第10話 現世への郷愁


 バルドと別れてから数分後。


『さあ着いたわ。自分の家だと思って、どうぞくつろいでね』


(わあ……!)


 言ってティファナに案内されたのは、茶色い枯葉色が綺麗に刈り揃えられているまさに『茅葺屋根の家』そのものだった。


 壁は木材と土壁でできており、やや横に長い平屋造りは歴史の教科書で見た昔の日本家屋に酷似している。


 軒下には干し柿のように果実が並んで吊り下がっており、他に乾燥させた干し肉や、ハーブと思しき植物も同じように並んでいた。


(まるで日本むかし話みたい)


 アズーロは率直にそう思った。


 原始的な家屋の造りもさることながら、ティファナやウルドゥも含めた村民たちの服装も、どこか古代の日本を思わせた。


 年代的にいえば弥生時代~古墳時代までの間といったところだろうか。


 村で見かけた女性はティファナも含め、着物に似た合わせ襟の上衣を身に着けていた。

 下には長いスカートを履き、靴はおそらく動物の革を用いたものだ。

 ウルドゥやバルドなど、男性は同じ合わせ襟の簡素な上着と、腰を紐で縛った土色のズボンである。


 これで髪が水色でなければ、古代の日本にタイムスリップしたかと思っただろう。

 しかし彼らはみな胸元に大ぶりの首飾りをかけており、蔓のように流線的な縁取りの中心には青く輝くぎょくが淡い光を放っている。玉の中では、恐らくこの世界の文字なのだろう図形が舞うように踊り、現代日本には存在しない不可思議な力が働いていることを教えていた。


『まずは荷物を片付けんとな』


 言いながら、ウルドゥは玄関扉にしては簡素な一枚板を開いた。


 まず最初に見えたのは灰色の石造りの土間だ。

 続いて横に炊事場と思われる場所があった。

 土間の一段上には板張りの床が敷き詰められており、居室になっているのがわかる。


『アズーロはここに座っていてね』


 ティファナがアズーロを土間にあった丸い木椅子に導いた。彼女が腰かけると満足そうに頷き、背に負っていた荷物を降ろして順に片付けていく。

 その間、アズーロは室内をきょろきょろと見回した。


(あれってかまどかな? すごい。初めて見た)


 炊事場と兼用になっている土間には壁際に洗い場や竈が備え付けられており、水を貯めている大きな桶も置いてあった。


(なんだかお祖母ちゃんの家みたい……)


 アズーロの脳裏に、子供の頃に泊まった祖母の自宅が浮かぶ。


 祖父を亡くし一人で山の上に住んでいた祖母、たちばな聡子さとこは築八十年を超える古い日本家屋で暮らしていた。

 今はもう祖母が亡くなり朽ちてしまったが、アズーロはその家がとても好きだった。


 頑丈な瓦屋根や剥き出しの大きな梁、昔ながらの土間敷きは古き良き日本の姿そのもので、アズーロの住んでいた現代的でも無機質なマンションとは違って優しいぬくもりを感じられた。


(流石に、水道は通ってたけど)


 祖母の家を思い出したアズーロの口元が、僅かに緩む。


 ここは、あの家にとてもよく似ている。


 住居には、住んでいる人の性格がそのまま映し出されるからだろう。

 ティファナ達の家には穏やかで優しい空気が満ち満ちている。


『それじゃ、わたしは食事を用意するわ。あなたはお風呂をお願いね』


『ああわかった』


 ティファナは荷を片付け終わると腕まくりをして、夫のウルドゥに指示を出した。

 夫婦二人は阿吽の呼吸で、てきぱきと分担作業に取り掛かっていく。


(えっと……私ほんとに座ってていいのかな? 手伝いたいけど……)


 心が落ち着いてきたせいか、アズーロは大分冷静に考えられるようになっていた。

 ティファナには座っているように指示されたが、このまま何もせずにぼうっとしているのも気が引ける。 しかし、手際よく動いている彼女の背中を見ていると、声をかけて邪魔するのも憚られた。


 それに正直なところ、どう見ても電子機器など無いこの場では、あまり自分が役に立てるとも思えない。


(私ってほんと、何もできないんだな……だけど、これからどうしたらいいんだろう。どこに行けばいいのかも、わからない)


 今後の生活含め、不安要素があり過ぎて途方に暮れてしまう。

 ティファナ達に出会いこうして付いてきたが、それも迷惑ではないのだろうか。

 かといって、行く当てなどあるはずもなく。


(考えたらきりがない……それにすごく、疲れちゃった……)


 精神的な疲労が身体へも押し寄せているのかもしれない。

 何かしなければ、と思いながらも、心身ともに疲れ切っているアズーロは動けずに、ただぼんやりとティファナの背中を眺めた。


(お母さんも友達も、今頃どうしてるかなぁ……)


 父親の愚痴ばかり言っていた母だが、アズーロにとっては普通に、むしろ世間一般的に見れば良い方の母だと思う。


 食事の支度も洗濯もやってくれたし、毎年誕生日にはケーキを買ってきてくれた。

 数回手を上げられたこともあるが、たいして痛くなかったし、理不尽なことを言われたこともあったけれど、今思えばそれもたいした話ではなかった気がする。

 そう思えるのは、もう帰れないかもしれないという前提があるからだろうか。


(異世界とか……流行ってたけど。実際そんな良いもんじゃないなぁ……)


 ふ、と空笑いが零れ出た。


 元の世界では友達と異世界転生系の漫画やアニメについて話したりもしたが、実際そうなってみると憧れていたものとは全然違った。


(あんな怖い思い、もう二度としたくない)


 けれど、ここにいる以上いつ何時あれと同じことが怒らないとも限らない。

 今思えば、アズーロがいた世界はとても平和だったのだと思う。

 少なくとも、彼女が生きていた場所だけは。


「帰り、たい……」


 椅子の上で、アズーロはぽつりと郷愁の思いを呟いた。


 それはあの女達の声と同じ言葉。


 きっと、父も母も、娘が異世界にいるなどとは思いもしないだろう。

 誰も、助けてくれる人はいないのだ。

 ティファナ達だって、明日からはどうなるかわからない。


(お祖母ちゃん、私、どうしたらいい?)


 アズーロは胸の中で亡き祖母を思った。


 彼女と同じ、ある意味別の世界にいるであろう祖母なら……答えを知っているのではないか。

 そんな風に思えて。


 郷愁に胸を焦がしながら、彼女はまた滲み出しそうになる涙をぐっと、堪えていた。

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