第10話 花露

豊蕾フェンレイ……そこにいるガキは王族だな」

 龍翔ロンシャンを斬り殺したユイ家の大男が、私たちを見下ろしながらそう言った。

 かつての仲間であったこの男は、虞家の中でも高い実力を持つ者のひとりだ。暗殺稼業でも多くの成果を上げてきている。そのためか偉ぶった態度をとることも多く、今回も長が斃れるのを見て迷わず指導者の代理を名乗り出た。睿霤ルイリョウも嫌な奴だが、コイツは人格が未熟なクズ野郎だ。長の死を悼む心も無いらしい。

「ッ、痛え……豚野郎が」

 斬られた頭を押さえ、龍翔の亡骸を蹴りながら、大猿のような顔を醜く歪める。


 おびえる菊花ジファ様の震え声。彼女から龍翔の骸が見えないよう背中に隠しながら、私は男を睨みつけた。

「お前……なんてことをするんだ」

「長が言い遺したとおりにやってんだろうが。ま、長がおっ死んじまったから、オレがそのかわりになるがな」

「お前なんかに長の代わりが務まるものか。今はみな仕方なく言われたとおりに動いているんだ。だいいち、長は亡くなったのだから、言うことを聞く必要は……」

「あ? うるせえ!」

 反論していると男は顔をしかめて怒鳴った。龍翔の剣撃を受けた頭からは尚も血が流れ続けており、それが奴の気分を害しているようだ。

「黙って王族どもを殺しやがれ! テメエだってオレたち虞家の仲間だろうが!! オレの命令に従ってりゃいいんだよ!!」

 奴は右手の大刀をぶんと横に振り下ろした。刀の血が飛び散る。遠くからでも刃風を感じさせそうな程に力強い。

「ふざけるな! お前らこそ、さっさと出ていけ!!」

 怒鳴り返すと、奴は歯を剥き出しにして笑い出した。

「なんだぁ? そんな口きいていいのか? お前もオレに殺されることになるぜ?」

 そういうと奴は刀の刃を見せびらかすように掲げた。血で濡れた刃は禍々しく輝いている。

「お前が一度でもオレに勝てたことがあるか? ああ!? あんときテメエんことヤれてれば、しおらしくなってたかよ!」

 その言葉に息が詰まる。コイツには模擬試合で勝てたことがない。雑ながら力任せで荒々しい戦い方をするこの男……允󠄀明ユンミンは、一度組み合えば、その体格を活かし、いいように弾いてくるのだ。

 そしてあるとき私はそのまま奴に組み敷かれた。睿霤が気まぐれで助けに入ってきたので事なきを得たが……今でもあの屈辱は忘れられない。

 そんなことを思い出す私の様子を見てか、笑ったまま允󠄀明は言った。

「豊蕾。お前がそのガキを斬れ。そうすりゃお前は許してやる」

「……何を馬鹿なことを言っているんだ」

 私が菊花様を? ありえない。

「やらねえなら、お前も殺すだけだ。安心しろよ、オレは優しいからな。そこのガキと一緒に仲良く殺してやる」

「ふざけるなよ……」

 言葉を絞り出す。戦って勝つしかない。ここで負けたら菊花様の命は無い。そんなことはさせない。絶対に守らなければ……!


「待ってください!」

 そのとき背後の菊花様が叫んだ。振り向くと、彼女は強い目で私を見ていた。

「豊蕾……わたしを斬ってください」

「な……」

 凍り付いた。何を言い出すんだ?

「わたしが死ねば、皆の、豊蕾の命は助かります」

「……本気で言っているのですか」

「はい」

 菊花様は頷く。本気のようだ。

「殺せってよ! やっちまえ、豊蕾!」

「黙れ、このブタ猿が……!」

 允󠄀明の下品な笑声に苛立ちつつ、菊花様の体を抱きかかえて走った。とにかく離れなければ。

「おい、逃げてもムダだぜ」

 奴は面白がっているのか、すぐには追いかけてこなかった。

 恐怖のせいなのか、胸の中の菊花様から震えが伝わっていた。


 壁際を少し走ったところで菊花様を下ろす。

「菊花様! 何をおっしゃるのですか!」

 彼女の両肩を持ち、正面から向かい合って顔を覗く。その大きな漆黒の瞳は潤んでいた。大粒の涙が頰を伝い落ちる。

「だって、わたしのせいで……!」

 その上ずる涙声は悲痛だった。胸が締め付けられる。

「わたしの生誕の祝いなんてしなければ、こんなことには……」

 すぐそばで逃げ惑う人々、阿鼻叫喚の声、倒れ伏す王と王妃……。そんな地獄絵図が、彼女に突きつけられている。その結果、出た言葉なのだ。自らを斬って、と。なんてことだ……菊花様は悪くないのに。なぜ、菊花様ばかりが辛い目に遭わなくてはならないんだ。


「本当に、なんてことをするんだ……おかわいそうに……」

 気付けば私は菊花様を抱きしめていた。すぐにでも允󠄀明が追いついてくるかもしれないのに。だがそんなことさえ考えずに、ただ抱きしめずにはいられなかったのだ。強く、強く……彼女が潰れるほどに。彼女の苦しみが少しでも和らぐように。

「豊……蕾……」

「菊花様のせいではありません。悪いのは奴ら……虞家だ……。こんなことしてたら、争いは終わらない。菊花様の言う通りだ」

 虞家の長の剣技に魅せられ、自ら志願し、弟子入りした。たまたま同族だったからではない。本気で長のようになりたいと思っていたからなのだ。

 だから今、目の前で起きている事態に、悲しみと憤りを感じていた。

 こんな酷いこと、あるか。これでは憎しみは増し、争いは続くばかりだ。それに、菊花様を、あんなことを言わせるまでに追い詰めて……。

 涙が溢れ出て止まらない。菊花様の新たな人生の始まりを台無しにされたのが悲しく、悔しい。そんなことをした虞家が、虞家の連中が、憎い。許せない。

「菊花様、私はもう虞家の者ではありません。ファン豊蕾として虞家を討ちます。菊花様に生きていて欲しいから。だから斬ってなんて言わないでください……!」

 彼女の胸は高鳴っていて、温かい体温を感じる。生きているんだ。死んでほしくない!

「豊蕾……お願いだから、あなたも死なないで……わたしはあなたに生きてほしいのです」

「……はい……大丈夫です。……その言葉だけで十分です」

 名残惜しいが、やらねばならないことがある。抱きしめていた腕をほどき、体を離した。すると菊花様が涙を流しながら、それでも微笑んでくれた。それを見て私も少し微笑むことができたと思う。まだ頰に残る涙をぬぐいながら立ち上がった。

 もう迷わない。たとえ奴らと刺し違えることになったとしても、戦うんだ。必ず守ってみせる。


 愛刀の鞘に手を置き振り返る。気配は感じていた。そこに立つのは允󠄀明。相変わらずニヤニヤしている。

「めそめそしやがって。女ごときが剣士を気取るからこうなんだろうが。で、覚悟は決まったんだろうな」

「ああ、覚悟はできている」

「だったらとっととガキを斬れ! モタモタすんな!」

「勘違いするなよ。私が斬るのは菊花様じゃない……虞家の輩だ」

「はあ? 何言ってんだテメエ!?」

 允󠄀明は眉間に皺をよせた。奴には理解できないらしい。

「允󠄀明。お前を斬る」

 刀を抜き、剣先を允󠄀明に向ける。奴は再び口元を歪ませた。

「バカな女だなあ、おい。言うこと聞いてりゃ、もてあそんでやる分だけ長生きできたのによ」

 やはりな。こいつとの口約束なんか信用できない。どうせ私で遊び、飽きたら始末するつもりだったのだろう。どのみち奴の話など聞くつもりはなかった。私は菊花様のために生きると決めたのだから。

「残念だな。私はお前に屈しないぞ、允󠄀明!」

「そうかよ。じゃあ死ね!!」

「菊花様、下がっていて!」

 人々が逃げまどい、断末魔が響き、血の臭いが充満する中、私と允󠄀明は対峙した。

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