第2話

 この高校に入学して間もなくの頃、私は志鶴さんと出会った。

 下校しようと玄関を出たとき雨粒が落ちてきたのを感じたが、空は明るく晴れていた。

 私は慌てて空を見渡した。

 そして、目的のものを見付ける。すぐにでも消えてしまいそうなうっすらとした虹だ。私はしばしその虹を見上げていた。

 玄関先で突っ立っていたのだから、他の生徒には邪魔だったのだろう。速足で駆け抜けた生徒のひとりと軽くぶつかり、私は手に持っていた鞄を落としてしまった。

 さらに、鞄がしっかりと閉まっていなかったようで、盛大に中身をばらまいてしまったのだ。

 そこに通りかかって一緒に拾ってくれたのが志鶴さんだった。

 ほとんど言葉も交わさなかった。そのときは名前も知らなかった。ただ、やさしい先輩だなと思った。ただ、それだけのことだった。

 鞄の中身を拾い終わり「それじゃあ、気を付けてね」と笑顔で手を振る志鶴さんは、なぜだか幼い頃に見た梅の花を思い起こさせた。

 家族に梅の花を見に行こうと誘われたとき、私は乗り気ではなかった。桜の花見ならばおいしいものも食べられて賑やかだ。それに、満開の桜は綺麗だと思う。だけど、梅の花には地味な印象しかなかった。いや、梅の花自体しっかりと見たことがない。

 それに、暦の上では春と呼ばれていても、散策するには寒すぎる季節だった。

 嫌々ながらついて行ったその場所で私は衝撃を受けた。

 まだ他の木々が眠っている寒い季節に、凛として咲く梅の花はとても美しかった。辺りをふんわりと花の香で包み、やさしく春の訪れを告げていた。桜のような派手さはないが、気品がありどこかやわらかい雰囲気のその花に魅了された。

 志鶴さんと出会ったとき、私はなぜだかそのときの光景を思い出していたのだ。

 志鶴さんの名前を知ったのは秋を過ぎた頃だった。

 両親が仕事で留守にしていた土曜日の午後、志鶴さんは突然我が家を訪れた。兄貴の彼女として――。

 そのときの志鶴さんはガチガチに緊張していた。両親が不在とはいえ、彼氏の家にはじめて来るのだから当然だろう。

「は、はじめまして。あ、あの七瀬志鶴です」

 志鶴さんは私のことなんて覚えていなかった。ほんの少し顔を合わせただけの一年生のことを覚えているはずがない。だけど、私ははっきりと志鶴さんのことを覚えていた。

 登校途中や昼休み、移動教室などでたまたま見掛けると、梅の花の人だ、と目で追っていた。集会やイベントで生徒が集まる機会には、無意識にその姿を探していた。

 兄貴の彼女として紹介された瞬間、私は自分の行動の理由を理解した。私は、はじめて会った春の日から、志鶴さんのことが好きだったのだ。

 それは一目惚れだったのかもしれない。だが、実際には春の訪れを待つ植物のように、ゆっくりと成長してやっと芽吹いたような恋だった。

 自分の気持ちに気が付いて、私はどこかすっきりとした気分になっていた。気が付いたときには失恋していたのだから、もっと苦悩してもよさそうなものだけれど、そのときは、ずっと引っかかっていた棘が抜けたような気持ちだった。

 苦しさを感じるようになったのはその後からだった。

 兄貴を挟んでの交流が少しずつ増えるにつれて、志鶴さんを好きだという気持ちが育っていった。同時に、志鶴さんがウチのバカ兄貴のことを本当に好きなのだということも感じるようになった。

 恋心に気付いた瞬間に失恋をしていた。最初から何も望んではいなかった。

 だけど、それがいけなかったのだと思う

 ゆっくりと育っていく好きだという気持ちと、叶わないという諦めの気持ちがバランスよく両立してしまった。

 諦めようと思っているのに諦めきれず、好きだという想いも告げることができない。

 だから私は、志鶴さんへの想いを諦めるために図書委員になった。中途半端な距離感で想いを引きずり続けるよりも、距離を縮めることではっきりとフラれようと思ったのだ。

 志鶴さんが私にくれるやさしさも好意も、大好きな彼氏の妹だからに過ぎない。

 それを強く感じられれば、きっとこの恋を終わらせられる、そう思ったのだ。

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