稲荷山の小さなお狐さま

佐々木尽左

人里の案内を頼みたいのじゃ

「そこな人よ、頼みたいことがある」


 俺は今、目の前の狐と対峙してる。いや、正確には『狐らしきもの』やな。

 その全身はほとんどが黄金色で、全ての毛が後ろに向かって流れるように並んどる。口の下から腹の辺りまでは真っ白な雪のようや。けど、足先はわずかに黒い。動物の毛並みについてなんて俺はわからんけど、汚れひとつないその姿は綺麗に思える。どっかの金持ちが金に飽かせて手入れしてるように見えるなぁ。

 けどこいつは、絶対人に飼われてることなんてない。たったひとつだけやけど、普通の狐とは決定的に違うところがあるからや。

 それは尻尾。大半が体と同じ黄金色で先っぽだけが真っ白のやたらとふさふさしてる尻尾。その思わず触りたくなるような尻尾が九つもあるからや! あのふさふさが九つも! もっふもふやで!


わらわの名は玉尾たまお、『九尾の狐』と呼ばれておる」


 なんでそんなんがお稲荷さんにおるんや!! 狐違いやろ!

 しかもしゃべってるし。一体どうやって声出してるんや?


「えっと、あの、もしかして、中国やインドで美人に化けてた方ですか?」

「それは玉藻たまもじゃろう。妾は『た・ま・お』じゃ。あんな淫売とは違う!」


 あ、ちょっと不機嫌になった。

 九尾の狐と言えば、中国や殷の妲己だっきと周の褒似ほうじ、インドの華陽夫人、そして日本だと玉藻前という美人に化けて偉い人を翻弄したことで知られとる。俺はてっきり当のご本人やと思ったんやけど、そう言えば最後は討伐されたんやっけ。今思い出したわ。


「すんません。発音が似てたもんやから、聞き間違えてしまいましたわ」

「確かに似ておるからの。仕方あるまい。それで、そなたの名は?」

「え、俺ですか? 御前義隆おまえよしたかです」

「ふむ、御前か。それで、最初の話に戻るが、そなたに頼みたいことがあるのじゃ」


 おっさんになって腹回りにお肉が付き始めてきたから運動しようということで、今日は珍しく外に出た。とは言うても行く当てなんてなかったから、近くも遠くもない伏見稲荷大社に足を向けたわけや。けど、気まぐれで人気のない道に紛れ込んだら、目の前の玉尾さんに出会ってしもて今に至る。

 そしていきなり頼み事や。話の流れも何もあったもんやない。突然の出会いってゆうのがあるのは俺かて知ってるけど、これはいきなりすぎるやろ。


「それで、頼み事って何ですか?」

「妾と孫を人里に案内してほしいのじゃ」

「人里? 街を案内するんですか?」

「うむ。孫はまだ幼い故に、今までこの稲荷山から出したことはないんじゃが、そろそろ人里を見せてやろうと思ってのう」


 それやったら自分で連れ回せばええと思うねんけど、なんか都合が悪いんか?


「しかし、妾も百年以上この山から出ておらぬ故に、今の人里がどうなっておるのかよくわからんのじゃよ」


 引きこもってたんかい! 人間とは桁が違うなぁ。俺もできれば引きこもりたいけど、そんな金なんてないしなぁ。ちょっと羨ましい。


「でもなんで俺なんです?」

「人畜無害そうじゃからの」


 なんやろう、なんでか褒められた気がせんな。どうせ手を出す勇気なんてないんやろ、って足下見られてるような気分や。


「ちなみに、これ断ったらどうなるんです?」

「呪う」


 こわっ! しかも理不尽すぎる! 選択肢あらへんのかいな!

 狐の表情なんてわからへんけど、声色からやたらと真剣な様子が伝わってくる。


「さっき孫ってゆうてましたけど、そのお孫さんの親はどこにおるんですか?」

「今は旅に出ておるの」


 子育て放棄しとるんかい! いや、なんか事情があるんかもしれんけど、むちゃくちゃ理不尽やな。


「娘夫婦がおれば、人里の案内も任せておったのじゃがのう」

「ちなみに、呪われるとどんなふうになるんですか?」

「ほほほ、それはそのときのお楽しみじゃ」


 うわぁ、どうしょ。引き受けるしかないんか。けどなぁ、俺にも都合ってもんがあるさかいになぁ。


「まぁ、案内するくらいでしたらいいですけど」

「おお、引き受けてくれるか」


 嬉しそうに玉尾さんは尻尾を振る。九つもあるから羽根付きの扇が揺れとるみたいや。もふもふしたい。

 玉尾さんが一声鳴くと、竹藪の奥からとてとてと子狐がこちらへと向かってきた。姿は玉尾さんと基本的に同じやけどずっと小さい。そして、かわいらしい尻尾はひとつだけ。小ぶりなもふもふやな。


「お婆さま」

「来たか。こちらにおる人が里を案内してくれるぞ」

「わぁ、おおきに。うちは美尾みおです。人里は初めてやさかいにお願いしますね」

「あ、俺、御前義隆って言います。尻尾はひとつだけなんですね。玉尾さんの孫って聞いたから美尾ちゃんも尻尾は九つあるって思ったんやけど」

「尻尾はな、長い時間かけて修行せんと増えへんねん。うち、まだ何十年くらいしか生きてへんから、尻尾はひとつだけなんや」

「へぇ」


 最初からあるわけじゃなくて修行する必要があるんか。そして単に長生きするだけでもダメと。もふもふは一日にしてならずというわけか。




 と言うことで、選択の余地なく俺は突然であった九尾の狐の親子──正確には祖母と孫──に街を案内することとなった。

 この二匹の狐にであった場所は伏見稲荷大社やから、案内するのは京都の街ってゆうことになる。そやから案内する場所には事欠かんねんけど、問題はひとつあった。


「あのぅ、案内するんはいいんですけど、二人は狐の姿のままなんですか?」

「このままの姿やとあかんの?」

「美尾ちゃんはまだしも、さすがに玉尾さんの尻尾はなぁ。それに、できれば人の姿の方が案内しやすい」

「ふむ、やはりそうか」

「人がたくさんいるところやと特にね」


 今は春先なので行楽の時季ほどではないとは言え、京都は近年観光客が増えてきてる。そんなところへ狐が二匹迷い込んだら、騒ぎになって案内どころやなくなるかもしれんしな。


「承知した。それでは人の姿になろうではないか」

「はい、お婆さま」


 玉尾さんと美尾ちゃんはひとつ頷くと「えい!」というかけ声をあげた。すると、体が隠れるほどの大きな煙幕がわき上がる。なんてゆうか、古式ゆかしい化け方やな。

 それにしても、どんな姿になるんやろ。できれば目立たん姿に化けてほしいんやけどな。

 特に獣耳と尻尾な。作り話の中ならともかく、実際に一部分だけそんなところで人間やないって主張されても困る。ああでも、最近はそういったアクセサリーもあるからごまかせるか? いや、二人の場合は本物なんやから動かした時点であかんな。

 色々と考えているうちに煙が薄れてゆく。やがてそこから和服姿の二人が表れた。


「義隆、これでどうやろ?」

「どこからどう見ても人じゃろう」

「うわ」


 思わず口に出てしまうほど驚いた。むちゃくちゃ美人やないか!

 美尾はまるで日本人形のような出で立ちや。ほら、よく家に飾ってある子供姿の人形な。背中の半ばまでまっすぐに伸びた黒髪は艶がある上に輝き、化粧もしていないのに肌は白く唇はあかい。目は狐だけあって細く切れ長やけど、これは伝統的な日本人形と言えるやろう。

 玉尾さんも似たような感じなんやけど、髪は腰まで届いていて目は更に細長い。そして、こっちは大人になった分だけ色気がある。加えて、着物は地味なはずやのに雰囲気があでやかや。美尾の呼び方からするとてっきり老婆の姿になると思ってたのに、何でこんなに若作りなんや? 聞くと大変な目に遭いそうやから黙ってるけど。


「さて、それで義隆、どこを案内してくれるのじゃ?」

「うーん、そういきなりゆわれてもなぁ」


 正直なところなんも思いつかん。さて、一体どうしよう?

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