あいつ 4
心配はと言えばともさんの性格だった。
今時珍しく一本気というか。
馬鹿正直と言うか。
ともさんは社会正義に対しては学級委員のような所があった。
僕の目論見もそうしたともさんというインサイドから瓦解する可能性があったのだ。
案の定、一日二日もしないうちに、内心の葛藤を逸らすためなのだろう。
ともさんはこそこそと、あいつに上等な餌をやり始めた。
病院の裏手で、いかにも人目をはばかるという風情は怪しさ満点だった。
きょろきょろ辺りを見回し、猫に何事か話しかかけながら餌を与えている獣医である。
野良猫の管理と言う側面で見れば職業倫理を問われかねない。
少なくとも市役所の職員に目撃されればあれだ。
イエローカードを出されても仕方がない不調法と言える。
とにかく、あいつにこっそりモンプチをご馳走しているともさんの姿を目撃したあの時。
僕は情けないやら恥ずかしいやらで思わず笑ってしまった。
「ともさん。
そこで何やってるんですか」
ともさんはびくっと肩を震わせてこちらを向くと、悪戯を見つかった子供のようにはにかんだ。
「いや、にゃんたはるいさんの猫だからな」
「何が“いや”ですか。
答えになっていないじゃないですか。
そう言うのを語るに落ちるって言うんですよ。
なんだか悪いことをしているみたいにこそこそと。
そんなところで猫に餌なんかやってたらすごく不自然で滅茶苦茶怪しい感じですよ。
見た目野良猫に餌をやる獣医なんてシャレにもなりません。
市役所に投書されますよ?」
「パイよ。
そうは言うがどうも俺はだな。
色々と考えちまってなんだか辛いんだよ。
そうだ。
俺の代わりにおまえがにゃんたにご馳走してやってくれ。
おまえならこう言ったことは自然にできそうだ。
人には得手不得手があるからな。
悪巧みと陰謀はおまえに任せた」
ともさんは名案とばかりにひとりで肯いていた。
「それはいいですけど、ともさん。
僕がいったいどういう人間だと思っているんですか。
それににゃんたを接待したって、怪我した猫達への罪滅ぼしなんかになりゃしませんよ?
仕事を増やしてくれたお礼って言うなら分かりますけど」
僕も少し意地悪が過ぎたかも知れない。
ともさんは本当に、何をどうしたら良いか分からなくなっていたのだろう。
「お前さんがどんな人間だってか?
マキャベリ、清川八郎いやダースベーダーってところ?
パイよ。
暗黒面はおまえにまかせた。
これは院長命令ね。
フォースと共にあらんことを!」
ともさんは、ちゃっと片手を上げるとスタコラ逃げ出した。
あいつにご馳走することと、咬傷猫による収入増のからくりに対するともさんの罪悪感。
そのふたつがどこでどう繋がって合理化できるのか。
奸計を巡らす陰謀家の烙印を押された僕としても、とんと見当がつかなかった。
ともさんの心情を考えればあいつへのお礼のご馳走とは思えない。
もしかしたらともさんは餌をやりながら。
暴力的なあいつの私生活に苦言を呈してる?
無差別テロ行為をやめるよう説得に当たっている?
そんなところだったのかも知れない。
しかし相手は人語を解さぬ猫だ。
ともさん的には、餌やりを僕に見つかったことで最終的には自分の偽善を潔く認めた。
そうしてにゃんたがとも動物病院にもたらして下さる仕事の上りを考えた。
上りの高を考えて最終的には良心より実利に転んだのだろう。
そうと一度決まれば、あいつのご苦労を労うことはふたりの暗黙の了解となった。
時折ふらりと姿を現せば必ずご馳走する。
あいつへの接待饗応は、院長命令で僕の仕事の一つとなった。
自分の偽善を認めてからと言うもの。
ともさんには怪しい振る舞いも見られなくなった。
考えようによっては随分といい加減な正義感だった。
僕が接待の肩代わりをすることで、正義感と偽善を廻る師匠の葛藤が見事に晴らされたわけだ。
元々良心の疼きとは無縁の僕だった。
ここでともさんの代わりに泥をかぶるのは、弟子としてむしろ男子の本懐と言えた。
経理担当としては嬉しいことに、にゃんたは報酬に応じた良い仕事をしてくれた。
あいつがせっせと無差別テロに励んでくれたお陰様が大きかったろう。
月末の支払いも恐るるに足らず。
そこまではいかなかったが、確かに増収という結果は出ていた。
しかし良いことは、いや悪いことは長くは続かない。
町内テロの下手人がにゃんたと知れてから一月と経たない内のことだった。
とも動物病院の財政に貢献したあいつの大活躍は、思いもかけぬ結末を迎えることになる。
その夜、両足ダブル骨折の子犬が退院して、がぜん懐が暖かくなったとも動物病院のスタッフ一堂は大いに浮かれていた。
スタッフ一堂、即ちともさんと僕は閉院後、近所の焼き肉食べ放題の店に繰り出したのだ。
ともさんと僕はすっかり粗食になれた五臓六腑に、久々の動物性蛋白質の供給をしてやった。
全身の細胞一つ一つに滋養が行き渡った恍惚感に、僕たちは酔い痴れた。
もちろんその酔いには、これまた久々の生ビールが力を貸してくれていた。
ともさんが少しうわずった声で大ジョッキを注文してくれたときにはアレだ。
僕の胸は幸せのあまり、はち切れそうになってしまったものだ。
そんなこんなで、明日の朝は確実に腹痛が予想されるほどに。
たらふく肉を詰め込んだ二人が、ふらふらと上機嫌で病院に帰ってきてみると。
病院のエントランスの前に誰かが立っていた。
るいさんだった。
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