令嬢と姫



 婚約を破棄された夜、マグダレーナ・マドレーヌはひとりで月寮パンシオン・リュンヌのバルコニーに出ていた。

 夏前の空気が、花の香りを運んでくる。


 ――お父さまもお母さまも、あんなにうろたえてしまって。


 みっともない、と思う反面、痛快でもあった。

 父母のあんな姿は、はじめてみたからだ。

 マドレーヌ家にとって、娘であるマグダレーナと第三王子ルイス・エクレールの婚約は、起死回生の一手になり得るものだったから、うろたえるのも仕方ない。


 ――十年前の東西和平以来、過激な軍閥派代表のマドレーヌ家は王家にとって目の上のたんこぶでしたものね。


 しかし、繋がりを断とうにも、王家と血のつながった公爵家。

 そう簡単に切り捨てられるつながりではない。

 王がそれでもルイスの婚約破棄を認めた理由は、間違いなくアルティの存在だ。

 ルイスは赤裸々に語ったのだろう。

 好きな人ができた、その相手は大渦国イェケ・シャルク・ウルスの王族、アルティ・チノである、と。

 王はきっと、こう考えたはずだ。


 ――『大渦国との血縁を、公爵家よりも重視すべき』と。その判断は、わたくしも妥当だと思いますの。


 マグダレーナは寝間着の上に羽織っていたショールを、そっと脱いだ。

 考えごとをして熱くなりつつある脳に、夜の空気がちょうどよい。


 ――十五年前、わたくしたちが生まれるよりも前から……そして、東西和平よりも前から決まっていた婚約。マドレーヌ家にとって、最大のチャンスであった『王家との繋がり』を失ったわけですから、軍閥派の権力低下は避けられませんわね。


 父母が取り乱すはずだ。

 痛快ではあったが、厄介でもあった。

 そっと息を吐く。

 ルイスとの会談は、婚約破棄のあとも紛糾した。

 マドレーヌ公爵は『約束が違う』『そんなのは認められない』と言い募ったが、王直筆の書状を見せられれば、黙るしかない。

 そうなると、今度は矛先がマグダレーナに向いた。

 話を終えたルイスが退席したあと、父母はマグダレーナを責めた。

 おまえがしっかりしないからだ、色仕掛けでもなんでもして繋がりを保っておくべきだった、いっそ孕んでおけば破棄などできなかったはず……など、いかにも権力狂いの貴族らしい言葉を浴びせられた。

 罵声だけなら、まだいい。


 ――『繋ぎ止められなかったあなたに責任があるのだから、この損はあなたが取り返しなさい』ですか。お母さまも、むちゃくちゃなことをおっしゃられますわね。


 つまり、責任を取れ、と言うのだ。

 ルイスを責める気はないが、もう少しうまくやってくれればよかったのに、と思う。

 おかげで、マグダレーナの立ち位置は非常に繊細なものになってしまった。


 ――どういたしましょうね、これから。


 いっそ、逃げられたらいいのに、と嘆息する。

 広大な大平原を渡って、東の果てからやって来た姫を思う。

 己も広い世界を見てみたいと願うが、どうやら叶いそうにない。


 ――逃げずに、けじめをつけませんと。


 マグダレーナは、きっと己は悪役なのだと、そう悟る。

 そういう星の下に生まれて来た。

 であれば、そういう星の下に死んでいくのみだ。


 ――せめて、誇り高く。


 だれよりも令嬢らしい令嬢、マグダレーナ・マドレーヌはそう決心して、振り向き。


「……あら、ごきげんよう、アルティさま」


 己をじっと見つめる女性が背後にいると、気づいた。

 月寮に住まうもうひとりの女子生徒、アルティ・チノである。


「ごきげんよう、マグダレーナさん。隣、いいですか?」

「もちろん、かまいませんわよ」


 東端京トンデュアンキン風の寝間着を羽織ったアルティは、いつも通りの真顔でマグダレーナの隣に立ち、庭園を見下ろした。

 風が吹く。二人で同時に髪を押さえ、少し笑う。

 ややあって、アルティが淡々と言った。


「なにか、お悩みですか?」


 ――この方は、ほんとうに……他人をよく見られていますね。


「お気になさらず。少し、疲れているだけですの。昼の件もありましたから」


 つとめて平静を装う。


「ルイスさまは、ひどい方ですね」

「ええ、まったく」


 くすくすと笑いあう。

 マグダレーナが婚約破棄されたことは、すでに学園中が知るセンセーショナルな情報になっていた。

 マドレーヌ公爵夫妻が大声で騒いだのだから、当たり前である。

 しばらく無言の時間が流れて、それから、黒髪黒目の姫はさらりと口を開いた。


「マグダレーナさん。もしかして、あなたが悩んでおられるのは――『    』について、ですか?」


 息がつまる。

 バレていた。気づかれていた。悟られていた。


「……だとしたら、どうしますの?」

「力になります」

「なぜです? それが、大渦国の、あるいは東端京の利益になると? あるいは……ルイスさまの件で、責任でも感じていらっしゃるのかしら。だとすれば、そんな思いやりは不要――いえ、侮辱ですわよ?」


 耐えきれなくて、マグダレーナはきつい物言いをした。

 そんなマグダレーナに、アルティ・チノはゆっくりと口を開き――。



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