貴族学園に留学してきた東国蛮族の姫ですが、なぜか西国の王子に言い寄られています。~ひづめひめ留学記~

ヤマモトユウスケ

1-1 入学と再会



 西王国レルム・デ・ウェストの第三王子、ルイス・エクレールは重たいため息を足元に落とした。


「……なんで、僕が必要なのかなぁ」


 と、ぼやけば、周囲の教師たちが「まあそう言わずに」とか「ルイスさまにしかできないお勤めでございますから」とか、慌てていろいろ言ってくる。

 その頼りない大人の姿に、さらに重たいため息が漏れた。

 顔を上げれば、貴族学園の敷地の大部分を占める正面大庭園が広がっていて、背後には本校舎がそびえたつ。

 ルイスと教師たちがいるのは本校舎の正面玄関だ。

 庭園の真ん中を通る道をまっすぐ進めば、巨大な正門と長くて高い塀に辿り着く。


 ――遊牧民国家、大渦国イェケ・シャルク・ウルスの姫を迎える、か。


 胃が痛くなる仕事だ。

 留学生の出迎えなんて、教師がすればいいはずなのに、相手が姫だから……とルイスが駆り出された。休日なのに、だ。

 理屈はわかる。相手は大陸最大領土を誇る遊牧民国家の姫だ。

 遊牧民といえば、小さな移動式集落と素朴な暮らしを想像する人間も多いが、事実はまったく違うことを、ルイスは知っている。

 大陸北部中央の大平原から、大陸東端の海までを支配しているのだ。それぞれの土地に執政官を置いて統治していて、つまり、定住できる土地を山ほど持っている。

 なのに、とてつもなく機能的な統治機構と広大な領土を持ちながらも、支配者たる大皇帝カーンは、一万人を超える部下と共に大平原で遊牧生活をおこなっている。

 あえて、定住しないことを選んでいるのだ。選べるだけの力を持つ国家なのだ。

 学園内では、すでに一部の生徒から『毛むくじゃらの姫がやってくる』だとか『手足にひづめがついているに違いない』だとか、そういう噂が立っているが。


 ――勘弁してよね、まったく。


 不用意な陰口で姫が気分を損ねでもしたら、遊牧民が火砲を構えて攻め込んでくるかもしれないとか、考えないのだろうか。

 そもそも大渦国は蛮族などではない。

 西方国家連合すべてをあわせたよりも広大な領土に支えられた、非常に豊かな文化と文明を持つ、大陸最強の国家だ。

 十年ほど前に講和会議が持たれ、東西は和平を結んだが、それでも未だ十年ぽっち。

 些細なことがきっかけで、再び戦争になるかもしれない。

 姫への陰口が原因でそうなる可能性だって、じゅうぶんにあるのだ。


 ――そんなことも想像できないなんて、学園生活が思いやられるよ。


 嘆息する。

 貴族社会だけで暮らしてきた令嬢、令息にとって、世界とは『お茶会で見る顔』か、せいぜい『西方国家同盟』の広さしかない。

 その外側に、想像もつかないほど広大な世界が広がっていると気づかない。

 ルイスは思慮の足りない貴族子女が苦手だった。嫌い、といっても過言ではない。

 例外があるとすれば、休日も変わりなくルイスのそばにいる同い年の護衛くらいだ。

 もしかすると大渦国の姫もまた、世間知らずの我がまま姫かもしれない。

 そうだとすれば、最悪だ。

 三度目のため息を吐いて隣を見れば、凛々しい顔つきの学生騎士が苦笑してうなずいた。


「ルイ、ため息を吐きすぎだ。実際に見るまで、どんなやつかはわかんねえだろ?」

「……そうだね」


 息を吐く。

 ガッツはそういうが、実際に見なくても、わかることはあるとルイスは思う。


 ――先んじて送られて来た荷物は、見事なものばかりだったし。


 大陸東部で採れる大粒の宝石に始まり、歪みひとつない姿見や白磁の茶器など、絢爛豪華すぎる品々が積み込まれた馬車。十五台が列になって、女子寮に運び込まれたという。

 さすがは大渦国の姫だと感嘆し、同時にものすごくいやな気分になった。


 ――あれだけのものに囲まれて育ったのであれば、まず間違いなく……うん。


 もとより、良家の娘とはわがままなものだ。

 貴族社会で生きて来たルイスは、そのことをよく知っている。

 茶会でかんしゃくを起こす貴族の娘を、何度となく見て来た。


「……いや、しかし。少しばかり、遅いですなぁ。馬で来ると聞いておりましたので、そろそろだと思うのですが」


 でっぷりと太った校長が、禿げ上がった額に何度もハンカチを当てながら、正門のほうを背伸びして見た。

 馬車の姿はまだ見えない。

 校長も気が重いのか、落ち着かない様子だ。

 大渦国の姫を迎えるなど、学園始まって以来なかったことだからだろう。


 ――だからといって、僕を巻き込んで、あまつさえめんどうを押し付けようとするのは……どうかしているんじゃない?


 はーあ、ともう一度ため息を吐いて、ふと、気づく。


 ――なに? この音。


 風が庭園の生垣を揺らす、さらさらした音に加えて、他の音がする。


「……ねえ、ガッツ。なにか聞こえない?」

「あん? ……いや、わかんねえ」


 耳を凝らす。

 聞こえる。ぱから、ぱから……という、音。


 ――馬が駆ける音?


 馬ならば、待ってはいる。大国の姫が乗る馬車を、待っている。

 しかし、馬が駆ける音など、庭園内でするだろうか。正面の道はまっすぐ正門まで続いていて、だれもいない。もちろん、馬も。

 だが、たしかにひづめの音がする。


「これは、いったい――」


 どういうことでしょう、という前に、答えが飛び出してきた。

 本校舎と正門を結ぶ道を挟んで、左右対称シンメトリーに造園された庭園。

 その右側の生垣を飛び越え、ひときわ大きな蹄音を立てて、見事な体格の馬が本校舎の玄関前に着地した。

 ぶる、ひひん、といなないて止まる。

 ルイスはあっけにとられて固まっていた。教師陣の大半はびっくりして腰を抜かし、護衛のガッツだけが素早くルイスの前に出ていた。


「……いいお庭ですね。花も木々もいいし、なにより張り巡らせされた生垣がいい。馬が飛び越えるのに、ちょうどいい高さです」


 軽やかで、けれどどこか間延びした女性の声。


「いや、庭園の生垣は、そんな用途で作られていないと思うけど……」


 律儀にツッコミを入れるルイスの前で、騎手は馬の背からひらりと飛び降りた。

 黒髪を一本の太い三つ編みに結って背中に垂らした少女だ。

 切れ長の瞳と、大きな丸眼鏡が特徴的で。


 ――えっ?


 ルイスは、今度こそ完全に固まった。

 あっけにとられている間に、教師のひとりが、馬を飛び降りた少女に声をかけた。


「だ、だれだね、きみは!? いきなり馬で乗りつけるなんて、非常識にもほどがある! ここにはもうすぐ、大渦国の姫がいらっしゃるんだぞ!? 衛兵、はやくこのならずものを摘まみだせ!」


 言われた少女は首をかしげて、流暢な西方語で答えた。


「姫ならば、もう到着しました」

「……はあ? なにを言って――」


 怪訝な顔で唾を飛ばす教師に、少女は言った。


「わたしが大渦国の姫、アルティ・チノです。以後、お見知りおきを」


 並んだ一同が、ぽかんと口を開けて少女を見た。

 少女は馬の顎をくすぐり、身体を撫でた。


「この子、すごいでしょう。西王国に入ってから乗り換えた子なのですが、庭園外の石塀を軽々と飛び越えて。パイリーと名付けました。百里を駆ける、という意味です。なるべく早く着きたいと思っていたので、助かりました」


 ――だからって、ふつう、庭園を横切ろうとか、考えるか……?


 そんな馬鹿なと、みんなが思っていただろう。

 事実、少女が「わたしが姫だ」と言ってからも、教師の大半は信じていなかった。

 だが。


「アル姫さま! 護衛を置き去りにしてどうするのですか!」


 五分後、普通に正門からやってきた武官らしき女護衛に説教される姫を見て、ようやく全員が「どうやらほんもののアルティ・チノらしい」と判断した。

 馬で来ると聞いていたから、きっと馬車だと思っていた。どんな場所でも、馬車で優雅に訪れるのが、令嬢のお決まりだ。


「自分がそばにいないときに襲われたりしたら、どうするのです!?」

「だって、この子がもっと走りたいと鳴くので……。庭園内はすでに貴族学園の敷地だと聞いていましたし、危険はないかと思って」

「なにかあってからでは遅いのです! まったくもう!」


 ところが、この姫。飄々と文句を言う様など、優雅さの欠片もない。

 思わず苦笑し、同時にルイスはひとつ、いたずらを思いついた。

 ガッツの服の袖を引っ張り、怪訝な顔をする騎士の耳元に耳打ちをする。


「……ああ? なんで、おれがそんなことを――」

「いいから手伝って。……頼む」


 不承不承といった様子で、ガッツはうなずいた。

 そうこうしている間に説教が終わったのか、アルティ・チノは居並ぶ教師とルイス、護衛を順繰りに見た。

 それから、亜麻布リンネルのズボンの太ももあたりを摘まみ上げて、片足を下げて膝を曲げ、ぎこちなく一礼した。


「皆さま、はじめまして。わたしが大渦国の大皇帝が娘、アルティ・チノでございます。……西王国の作法は、これで合っていますか?」


 言われて、ルイスは小さく笑う。

 気の重さは、いつの間にか吹き飛んでいた。

 いまのはどうやら、貴族女性の正式な一礼、カーテシーらしい。

 学園長がちらちらとこっちを見ているので、ルイスは彼に笑顔でうなずいた。


「ここは、僕たちが引き受けます。先生がたは、あとで正式に挨拶を」

「ほっ。で、では私たちはこのあたりで、ええ……」


 ――ほっ、じゃないんだけど。


 ともあれ、ルイスのいたずらに教師たちは邪魔だ。

 全員がそれぞれ一礼して、そそくさと校舎に戻っていった。

 残るのは、ルイスとガッツ、それから姫と女武官だけだ。


「……あの、彼らは教師ではないのですか? わたし、まずは留学のご挨拶を……」

「ああ、それはのちほど。長旅でお疲れでしょうし、まずは歓待のお茶会を。ここからは、第三王子とその護衛がご案内いたしますよ」


 ルイスはにこやかに笑って、玄関に足を向けた。


「どうぞ、こちらへ」


 うやうやしく手を差し出すと、アルティが「待ってください」と言った。


「……なんです?」

「この子、どこへ繋げばいいですか? 馬屋はどこでしょうか」


 ルイスが馬を見ると、パイリーは不満そうに、ぶるん、と鳴いた。


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