弐 試練
拙者、修行開始侍!
「ここが師匠の言っていた洞窟でござるか! なんとも不気味な場所でござるな!?」
「そうみたいですね……! 油断せず行きましょう、カギリさん!」
「洞窟洞窟」
「探検隊」
「わくわく」
次の日の朝。
カギリとユーニ、そしてリーフィアの三人は、オウカの庵から数十キロ離れた険しい山中へとやってきていた。
辺りにはすでに人影どころか動物の気配もなく、太陽の日差しも生い茂る木々によって遮られている。
そんな人里離れた山奥にぽっかりと開いた大穴を前に、三人は真剣に、しかしどこか胸を躍らせながら気を引き締めた。
「しかしまさか、日の本にこのような修行の場があったとは……拙者、今日の今日までこれっぽっちも知らなかったでござる!」
「オウカさんはこの洞窟の奥に置いてある、〝機械のスイッチを押して帰ってこい〟って仰ってましたよね……なんだか、稽古の内容にしてはかなり変わってるような気がしますけど……」
「修行パート」
「覚醒イベント」
「そういうのに洞窟はぴったり」
「暗くてひんやり」
「確かに珍妙な修行ではあるが、師匠の稽古は大体いつもこんな感じでござる! サンマを焦がさず綺麗に焼けだの、山ほどある栗の皮を全部剥けだの、今でもなんの意味があったのかさっぱり分からん修行も沢山ござった!」
「もしかして:ただの家事」
「あはは……で、でもオウカさんのお話しでは、今回の修行は僕にも必要な物だそうですから! とにかく行ってみましょう!」
「うむ!」
「おー」
そうして、三人はカギリを先頭にひんやりとした洞窟の中へと足を踏み入れた。
外から見た際には気付かなかったが、洞窟の内部はかなり人の手が入っており、明らかに旧時代の技術で作られたパイプやケーブルなどが所狭しと奥に向かって伸びている。
等間隔で設けられたランプには今も明かりが灯っており、どこまでも続く金属製の通路を妖しく照らしていた。
「むむ……それなりに薄暗いでござるな。ユーニ殿、拙者の手を――」
地面に片膝を突き、濡れた路面の状態を確認したカギリは、後に続くユーニが歩きやすいよう、慣れた様子で彼女の手を取った。だが――
「あ、ありがとうござ――ひゃわっ!?」
「ユーニ殿!?」
だがしかし。
一度はカギリの手を自然に握り返したはずのユーニは、次の瞬間まるで電撃にでも触れたかのように自ら飛び跳ねると、案の定水滴で濡れた路面で見事に足を滑らせた。
それを見たカギリは咄嗟にユーニを抱き支えようとしたが、ユーニは伸ばされたカギリの腕を彼女得意の亜光速の動きで〝完全回避〟。
まるで猫のごとく空中で身を丸めてくるくると回転すると、スタンッという小気味よい音と共に〝完璧な勇者着地〟を洞窟の壁面に決めた。
「ゆ、ユーニ殿……? いかが致した?」
「ユーニ?」
「どうしたの?」
「ふぅ……危ないところでした……――って、ぼ……僕は一体何を……っ!?」
一瞬にしてカギリから数メートルも離れた場所に着地し、ユーニはそこでようやく我に返って辺りを見回す。
「はっはっは! 流石はユーニ殿、拙者の助けなど元より不要でござったな!」
「えっ!? そ、そんな……! 僕は……っ!」
「大丈夫?」
「ユーニの心拍と体温が急激に上がってる」
「病気かも」
「なんと!? ユーニ殿は病気でござったか!?」
「はわわっ!? だ、大丈夫です! ぜんぜん元気ですからっ! その……さっきは突然カギリさんの手に触れてしまったので、びっくりして……それで……っ」
真っ赤にほてった顔をカギリから背け、あたふたと弁明するユーニ。
それを見たカギリとリーフィアは、首を傾げて疑問の表情を浮かべた。
「不思議」
「今までだって、二人はよく手を繋いでたのに」
「ケンカしたの?」
「いや……悪いのは拙者でござる。気心の知れた間柄とは言え、今のように軽々しく触れるのは実に礼を失していた。許してくれ、ユーニ殿!」
「はうぅ……ご、ごめんなさいカギリさん……僕の方こそ、なんで……どうしてこんな……っ!」
「うむうむ! ならば拙者も今後は気をつける故、そろそろ先に進むとしよう! リーフィア殿も、足元には十分に気をつけるでござるぞ!」
「ありがと、ギリギリ侍」
「でも浮いてるからだいじょぶ」
結局、カギリは特に気にした様子もなく笑みを浮かべると、ふわふわと浮かぶリーフィアと共に洞窟の奥へと歩いて行く。
一方、その場でしょんぼりと肩を落とすユーニは、今も高鳴り続ける胸を必死に抑えながら、自身に起こった急激な変化に戸惑いまくっていた。
(どうして……っ? 今までは、カギリさんに触れられても全然平気だったのに……っ)
リーフィアの言うとおり。今や何度となく共に死線を潜り抜け、背中を預け合ってきたカギリとユーニにとって、互いの身に触れる――ましてや手を握るなどという行為は幾度となく行ってきた。
では、なぜ今日になって突然出来なくなったのか?
実はユーニには、そうなった原因について見当はついていた。
〝カギリはユーニを助けたくて揺らぎを使った……だからあんたの声で戻って来れたんだ……まさしく愛の力ってやつだなっ!〟
脳裏によぎるのはオウカの言葉。
あの話を聞いてから、ユーニは気付けばそのことばかり考えていた。
考えすぎて、実はあれから一睡も出来なかった程である。
(カギリさんは、本当に僕のために……?)
聖域での教皇アルシオンとの死闘。
恐らく劣勢であったであろうカギリが、何を思って揺らぎに手を出したのか。
まさかオウカの言うとおり、本当に自分のためだったというのか?
そこまでカギリは、自分のことを想ってくれていたのだろうか?
だから何度でも支えてくれると。
ずっと一緒にいてくれると、そう伝えてくれたのだろうか?
普段のユーニであれば否定することも、疑うこともなかったはずだ。
なぜなら、カギリは今までもずっと言葉と行動の双方でユーニへの好意を示し続けてきたのだから。
しかし恋や愛というものの存在は知っていても、終わりの無い戦いに身を置く自分には縁遠いものだと思い込んでいたユーニには、こうして自分が当事者となる想像すらできていなかった。
訳も分からぬ嬉しさの余り、今にも飛び上がりそうになる気持ち。
そんなはずないと、自身の魅力を卑下する気持ち。
相反する二つの気持ちがユーニの中でせめぎ合い、今まで感じたことがない程の痛みとなって、彼女の心を必死に叩いていた。
「っ……やっぱり僕は、カギリさんのことが……――」
少しずつ小さくなっていくカギリの背をじっと見つめ、ユーニは思わずそう呟く。
だがしかし。
その呟きの先に〝続くかもしれなかった言葉〟は結局音を成さず、そのまま冷たい洞窟の中と、ユーニの心の中に消えた――。
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