第2話 引いてだめなら…

 校外学習の日だったと思います。


 石灯籠だったかな…

 石に四角い穴が開いている、なんというかオブジェではないですが、そんなものがありました。


「これ、お前なら頭はいるんじゃないか…」

 小顔の松波に柔道部の伊藤が言いました。


「顔、ちっちぇからな…」

 サッカー部の三枝もつぶやきました。


「そうだよ、松波なら入るよ…」

 市原が続けました。


 千葉県の市川市に住む市原は

「家が市原だっけ、市川だっけ」

 と先生によく訊かれていました。

 でも市原君、松波ほどではないですが、けっこう顔も小さくかっこよかったのです。


「入るかな…」

 松波は細くて小柄でノリのよい面白い人でした。

 色白で彼もサッカー部でした。


「入ったら、そうだな、あの店のチーズドッグでもみんなにもらうかな…」


 学校の近くにチーズドッグの店がありました。

 よく帰り道に寄っていました。


 いろいろと頭の角度を変えながら松波はその穴に顔を入れ込みました。


「きっついな~、ちょっとすりむいたよ…」


 そう言いながらも笑い声です。


「どうだ! チーズドッグ何本だ! ちゃんとおごれよな! 」

 見事、ぎりぎり入りました。


 腰を多少まげて石の穴の位置まで頭を下げて体制は苦しそうです。


「すっげぇ! すげえな! 」


 石の向こう側、松波の顔のほうにいた空手部の山下が驚いています。


「いいな~松波…。こんな男子校じゃなく共学に行ってたら小顔のお前はもててたぜ! 」


 伊藤も同じく向こう側にまわって笑っています。


「痛くないの…」

 僕は苦しそうな、でも笑顔の松波の顔を覗き込んで訊きました。


「きついよ…堀ちゃん、でもチーズドッグはいただいたぜ! 」


「集合だぞー、集まれよー」

 体育教師のようなドズの効いた声が遠くからしました。

 体育教師のような体格ですが、社会科の大畑先生の声です。

 ちょっと遊び過ぎましたね。


「もどろうぜ…」

 伊藤が言うと、僕らは歩き始めました。


「ちょ…、ちょっと待ってくれよ!」

 松波の苦しそうな声が僕たちを呼び止めました。


「松波…、チーズドッグはちゃんとやるから早く顔を出せよ」

 市原が言いました。


「待ってくれ…抜けないんだよ」

「急げよ…大畑うるせいからな…」


「ああ…でも抜けないんだ…」


 ここで見捨てるほど僕らは冷たくありません。


「大丈夫か…、ちょっと右にまげてみろよ…」

「顎あげろ…」

「思いっきり引け! 多少すりむいても治る!」


「待ってよ…、石にすりむいたら痛えよ…」

 そりゃあ痛いよね…。


「大畑に言ってこようか…」

 僕がそう提案すると、

「こんなこと知ったら大畑マジで怒るぞ!」

「やべえだろう…」


 確かにやばいよね…


「抜けねえか…松波…。みんなで引っ張るか…」


「無理矢理は痛えよ…」

 気の毒になってきました。

 ここは本当に先生に助けを求めるか…

 それも怒られるし、時間に遅れのも怒られる。


「なあ…松波…」

 山下が難しい顔をしながらその穴の正面に立ちました。


「押してダメなら引いてみろって言うよな…」

「うん…」

 松波がやっと聞こえるくらいの返事をしました。


「引いてダメならさ…」


 すーっと…

 すーっとね…


 何かすごく嫌な予感がしました。


 山下はブレザーの制服の右袖を左の手で引っ張っています。

 右の拳がちょうど隠れるくらいに伸ばしています。


 今なら萌え袖と言うのかな…。


「引いてダメなら押してみろ…というか、ひっぱっているからダメなんだよ、こっちから、逆から『ぶったたけ』ばいけるんじゃねえか…」


 松波の顔がひきつりました。


 道理だよ…押してダメなら引いてみろとはいうよ。

 引いてダメなら押すのはわかる。


 確かに逆側から押すなりするのは一つの方法だ。


 たたくのもいいかもしれないが…

 抜き出したいのは松波の “顔” なんだけど。


「マジかよ山下! マジかよ! 」

 松波の焦った声がしました。

「本気でするの…山下…」

 僕も訊きました。


「マジだ…」

 山下が真剣な声で応えました。


「これ以上遅れたらまずいよ、人助けだ! 山下! やれ! 」

 伊藤、お前ってやつは…怖いな…。


 空手の構えをする山下、軽くステップを踏んでいます。


「マジかよ! 無理だよ!」

 松波の悲鳴のような声が響きました。


*****


 数分後、僕らは集合に間に合いました。


 大畑先生が松波の顔に気づいたようです。


「松波…どうした…耳とか…」

 彼の顎や耳は傷ついて血がにじんでいるところも

ありました。


「転びました…」


 大畑先生は僕の顔を見ました。

「堀…なにかあったか…」

「何もなかったです…ちょっと転んじゃったんです…。みんなでがんばって “協力” して助けましたが、多少傷がつきましたけど…」

 

「大変だったよな…」

 伊藤が笑いながら僕にあわせました。


「そうか…」

 先生は納得したようでした。


 松波の顔の正面には傷も殴られたようなあざもありませんでした。本当です。


 ただ耳と顎、さらによく見れば右頭髪部に石かブロックで擦ったような傷がありました。


 “強引” にこすったような傷がありました。

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