その存在を愛と呼ぶことにした

シェマ

第0話「夢」

 プロローグ

 

 ──いつも同じ夢を見る。


「ひっく、ひっく……」

 

幼い子どもが肩をふるわせ泣いている。

顔はよく見えない。 


「ひっく……ううっ」


 ──うるさい。

 子供は苦手だ。すぐ泣くからだ。


「……ぁさ」


 ──何だ?


「ひっく……ぁん」

 

──よく、聞きとれない。もっと、聞きとろうとして近づく──。


「はっ!?」

 目を覚ますと、幼い子どもの姿はなく、いつもと変わらぬ自室だった。


 ──呼吸が荒い、ひたいには汗がにじんでいる。どうやら、夢にうなされていたようだ。


「ちっ、……またか」


 自分の居城きょじょうである魔神城イレク=ヴァドの頂上にある自室で、魔神フェスは一人、苛立いらだっていた。燃えるような赤い髪と光り輝く黄金の瞳、頭部にある二本の角が特徴とくちょうで、年齢は不詳ふしょうだが見た目は二十代後半くらいに見える。人間でいうところの美形だろう。

 

しかし、その美しさとは裏腹に、冷酷非情な性格をしている。気に入らないものは力でねじ伏せ、気に入らなければ殺す、そんな魔神である。

 

「くそっ、一体何なんだ、あのガキは……」


 あの夢を見始めたのは、ここ最近だ。それからずっと毎晩見続けている「いい加減にしてくれ」と思う。

 

フェスは、はぁっと深くため息をつき、ベッドから起き上がる。不機嫌そうに窓の外を眺めた。外は赤くにごり大地には瘴気しょうきが立ち込めている。草木も生えない荒れ果てた土地だ。はるか遠くの方では、たくさんの魔物達が殺し合っているのが見える。魔界ルナスでは変わらぬ日常だ。

 

コツ、コツ、ガチャリ──。


「フェス様……おはようございます」

 

ドアが開き、側仕えが朝食を持ってくる。それを静かにテーブルに置くと、フェスの脱ぎ散らかした服を、丁寧ていねいに拾い上げカゴに入れていく。ベッド下に落ちていた古びたクマのぬいぐるみに気づき、取ろうと手を伸ばす……。


「それに触るなっ……!」

 

フェスが手をかざした瞬間──。


 (ドドーンッ!!)


 爆発音とともに側仕えが吹き飛ぶ。部屋中に焦げた匂いがもくもくっと立ち込める。

 しばらくして煙が晴れると、そこには無残な姿の側仕えがいた。衣服は焼け落ち、全身黒こげになっている。もう息をしていないだろう。

 

フェスは落ちたぬいぐるみを拾い、大切そうに枕のそばにそっと置いた(他人に触られると気分が悪くなる。いつ誰からもらったか記憶にない。捨てようと思ったが何故かできなかった)


「フェス様……魔界議会の時間です」

 

ドアの向こうから声がした。議会の知らせに別の側仕えがやって来たのだ。フェスは着替えを済ませ、自室を後にした。 


◆◆◆◆◆

 

「フェス様、おはようございます!」

 

廊下に出ると、悪魔達が横一列にズラッと並び、頭を下げあいさつする。


(……ゴミ共が)

 

フェスは、ふんっと鼻で笑い歩きだす。生まれた時から魔神として君臨しているが、崇められているわけでも、敬われているわけでもない、むしろ疎まれていると言ってもいいだろう。


だが、フェスは自分の力には絶対の自信があった。本気になれば、ルナスを一瞬にして滅ぼす事もできるだろう。それくらいの力を持っている。魔界では力こそ正義なのだ。今までずっとその力を誇示してきた。そして誰も逆らえない。

 

「さて、今日はあの事件の報告を聞くか」

  

 謁見の間の豪華な装飾が施された大きな扉の前に来ると、二人の兵士が槍を構えて立っている。兵士は大きな扉を開けると、 入り口の両側に並ぶ。

 

フェスは赤い絨毯じゅうたんの上を歩き、王座に座る。肘掛けに腕を乗せ、ゆっくりと足を組み、集まった臣下達を見下ろす。そこには、魔界中の名のある悪魔貴族達が勢揃いしている。皆、フェスを見て頭を下げた。


(くだらない奴等ばかりだ)


 内心、フェスは毒づく。いつも思う事だった。この場にいる悪魔達は、皆自分が一番偉いと本気で思っている愚か者達ばかりだった。だが、今はそんな事を考えている場合じゃない。


 フェスは魔界議会の開会を宣言して、すぐに議題を出した。ここ最近の起きている事件のことだ。その事件について、一人の悪魔貴族が立ち上がった。臣下はルナスでも名のある貴族だ。臣下は、今回の事件の概要を説明し始めた。


「ご報告します。このルナスで起こった事件を調査いたしました……」


 臣下の説明によると、悪魔達の影を奪い取る者が、最近魔界に現れたらしい。その者が狙うのは、ルナスの中でも大きな力を持つ悪魔たちだそうだ。そして奪われた者は魔力も失っていた。その者の名も性別も不明。


「私が調べた限りの情報では、襲撃者に襲われたのは主に四人の大公爵家です」


 そう言うと、臣下はリストを配った。そこには四つの家の名と、それぞれの当主の名前が載っていた。それはどれも聞いたことのある貴族達の名前だった。


「………」


 皆が沈黙した。それも当然だろう。影を奪われるのはたいして重要ではない。だが魔力は悪魔にとって己の権力に繋がる。しかも、その四つの家は誰もが知る有名な権力者なのだから。


「……これは本当なのか?」


「はい、間違いありません」


「一体どうすれば良いのだ!?」


「このままでは我々の地位も危ないぞ!」


 次は自分たちの番かもしれないと、貴族たちがザワザワと騒ぎ出した。確かにこの状況は非常に危険である。フェスは腕組みをし呟く。


「野郎……何が狙いだ? 俺の魔界で好き勝手にはさせねぇ」


 フェスは自分の庭が、荒らされた事に激しい怒りを覚えた。肘掛けをバンッと叩き、声を荒らげて言った。


「そいつを、必ず見つけ……」


 ──その時だった。


「影を奪われると、力を失う……面白い能力を持っているね。その襲撃者」


 貴族たちではない、心をくすぐる甘い声が、どこからか聞こえてきた。全員が振り返ると、扉の前に青い長髪の男が立っていた。フェスは険しい顔で男を睨みつける。


「スィ……てめぇ、何の用だ?」 


 スィはふふっと笑みを浮かべながら王座に近づき、フェスの目の前に立つ。そして桃色の柔らかな唇が開き、ささやくように言った。


「相変わらず、つれないな。フェスは、そこが愛おしいとこなんだけど。ふふっ、僕は君のたった一人のだよ?」


「あぁ?家族だ? ふざけた事を言ってんじゃねぇ!議会の邪魔だ。とっとと、消えろ」


 ハエを追い払うように顔の前で手を、ひらひら振り拒否を示したが、スィは涼しい顔で微笑ほほえみ返す


 (ちっ、忌々しい……こいつが家族だって? 冗談じゃない。俺にはそんなものはいない)

 

 フェスは幼い頃の記憶がほとんどない。いつ生まれたのかも、親の顔さえも。覚えているのは、冷たい暗闇と痛み。それはまるで、地獄のような日々。フェスはそんな地獄の中を逃れるために、昔の記憶とともに、己の心を切り離す事を決意したのだ。


 そうしなければ生き残れなかったからだ。切り取った心は人の形となり、新たな命を得たのだった。それが今ここにいるスィである。


 スィはフェスと同じ容貌ようぼうをしているが、血のような赤い瞳、右目には泣きぼくろあるのが特徴的とくちょうてきだ。魔力も互角。しかし性格は全くの正反対で、明るく社交的。時折ときおり、議会にふらっと訪れてはこうしてちょっかいをだしに来るのである。フェスはそんなスィが苦手だった。


「ねぇ、聞いている? フェス」


 不思議そうにスィはフェスの顔をじっとのぞき見る。


「うるせぇ! 黙れ!」


フェスはイラつきながら怒鳴りつけた。


「ふふっ、ごめん。怒らないで? そうだ、今度一緒に食事でもしよう」


「ふざけんな。てめぇとは、飯なんざ食わねえ」


 (こいつがいると、議会にならねぇ……今日はここまでだな)


 フェスは軽く舌打ちをし臣下達に引き続き事件の捜査と襲撃者の捕縛を命じた。


「あれ? もう、終わりなの?」


 白々しいスィの言葉を聞き流し、謁見の間を後にする。後ろで追いかけて来たスィが、何か言っているが無視しササッと廊下を歩きだす。


 ◆◆◆◆◆

  

(あいつの相手は疲れる)

 

 スィの明るい口調が気に障った。いつもなら適当にあしらうが今日は何だか苛立ちが収まらない。きっと朝に見た夢のせいだ。気持ちが治まらず、一度自室に戻る事にした。


フェスはベッドの上に寝転び目を閉じた。ふと、あの夢を思い返してしまう。幼いこどもは泣いていた……。どうして泣いているのか思い出せない。いや考えるのはよそう。自分には関係ないことだ。


「…………」


 フェスは横に寝返りをうち。ゆっくり目を開けると、暗い部屋の中、目の前に一人の黒いローブを着た女が立っていた。


その女は「見つけた」と言って笑った──。


「誰だおまえは?」


「……私の名はモーリー。影の魔女、あなたの影を貰いに来たわ。魔神様」

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