲にはひしゃげた自転車と、壁にぶつかって大破したトラックが1台。今は周囲に誰も居ませんが、人が集まってくるのも時間の問題でしょう。

 八雲はしゃがみ込み、少年の首元へ手を当てます。かろうじて少年に息はありますが、このまま吸血しても吸血鬼の仕業と世間に知られることは無さそうです。

 ところが、八雲はピルケースを取り出し、カプセル錠剤を少年の口へ捻じ込むと、少年を抱えて現場を去ってしまいました。貼り付けた様な薄気味悪い笑顔を浮かべながら。



 業務を切り上げ就寝しようとする荊琥に、スマートフォンが新規メッセージの通知を知らせてくれます。

「あら? ……八雲さん、反省できたのかしら」

 電話を通じての会話以降、グループ企業の社長でありながら音信不通となった自身の夫に、琥は微塵みじんあきれることなくメッセージアプリを開きます。そしてすぐ様、大きくな落胆をみせます。

『私に代わる、新たな鑪場を用意した』

 八雲からの、意見を曲げないメッセージが送られてきたのは、琥が理事長代理となる前日のことでした。

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