第8話 剣舞 四

「……はい。いかがでしょうか? 菊花ジファ様」

 翌日、輝ける朝日が差し込む菊花様の部屋で、私は菊花様の髪結いをしていた。菊花様は鏡越しに、大きな漆黒の黒目で私の顔を覗く。

「ありがとうございます、豊蕾フェンレイ。すごく上手で、嬉しいです」

「それは良かったです」

 菊花様は照れたような笑顔を見せた。

 彼女の生誕を祝う日。私のこの半年間で培った技術を全て注ぎ込み、彼女を美しく飾り立てた。


 半年前、菊花様のお決まりの髪形は、頭の左右二つにお団子を作ったような形だった。その後、本当の母君が遺したという手製の木彫りの髪留めがあることを知った私は、髪をおろして後ろ髪にそれを留める形に仕上げた。

 あの時はいろいろあったな……。当時は雨季で湿気がひどく、髪留め自体も朽ちつつあったために割れて床に落ちてしまい、大切なそれを壊してしまったのだ。でも、あの出来事があったからこそ、まさに雨降って地固まるというか……菊花様との絆が生まれた気がする。

 そしてこの髪型が定着するようになった。その変化は、菊花様の成長ともいえるだろうか? 下りた髪が、むしろ幼げに見えるかもしれないが。


 というわけで、今回はこれを基盤として、さらに見栄えがするよう工夫を加えてみた。自然におろす後ろ髪はそのままに、頭の高い位置で左右に編み込んだのだ。編んだ髪を縛る箇所には布飾りを付け、より華やかな印象を醸し出させる。宝飾は彼女の可憐さを損ねないよう控えめなものを選んだ。素が良いと何をつけても映えるものだなと思った。


 そして、後ろ髪を下に流すのは、あの木彫りの髪留め……。

「豊蕾」

「はい。どこかおかしいところがありますか?」

「あ、いえ、おかしいということではないのです。本当に、とても気に入りました」

 顔をこちらに上げ、優しく微笑んでくれた。自然さを残しながらも鮮かさを足した薄い化粧が、彼女の魅力を引き出していた。まさに花のようであった。

「そう言って頂けて幸いです」

「あの、これはわたしのわがままなのですが……。この髪留め、今日は外していきたいんです」

「え? なぜです?」

 これは菊花様にとってとても大切な母君の形見で、あのときからほとんど毎日身に着けているお気に入りでもあるのに……。今日のような日こそ、彼女は身に着けるものと、私は思っていた。

「そうですよね。豊蕾が一生懸命なおしてくれたものですから、常に身に着けていたい気持ちはあります」

「では……何故……?」

「もう、お母様が見ていなくても大丈夫だと、今回はそれを示したいんです……。あ、なにもお母様とお別れするという意味ではないんですよ? 今日が終わったら、この髪留めへ……お母様へ、無事戻りましたと報告します」

 手を目の前で組んだあとに、後頭部の髪留めを両手で優しく撫でていた。

「……そうですか」

「ただ、その……お母様に縋ったままでは変われないような気がするので……今回だけは、お母様から離れたいなと……」

 そういうことか。この子は、もうそこまで考えていたのか。

「わかりました。あなたの意志を尊重します」

「ありがとうございます」

 心なしか、菊花様の顔が凛と引き締まったように見えた。


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「はい。どう? 豊蕾」

 鏡越しに、櫛を持つ鈴香リンシャンが微笑む。

「ああ、さすがだ、鈴香」


 菊花様の髪留めを代わりの金属製のものに替えたあと、私は自室に戻った。私自身の支度をするためだ。そして今度は私が鈴香に髪を整えてもらった。

 剣舞の際、髪は後ろで縛ってしまうから、工夫などしようがないと思っていた。だが、そこは鈴香の腕と美的感覚がものをいった。

 縛れる髪のすべてを縛るのではなく絶妙に残したことで、脇の髪が顔を小ぶりに見せている。そして前髪は左の目の上で軽く自然な風に分けていて……器量の良い感じに見えるだろうか?


「剣舞のときに乱れちゃうかなぁ。でも豊蕾にはぜったいこの方がいいと思ってたのよ」

「終わったら自分で整えるから、問題はないと思うぞ」

 固めの油はしっかり塗ってくれていたが、おそらく激しい動きの中で髪は動いてしまうだろう。でも、この出来のいい髪型を崩したくはなかった。


 束の間の沈黙。気づけば、鈴香が私をじっと見つめていた。

「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか?」

「ん、なんかさ、あの時みたいだなって思って……」

「あの時?」

「ほら、豊蕾がここに来た日! あの時もあたしが髪を結ってあげたじゃない」

「ああ……」

「お団子ふたつの髪形! あれも良かったわね」

「そうだな」

 思わず笑みをこぼす。

 あの日、鈴香に当時の菊花様の髪形と同じお団子の髪形にされたのだ。正直、その子供っぽい髪型はどうかと思ったのだが、今にして思えば、菊花様が喜んでくださっていたのだから良かった。

 おそろいの髪形で、ふたり並んで鏡に映るその姿が、まるでひとつの絵画のようだったことを、私は今でも鮮明に覚えている。


「……豊蕾……」

 鈴香の目が、惚けたように潤んでいる。

「……綺麗だよ……豊蕾……きれい」

「どうした、突然……」

「なんでだろ……今言わなきゃって思ったの」

 鈴香の両手が私の両肩に乗った。その指は少し力んでいて、震えていた。

「……鈴香?」

「ごめんね、変だよね、いきなりこんなこと言って……。ねえ、豊蕾。あたしたち、友達よね?」

「今さら何を言っているんだ? もうとっくに親友同士だと思っているんだが」

 そう答えると、鈴香の表情が緩んだ。肩に置かれた手からも力が抜けていく。

「うん、そうだよね……ありがとう……あたしもそう思ってるよ」

 いつもの笑顔に戻っているが、どこか無理をしているような感じがした。


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「お時間です。さあ、参りましょう」

「はい」

 私と菊花様は部屋の扉をくぐった。おなじみの長い長い廊下が陽光に照らされて眩しいほどだ。

「行ってらっしゃいませ」

 そばにいた衛兵が挨拶をしてくれた。会釈を返すと、彼は敬礼をして送り出してくれた。そして私たちは歩き出した。

 毎日歩くところなのに、菊花様の足取りはどこかぎこちない。だが私も同じだ……緊張しているからな。


 深呼吸。手足の先まで血が巡るのを感じる。そして菊花様を見ると、彼女も深呼吸をしていたようだ。目が合うと恥ずかしそうに笑った。私もつられて笑ってしまう。

「……はじめて二人でここを歩いたときのことを覚えてますか?」

 菊花様は目を細め、懐かし気に廊下を眺める。

「ええ。あれは半年前でしたね」

 宮廷に入った初日のことだった。明朝の暗殺稼業明けに、突然菊花様に仕えることになったそのとき、私の心は新たな人生への期待と不安で満ち溢れていた。この無駄に長い廊下の存在には疑問を抱いていたものの、夏の光が注いでいたあの光景には、晴れやかな気持ちにさせられたものだったな。

「あのとき、わたしはあなたが怖かったのです」

「え!?」

「だって、豊蕾、ずっとしかめ面だったから……」

「でも、菊花様はずっと笑っていたじゃないですか」

 たしかに、はじめ、私はかなり無愛想な顔をしていたかもしれないな……。対して菊花様はずっと花の咲くような笑顔だった。でもそれは作った表情だったというのは後でわかったことだ。

「ふふ……そうでしたね、あのときは……。でもわたし、もう笑い方なんて忘れてしまいました」

「その顔で言っても説得力ありませんね」

 冗談めかして言うと、彼女は吹き出し、なおさら笑ってしまっていた。


 ついに大広間の前まで来た。

 扉の前に立つと、中から大勢の人間の気配が感じられた。これから起こるであろう出来事を思うと、身体がこわばりそうになるが、なんとか平静を保つように努力する。

「菊花様、本日はおめでとうございます!」

 衛兵が礼をしてから扉を開け放った。


 そこには多くの人の姿がある。煌びやかな衣装に身を包み、談笑したり踊ったり酒を飲んだりしながら、既に宴を楽しんでいる様子だ。

 控えていた楽師たちが一斉に演奏を始める。笛や太鼓、弦楽器の音色が混ざり合い、心地よい音の流れが空間を満たしていく。その瞬間、菊花様が一瞬びくついた。音に驚いてしまったのだろう。しかしその軽やかな音色にすぐ慣れたようだ。

 大広間には壇があり、一段高いところに、花々で飾られた鮮やかな玉座があった。その玉座の両脇には、左右対称になるように椅子が配置されていて、そこにそれぞれ王陛下と王妃が腰かけている。さらにその左右に広がるように、王族たちが座っている。王子らとその家族、そして王女らが固まっている場所だ。そして壁を伝うように席が並び、そこには宮廷に住まう貴族や使用人などがいた。

 席の近くには食べ物が並ぶ長机、酒が入ったかめがいくつもあるが、それらは部屋中央を大きく空けるように配置されている。その開けた場所こそ、楽師の演奏や舞踊など、これから行われる催し物の会場となる。私が剣舞を披露する場でもあるのだ。

 菊花様は目を見開きながら、その光景を眺めていた。感嘆のようなため息が漏れる。きっと自分のためにここまでしてくれているというのが、嬉しくもあり、恐ろしくもあるのだろう。


 軽くかがんで菊花様の手を握り、彼女を促す。

「行きましょう」

「はい」

 私の手を持ち上げて熱く握り返す。そして手を放し、菊花様は足を踏み出した。私は彼女から一歩引いた位置を歩き、演奏が続く中、会場の中央へと向かう。

 途中、王子や王子の家族の方々に一礼をすると、皆一様に笑顔で返してくれる。あのブタガエル……第三王子の龍翔ロンシャンまでもが笑顔でこちらに手を振る。たぶん私たちの服装に興味があるんだろうな。いやらしいヤツめ……前みたいに、後で叩きのめしてやるからな。

 第五王女の蓮玉様も手を振ってくれた。13歳の彼女もまた、菊花様と共に成長されたように感じる。すました雰囲気の蓮玉様が礼儀正しく手を振るその姿は、大人びていて可愛らしく見えた。

 使用人らの席を見ると、玉英イインと鈴香が揃って手を振ってくれているのがわかった。二人とも、他の者と同じようにもう酒に酔っているんじゃないかと思っていたが、見た感じだと素面のようだ。特に鈴香は飲みたいんじゃないかと思っていたのに、不思議だ。

 蓮玉様の側近の保星パオシンも同席していた。実直かつ剣の腕は一流だが無口で素朴な彼は、この豪奢な光景に見とれているようだ。時折準備のために現れる踊り子に視線を奪われている。

 睿霤ルイリョウは……やはり居ない。あいつは、私に斬りかかってきたあの時には既に、第一王子の護衛を辞めていたらしかった。ユイ家の居住地へ戻ったのだろうか?……いや、もういいんだ。あいつのことなどどうでもいい。


「豊蕾?」

 菊花様に声をかけられ我に帰った。

「あ……菊花様、それでは」

 段取りでは、菊花様は壇上へ、私は横にはけることになっている。

「はい……よろしくお願いします」

 菊花様は微笑み、小声でそう呟いた。そして私に背を向けると、王と王妃の待つ壇上へ一段昇った。演奏が力強さを増す。

 菊花様の姿を見るのに夢中になりかけたが、早くここから退かなければと思い直す。私は足早に歩き、壁際に立つ。そこには女性使用人が三人立っていた。私があとで行う剣舞の準備のために待機してくれていたのだ。彼女たちは、私が持ってきた荷物の中から儀礼用の直剣を鞘ごと取り出すと、それを腰に下げてくれた。

 我が愛刀を含めた荷物を預けながら、襟巻きを巻いてもらう。細い糸で編まれた、赤く、向こう側が透けて見える布でできたものだ。職人によって丁寧に作られた代物を、私などが身につけることになるとは……。しかし、鈴香が選んでくれたこの赤と黒の服にもよく合うと思うので感謝している。この服には袖がなくて寒いから、多少の防寒になるのもいい。


 準備を整えてもらいつつ、菊花様のいる壇上へ目をやると、ちょうど彼女が玉座に座る王と王妃の元にたどり着いたところだった。二人は立ち上がり、拍手をする。それに呼応するように周りの人々からも歓声が上がる。菊花様はちょっと……いや、かなり緊張しているようだが、それでも笑顔で応えている。

 すると王は菊花様を見て笑い出し、彼女の両肩を叩いた。

「はっは! 菊花よ、似合っておるぞ!」

「ありがとうございます……」

 菊花様は恥ずかしそうに、頭を深く下げた。

 王妃はただその様子をじっと見ていた。自身の子ではないせいなのか、この場においても彼女は菊花様に暖かな視線を送ったりはしないようだった。


 王は菊花様に小声で何か伝えた。そして私の方を指差し……?

「そ、そんな! 無理はさせないでください……」

「無理ではないじゃろ。準備も済んでおるようだしな」

 王はそう言ってくるりと菊花様に背を向け、玉座に戻ってしまった。王妃もそれに合わせて着席してしまう。

「もう……」

 菊花様は困ったように肩を落とした。そして段取りどおりに王と王妃の間にある、一際大きく、花で飾られた玉座に座った。再度、周りから拍手が上がり、演奏が一旦終わる。

 菊花様がその椅子に収まった姿は、まさに花々に囲まれながらも凛として咲く花のようであった。菊花様の衣装は、菊の如き白や黄色の花模様の入った桃色の着物で、ところどころ金の刺繍が施されているものだ。周りの花飾りに負けない、菊花という名に恥じない見事なお姿を見せていた。


 菊花様のお姿に魅入られていると、男性使用人が小走りで駆け寄ってくる。そして私に小声で話を伝えてきた。

「豊蕾殿……陛下の命により、その、演目を踊り子たちより先駆けて始めて欲しいそうです」

「……は?」

「あの、ですから、このあとすぐ踊る予定の踊り子たちより先に始めるようにと……」

 私は思わず聞き返してしまった。始め、楽師たちの演奏に合わせ演者が舞う……そうして菊花様の生誕祝いの宴は盛大に始まるはずだったのだが?

 男性使用人の肩を引き、耳元で言う。語気が強くなりそうになるが、小声に留める。

「何故だ?」

「陛下によれば、その方が良いだろうとのことでして」

 あの王の悪い所だ……。自分の思い付きのままに事を進めようとすることがあるのだ。それは良い結果をもたらすこともあるが、振り回される身としては堪ったものではない。

「全く……仕方がないな」

「では、よろしくお願い致します」

 男性は頭を下げると去っていった。そして女性使用人たちが慌てて私の衣装や飾りの確認を始める。ほら、皆王のせいで迷惑しているじゃないか。私も今は剣舞の順序を頭の中で反すうするしかなかった。

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