10.感謝の態度

 俺は紗良さんを連れてマンションへと戻った。外にいたらあの強面の男にいつ見つかるかわかったもんじゃないからね。

 泣き止んだ紗良さんは、気丈にも昨日と同じく微笑んでいた。あんなに怖い目に遭ったっていうのに、普段通りを取り戻せる彼女はとても強いのかもしれない。


「紗良さん大丈夫? 何か飲む? そこに座って休んでなよ」


 それでも気を遣わずにはいられない。当事者じゃなくても怖かったのだ。少しくらい優しくしたくなるのが人情ってもんだろう。


「……匂うわね」

「え?」


 紗良さんが鼻をくんくんさせている。匂いって……へ、変なことはしてませんよ?


「ああ、カップラーメンの匂いだったのね」


 キッチンに置きっぱなしにしていたカップラーメンが発見される。そういえばお湯を入れてそのまま出かけたんだったな。確認するまでもなく麺が伸び切ってしまっているだろう。


「すごく濃い匂い……。食欲をそそられたわ。和也くん、ご飯食べさせてちょうだい。飲み物もお願いね。できれば温かいものがいいわ」

「なんか昨晩以上に図々しくなってない?」


 元気になってくれたのならそれでいいんだけども。なんだかなぁ、と思ってしまう複雑な男心なのだった。

 紗良さんのために食事の準備をする。と言ってもお湯を入れるか電子レンジでチンするかの二択だ。ほら、紗良さんも早く食べたいだろうし? 決して俺が料理できないとか面倒臭いだとかの理由ではない。


「それにしても、なんでこのカップラーメンは放置されていたの?」


 お湯を沸かしていると、紗良さんがそんなことを尋ねてきた。麺は伸びてるし冷めてしまったけど、ちゃんと食べるつもりだ。食べ物を粗末にしないのが俺のポリシー。


「食べる前にアスカさんから電話がかかってきたんだよ。紗良さんが大変なことになったって言われてさ」

「それを聞いて、すぐに来てくれたのね……」


 紗良さんが身体ごと俺に向き直る。綺麗な姿勢の正座で、膝の前で手を置いて俺を見つめる。


「え……」


 彼女が行った次の行動に、俺は固まってしまった。


「和也くん……。ごめんなさい。そして、ありがとう。私を助けてくれて……本当にありがとう……」


 深々と頭を下げられて、涙交じりに感謝までされて。俺は何も言えなくなった。

 紗良さんがこんなことをするだなんて思ってもいなかった。

 余裕そうに微笑んでいて、俺を頼りたいと言いつつも軽く見ているようで。彼女の態度から、そういう性格なんだなぁ、と諦め半分だった。

 でも、今の真剣な態度を見ていたら印象が変わった。


「……お礼だったらアスカさんに言いなよ。アスカさんが電話してくれなきゃ、俺は外にも出なかったんだから」

「アスカが……」

「うん。アスカさん、すごく心配してたよ」


 心配しすぎて連絡としては不十分だったほどだ。それを聞いた紗良さんが、頭を上げてくすくすと笑った。

 そこまで言って「あれ?」と首をかしげる。

 アスカさんから電話があって駅に向かった。すると本当に紗良さんが大変なことになっていた。そういう時系列だった。

 でも、それっておかしくないか?

 アスカさんから電話があった時には、紗良さんはまだあんな状況にはなっていなかったはず。もし紗良さんが強面の男に襲われてから俺に電話があったとすれば、彼女はとっくに車に押し込まれて連れ去られてしまっていたはずだ。


「紗良さんは、さっきまでアスカさんと一緒だったの?」

「いいえ。私、一人で電車に乗って来たんだもの」


 これは一体どういうことだ?

 実はアスカさんはタイムリープ能力者で、未来を知った彼女は俺に助けを求めて……って、これじゃあ漫画の世界の話になるって。しかもSFじゃん。

 しかしわけわからんことは同じだ。予知でもしたみたいなアスカさんの電話。それとも、大変なことってのは別のことだったり?


「和也くん、お湯が沸いたわよ」

「ああ、うん」


 考えに没頭して紗良さんに言われるまで気づかなかった。慌ててキッチンへと戻る。

 カップ麺にお湯を注ぐ。年頃の女子にカップ麺はどうかとも思ったが、紗良さんから文句は出ないようなので大丈夫だろう。むしろ興味津々っぽいし。


「はい、どうぞ。三分待ってね」

「三分待ったらどうなるの?」

「カップ麺が食べられるようになります」

「なるほど」


 ふむふむと頷く紗良さん。もしかしてカップ麺食べるの初めてなのかな?

 まあ紗良さんって外見からお嬢様のような雰囲気があるからなぁ。本当にどこぞのお嬢様なのかもしれない。……実際にしゃべってみるとそういう感じでもないんだけども。

 紗良さんは制服のポケットからスマホを取り出した。三分のタイマーでもかけるのかと思ったら、彼女は俺の方をじっと見つめていた。


「和也くんは……アスカと連絡できるのよね?」

「あ、ああ。うん、連絡先交換したから」


 紗良さんの目つきが鋭くなる。なぜか顔も赤くなっていた。


「な、なら、私とも連絡できる方がいいわよね?」

「え」


 最近の女子はこんなにも積極的なのか? それとも俺が奥手なだけ? 基準がどこにあるのかわかんないよっ。これも陰キャの弊害か。

 アスカさんに続き、紗良さんとも連絡先を交換した。今日は俺の人生で一番イベントが起こっている日なのかもしれない。

 連絡先を交換してから、紗良さんはぽうっと自分のスマホを見つめていた。時間を確認しているのかもしれない。もう三分経ってるけど。

 少し口元が緩んでいたけれど、見つめていたスマホが振動すると、紗良さんがしかめっ面を見せた。


「あの、スマホ震えてるみたいだけど。着信じゃないの?」

「ああ、別に無視しておけばいいわよ」


 本当にいいのか? ずっと震えてるし、緊急の用件じゃないのか?


「そんなことよりも……ねえ、和也くん……」

「な、何かな?」


 紗良さんがすすすと身を寄せてきた。え、なんで?

 そして、彼女は俺の耳元でこう言ったのだ。


「今夜は、二人きりね」


 艶めかしい、と言えばいいのか。俺の中にある男の部分がすごく刺激された。

 紗良さんの一言で空気まで変わった気がする。体感したことのない雰囲気に呑まれそうになる。

 なんだか紗良さんの表情まで艶めかしいものに変わった気がするし……。これ、流れに身を任せたらどうなってしまうのだろうか?

 俺を正気に戻したのは、スマホの振動だった。今度は俺の方に着信があった。


「で、電話みたいだから……で、出るね」


 慌ててスマホを持って紗良さんから離れる。相手を確認する余裕もなく画面をスワイプした。


『カズっち……。もしかして、紗良とお楽しみ中だった?』


 アスカさんの冷めた声を聞いて、彼女は本当に未来を見ているんじゃないかと疑わずにはいられなかった。


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