女剣士の絶望行

砂明利雅

第一章 蕾む菊の花

第X話 絶望

 喉に痛痒さを感じて目を覚ました。唸り声が出る。毛布を被った体が促すままに息を発するとそれは咳となり、胸の奥から音が鳴った。息を吸って口から入り込む空気は、冷たく、乾いている。床に清潔で細やかな生地の布を敷いてはいるが、古びた木の箱みたいな馬車の中ではどうしても粉塵が舞ってしまうのだ。そして、この埃っぽい空気は喉を刺激し、冷たいくせに喉を焼いたようにしてくる。

「フェンレイ、だいじょうブ?」

 甲高く、不自然な発音の女の声が、横からした。彼女は私を心配しているのだろう。余計なことだ。返事をする必要は無い。

「冷えル? もう日が落ちてシマッテ。もう少しで宿駅に辿り着くのダケレド」

 彼女は唯一私の母国の言語を理解していて、私にわかる言葉で状況を説明してきた。しかし、日没まで間に合わなかったのか? 目を開くと、ランプという、硝子の灯火器で照らされた橙色の光が視界に入った。馬車の中に明かりが点っているということは、夜になったのだろう。

「女性の体が冷えてしまってはいけないワ。それに、また熱ガ……」

「問題ない。戦える」

 私の声は掠れていた。喉が渇いている。水袋に手を伸ばし、一口飲んだ。喉は多少潤った気がするが、焼け石に水だ。

「……ハイ。ワタシはここにイルカラ、安心して眠っててネ」

 耳障りな声だ。それにわざわざ顔を私の視界に入れてくる。白肌に茶色の髪は、私にとっては異人だ。髪を三つ編みで一つにまとめた、蒼い瞳の少女。わかったから、私の顔をじろじろと見ないでほしい。苛立ちを覚えた。体の向きを変えて、目を閉じる。

「リカ」

 御者台の方から低い男の声だ。この女以外が発する言葉は全く理解できないが、女の名前……リカを呼ぶ声だけはわかる。リカは私にはわからない言語で返事をしながら、そちらへにじり寄っていった。これまでの様子から見て、二人は親子らしい。二人がどんな会話をするのか、理解できないし興味もない。そのまま、また眠りにつこうとした。だが、突如、リカが叫ぶ。

「盗賊が現れたミタイ!」

 出番か。私は体にかかる毛布を払った。傍らに置いていた、鞘に収まる我が愛刀を手に取って身体を起こす。

「フェンレイ、本当に動けるノ?」

「そう言っている」

「……ソウ。じゃあ、オ願イ」

 リカの声を聞きながら、幌の隙間を覗いた。真っ暗闇の中に、火の明かりが揺れ、遠くからこちらへと近づいて来ている。成る程、馬で駆ける盗賊のようだ。数は、十以上はいる。対してこちらは、商団がいくつもの馬車を連ねて移動しているところだ。商人や旅人達が乗り合わせている。護衛達も複数人いるはずだ。盗賊達がどういった作戦で襲ってくるかはわからないが、こちらは各々で対処するしかないだろう。

 盗賊どもは商団の列の中腹辺りを攻撃の起点に見定めたようだ。そこにあたる、この馬車の方へ、火の明かりが向かってくるのがわかったのだ。御者台で手綱を握るリカの父が、茶の髭面を強張らせてリカに何か話している。それに対しリカは、怒った様子で返していた。そして、こちらに向かって叫んだ。

「フェンレイ! ワタシ達も出るカラ! オネガイ……」

「ひとりでいい」

 刀を腰紐に掛けながらそう答えて、馬車の後ろ側に向いて足を着き、踏み込んで飛び降りた。


 外はかろうじて月明かりが届く程度の明かりしかなかった。時折、雲に月が隠れるのだろう。盗賊たちがわざわざ掲げている松明がそれを示す。

 風が強く吹いている。砂嵐が起こりそうだ。身体が冷やされ、喉が、胸がムカムカしてむせてしまう。そこで私は刀を鞘から抜いた。いつも刀を握って構えれば、落ち着くことができていたからだ。だが、冷たい風はそれすらも邪魔をしてくる。刀を握る手を冷やし、痛覚を刺激してくるのだ。この地は、やはり、まるで……。

 そうしているうちに雲が流れて月明かりが増すと、周囲がよく見えるようになった。踏みならされてできたこの貿易街道の外、草木がまばらに生える原野の中を、盗賊どもの馬は駆けていた。丘のように盛り上がっているところがあり、そこからこちらの様子を伺い、降りてきたのかもしれない。さらに遠くにある山を背景に、奴らはここに向かってきている。

 この馬車付近に来る敵は四人。こちらの周囲には武装した味方が何人かいて、彼らは弩に似た見た目の弓を携えている。


 盗賊が射程内に入ったのを見て、味方は弓を一斉に放った。一発は盗賊の一人に当たり、怯んだように見える。だが、他三名は、そのままこちらに近付くと、松明をしまう。途端に光は消えた。光が届かない場所を遠くから見るとき、目の近くの光源は邪魔になる。月明りのみでこちらを視認するために、消火したのだろう。馬を止め、奴らもまた弩みたいな弓を構えた。矢尻を私に向けてきている。私は身を隠さず、それをじっと眺めた。

 奴らは鉄板みたいな胸当てとか、鎧のようなものを着込んでいる。我が愛刀では、あの上から斬りつけても衝撃を与え難い。この曲刀は、斬るのに重きをおいた剣だからだ。だが。

 摺り足で、奴らに近付く。足裏に伝わる土の感触を感じながら、柄を握った右手に力を込めた。そしてついに、奴らから矢が発射された。始めだ。


 地面を蹴って横回転。刃風が空を切り裂く。私の黒い後ろ髪がそれについていくように流れた。

 前方へ踏み込み、刀を右後ろに下げ、全力で駆けた。風に負けぬ速さで進む。

 矢を番え終えない盗賊の元へ辿り着き、下から刀を振り抜く。硬い鎧の隙間……首を狙って一閃を放った。血飛沫と共に、頭が飛ぶのが見えた。

 止まることなく走り抜け、次の敵へと向かう。再び向かってくる私に狙いを定めるべく、奴等は馬を横に向け始めた。しかし、遅い。もう目の前だ。空いた脇腹目掛けて刀を振るう。手応えありだ。鮮血が飛び散ると同時に、そいつは落馬する。そこへ後続の矢が飛んできて、そいつの胸に突き刺さった。

 敵のもう一人が放った矢は、視界の外へ消えていった。そいつはそのまま馬を走らせて離れ、はじめに矢を当てられて傍観していた盗賊の元へ行く。二人とも、逃げ帰るつもりか?

 私にとって、苛立ちをぶつけるのに、奴らはちょうど良いのだ。奴らを追いかけようと、体が勝手に走り出す。

「待って、フェンレイ!」

 リカの声が聞こえた気がする。だが奴らが馬を走らせる前に追いつきたい私はひたすら地面を蹴った。


 追いつくと、奴は直剣を取り出す。そうされると、隙が見えにくい。馬の尻くらいか。

 飛び上がりながら刀を振り上げる。すると馬が驚いて止まったので、着地してすぐに駆け出し、すれ違いざまに斬りつけた。馬は前脚を高く上げて嘶くように鳴いた後、体勢を崩して倒れた。

 地面へと落ちた男が呻いている。追撃のために踏み込む……が、私と男の間を馬が駆け抜けたため、立ち止まった。もう一人の盗賊が、奴の助けに入ったのである。左肩に矢が刺さっていて、松明だけ右手に持っていた。

 馬を失った男一人に、左手を使えず矢を番えられない男一人。こちらは既に二人を葬っている。こちらが有利なのは明らかだ。二人が知らない言語で何か話している。逃げる方法でも相談しているのだろう。悪いが、逃しはしない。


 馬に乗る男が、右腕を振りかぶり、助走をつけて、松明をこちらに投げつけてきた。それを避けると、松明は私の足元で光を放った。やけにまばゆい。

 顔を上げると、奴らがいるはずの場所が、暗闇に包まれ見えなくなっていた。月明かりが消えている! 近くのまぶしい光が邪魔で、暗くなった周囲を見渡せない。同時に今、奴らにとって、私の姿は丸見えだ! すぐに奴らがいた筈の方に対して横に跳ねた。

 額に何かを掠める。直後、痛みが走った。矢だ。じわりと額から血が流れているのがわかる。間一髪、矢を避けられたようだ。光源から離れ、周囲を見ると、相変わらず真っ暗だがわずかに奴らの姿が松明に照らされて見えた……のだが。

 その時、両側の瞼に何かがかかって目に入り込む。額の傷から流れる血に、再度視界を奪われてしまった。左の袖で目を拭きながら横跳びをする。私が元いた場所で何かが空を切る。続けて放たれた矢が私の横を通り過ぎたようだ。何とか避けられた……が、目を開けた瞬間だった。

 馬の頭。ぶつかる! 両腕を上げて顔を守るが、馬の肩を思い切りぶつけられてしまい、私は吹っ飛んだ。背中から地面に叩きつけられる。

 衝撃が全身に伝わり、苦悶の声を漏らす。仰向けになったまま動けない。この程度で……しかし、私の弱った体を痺れさせるのに、この一撃は十分なものだったのだ。

 男共が、笑うような余裕の声で話しつつ徐々に近づいてくる。馬に乗っていた奴は、降りたようだ。私に止めを刺すつもりか。

 いまだに体は動かないが、手足より、胴回りの方が、まだ、動くか。いや……這って動いたところで、逃げられるとは思えないな。射られて終わりか。こんなたいしたことのない連中に殺されるのは悔しいが、どうせ、私は死ぬつもりだったのだ。そう、絶望の地で、私は……。


「フェンレイ! 逃ゲテ!」

 聞き覚えのある声が、私に届く。閉じかけた瞼を開くと、リカが松明を男二人の元へ投げつけていた。

 さっきの逆の形に、リカはしようとしているのか。こうすれば、奴らから私の姿は見えなくなるし、奴らの姿は丸見えだ。だが、私が動けないのでは意味がない。それに、リカのいる位置が、男共に近すぎる! 案の定、奴らはすぐにリカの存在に気づいたようで、こちらに背を向けると、彼女に向かって駆け出した。

 そのとき、私の中である記憶が目覚めようとしていた。自身で蓋をしていた記憶。頭の中がうごめく。手に汗を感じる。

 また、私のせいで、誰かが? 嫌だ。私なんかに、誰かを守ることなど、できはしないんだ。そんなもの、もう見たくない。

 顔に手をかざそうとすると、腕は十分に動いた。手足が動けるほどに回復したのである。それがわかると、さっきの気持ちを覆い隠すように、奴ら盗賊どもへの怒りの感情が復活してきた。

 立ち上がり、そばに転がる刀を拾って、駆けた。刀を前に突き出し、先端で空を切るよう進む。

 一人、私の突進に気づき、振り返る。その喉元を突いた。男は短く声を上げると、仰向けに倒れる。

 少し離れた場所で、リカは口を手で押さえていた。

 もう一人の男……左手を使えない盗賊は、最後の仲間が倒れたのを見るや、恐怖の叫びを上げながら、背を向けて逃げ出した。

 私は追いかける。待機している馬へと走る男に、簡単に追いついた。奴の右腕の関節めがけて刀を突き出し、貫く。男は情けない声で呻いた。

「そんな鎧、意味はないぞ!」

 私は男に言い放った。男に私の言語は理解できないだろうが、苛立ちをぶつけるために、言い続ける。

「ここの奴らは、臆病者だらけだ! 硬い鎧なんか着込んで、仲間に死者が出れば、途端に戦意を失くす者ばかりだ! お前みたいな!」

 男の鉄板に覆われた背中を蹴る。奴は呻き声をあげながらうつ伏せに倒れこんだ。すかさず背中に飛び乗り、全体重をかけるようにして押さえつける。右手も左手も奴は使えない。私の勝ちだ。

「死ね!」

 男の後ろ首めがけて刀を振る。断頭と同じ要領で、首は切り落とされた。落ちた首は転がって、苦悶の顔が上に向いた。


「ウ……」

 リカの方を見ると、口に手を当てたまま立ちすくんでいた。顔は青ざめているように見えるが、怪我はなさそうだ。

 辺りを見回す。どうやら他の盗賊らは商団の護衛たちに追い返されたらしく、松明の光が遠くに見えるだけだった。

 落ち着こうとため息を吐いたが、収まらない。吐くと同時に感じる胸と喉の痛痒さが、今も私を苛つかせていた。

 俯きがちにしていると、額からの血が、再び私の目にかかってきた。そして、強い風が吹く。私の長い髪をはためかせた。髪を押さえ、顔を上げる。雲の隙間から月が現れたかと思うと、雲はまたすぐに覆い隠す。

 異様な光景だった。

 月明かりと漆黒を繰り返す。赤い世界。

 冷たく乾いた風。痩せた土地。体を痛めつける砂塵。暗い世界に、火の玉が列を成して走っていく。山の影は暗く沈んでいる。生命の欠片もない。死者の魂だけが彷徨っていた。まるで地獄。

 腹の底から、笑い声が出た。

「絶望の地だ!!」

 終着点。だって、血のにおいが立ち込め、死体は転がっていて。

 それに体は冷え、痛くて、いらいらしてつらい。

 想像通りの死。

「やめテ!!」

 リカの叫び声。同時に、右手首がぎゅっと掴まれる。

 私は刀で私自身の喉を斬り裂こうとした。それをリカは止めたようだ。

 無意識だった。だが、不本意じゃない。

「離せ!」

「嫌ヨ! 絶対離サナイ!」

 彼女の手から逃れようと力むが、まるで振り解けない。彼女は私の手首から手を離すまいと力を込め続けている。その握力は、同じ女性のものとは思えなかった。それでもなお、私は抗う。

「なぜだ!? 私はこのためにお前らに着いてきたんだ!絶望の地を見て、私は……」

「絶望の地じゃナイ!」

「離せよ!!」

 私の肘が、リカの鼻に当たる。彼女の手は離れ、自由になった。リカは顔に手を押さえている。鼻血が出てしまっただろうか。目を瞑って痛がって……。

 それを見た瞬間、私の脳裏に、過去に見た、最悪な光景が蘇った。

 リカの手の隙間から流れるのは、赤い血。

 体が固まる。頭が真っ白になる。全身が、拒否する。

 嫌だ。

「……見せてあげるカラ」

 リカの呟き。

「もっと西に、絶望の地はあるカラ。だから、死なないデ……」

 リカは鼻を押さえながら私を見つめていた。潤んだ蒼い瞳が、最悪な私を捉えていた。

 見られたくない。見ないでくれ! 体が勝手に走った。


 逃げ出した。刀を握ったまま、馬車へ走った。

 さっきまで私が寝ていた馬車に跳び乗った。真っ暗な中に刀を放り出し、毛布に潜り、身を隠す。頭を抱えるようにうずくまりながら目を閉じた。何も見えないように。

 だが、瞼の裏に浮かぶのは、あの光景。

 思い出したくない、でも、絶対に忘れられない、記憶。

 美しく、優しく、煌めいた過去が、一瞬で色褪せてしまった出来事。

 後悔してもしきれない、償うことなどできない罪。

 体がガタガタと震える。頭の中が捻じれて切れそうになる。


 私は、あの大切な人の姿を思い出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る