あいつ 7
院長としては定期的に新人を採用しなければならない。
そのためには人材供給源の大学とは昵懇になっておくと都合が良い。
大学とよしみを通じておくにはお金も掛かろう。
だが、そこは必要経費としてどうとでもなる。
結果として大学との関係もつかず離れずで保てるのだから安いものだ。
大学での覚えがめでたければ、優秀な学生を代診として回してもらえるだろう。
自院に優秀な代診がやって来れば仕事も捗る。
おまけに最新の知識が手に入って院長の向学心も増そうというものだ。
そんなこんなは、代診を使う昭和の院長の利点だったろう。
だが反面、代診を使う上で昭和の院長にも多大の負担が伸し掛かった。
先の責任問題に関わる信用や経済上のリスクは恐ろしかったろう。
リスクを取り手塩にかけて代診を育ててもあれだ。
一人立ちできるほどの能力を身につければあっさり病院を辞めていく。
ようやく使えるようになった代診は、優秀であればあるほど早期の独立を志向するだろう。
その必然は変えようがない。
おまけに巡り合わせが悪ければ、独立した代診が経営上のライバルとして目障りな存在になることだってありうる。
『代診は消耗品』
力不足で自信の無い院長の耳には、そんな悪魔の囁きが聞こえてくることがあったかも知れない。
だからこそ、とも動物病院でも濃厚だった研究室的ノリの共同幻想は有用だった。
雇用者と被雇用者の関係性を法的にも制度的にも曖昧にする。
双方の気持ちを師弟と言う型にはめ、伝統芸能の伝承的因縁で結びつく。
そのことは院長にも代診にも大変有用だったのだ。
しかしながら、動物病院の仕事はサービス業である。
クライアントは最上最良の専門的知識と技術を期待して対価を支払う。
となれば動物病院の昭和的実状は、コンプライアンス重視の現代では持ちこたえられそうにない。
クライアントはいつの時代だって、院長にも代診にもプロとしての振る舞いを求める。
この点で代診には弱い部分がある。
今からお話しすることは、あくまで僕個人が昭和の時代に持っていた意識であることをお断りしておく。
あの当時だってどの代診も意識が甘かったとは言わない。
まして現代では僕がかつてそうであったような半端なやつは皆無だろう。
実際、院長以上にプロの責任感と義務感を背負い込んで診療に当たっている。
そんな代診が今も昔も俄然多数派だろう。
そこに疑いの余地はない。
しかしながらこと僕に関しては、あきらかにポンコツで甘ちゃんの代診だったことを認めよう。
前の病院でも。
とも動物病院でも。
代診としてシビアなプロの責任感と義務感を持って仕事をしていたか。
そう問われれば、決してそうではなかったと告白せざるを得まい。
自分は修業中の身で不完全な未熟者という言い訳を常に用意していたと思う。
人間関係のノリから学生気分が抜けきらなかったこともある。
僕は前の病院でも。
とも動物病院でも。
代診時代にはそれなりに真面目に、一生懸命仕事をしていたつもりだったのだ。
だがいざ自分が院長と呼ばれる立場になってみればである。
事ある毎に代診時代のあのときそのときの失敗がまざまざと蘇る。
すると。
『随分と責任や義務と言う心理的負担を、前の院長やともさんに肩代わりしてもらっていたものだ』
そのことに思い至るわけで、今となって汗顔しきりではある。
まあしかしながら時代は変わった。
令和の世では、動物病院も企業としてしっかりした存立基盤を持つようになった。
各種社会保障。
週休二日。
有給休暇あり。
そんなことは最早普通で当たり前のことだそうだ。
代診も修業と言うよりは就職という意識が強くなった。
一事が万事、ビジネスライクになってきているのだという。
いや、最早代診という言葉自体が死語となっているやもしれぬ。
昭和を懐かしむ輩には異論もあろうが、それは紛れもなく良いことだ。
信賞必罰。
病院は代診に能力なりのことを求める。
代診も能力なりに仕事をこなしていく。
令和の御世。
代診はあてがい扶持の内弟子ではなくなった。
徒弟制の理不尽も解消されてただの先生に地位が向上した。
多分そう言う事なのだろう。
その代わりと言っては何だが、残念なこともありそうだ。
昭和の時代と違って若い先生方は、現場の知識や技術の習得が少し難しくなるかもしれない。
考えてみればどこの世間だって、学校出たての若者に大きな仕事を任せはしない。
何年か仕事に慣れさせてから、少しづつ複雑で難しい仕事を教えていくだろう。
僕は代診生活一ヶ月目で猫の避妊手術をやらせてもらった。
考えてみればそのときの院長はいい度胸をしていたと思う。
おかげさまで沢山失敗もしたが比較的短期間に、様々な経験を積むことができた。
かつてのように、新卒の代診にどしどし難しい仕事を仕込んでいく。
むしろそのことの方が常識はずれだったのかも知れない。
企業化した病院でそれこそ普通の会社と同様。
個人の能力に応じて細分化した仕事を少しづつ覚えていく。
これが本来あるべき姿なのだろう。
僕はとも動物病院で、それこそ手取り足取り知識と技術を仕込んでもらった。
ともさんと僕は院長と代診と言うより、マスターとパダワンみたいな関係だったと思う。
少しづつ難易度が高くなるように、手術を経験させてもらった。
一般診療に関しても症例のカンファレンスが必ずあって、課題も与えられた。
ともさんはまるでジェダイマスターようだった。
ともさんに言わせれば理解していれば人に教えられる。
教えられないと言うことは自分の理解が足りないからとのことだった。
「パイに教えるってことは、俺の勉強不足を知るってことでもあるんだぜ。
お前に突っ込まれて答えに窮する。
そんなべらぼうなざまを晒せるかってんだ」
ともさんの口癖だった。
今となってはそんな昭和のともさんに、感謝の気持ちしかない。
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