第36話 狼少女達の憶測
ハイネと一緒に、ここから脱出する。けど問題は、そのための手段だ。
今頃トワ達は躍起になって、アタシ達を探しているはず。簡単に逃がしてはくれないだろう。
「ハイネはここに来ること、誰にも言ってないのか? そいつが騎士団にでも連絡してくれたら、助けが来るのを待つけど」
パルメノン卿は今の騎士団に厳しい評価を下していたけど、それでも悪事が明るみに出れば、黙っちゃいないだろう。
だけどハイネは、難しい顔をする。
「一応、エミリィには言ってある。だけどパルメノン卿の意見を聞きたいから行くって言っただけで、トワ先輩が怪しいとは言ってないんだ。あの時はまだ半信半疑だったから黙ってたけど、俺が甘かった」
「仕方ねーよ。きっとアタシでもそうしただろうしな。そのエミリィが気づいて、騎士団に連絡してくれるってことはないか? アイツ、頭いいんだろ」
「可能性はある。けど、相手はパルメノン家だからな。確証もなくここに踏み入るのは難しいだろう。もしも今、騎士団が屋敷の前に来たとしても、門前払いされる気がする」
なら、助けを期待するのは難しそう。
パルメノン卿は、太陽の騎士団は厄介者扱いされてるって言ってたけど、それでも簡単にはいかないよな。
「じゃあもしもトワが怪しいって気づいてくれたとしても、証拠がなけりゃどうしようもないってことか」
残念、とため息をつく。
だけどハイネがふと、思い出したように言う。
「そういえば、その事なんだけど」
「ん、どの事?」
「トワ先輩が怪しいって気づくかどうかって話。赤い月がやけにあっさり潜入できてたり、ダンスの相手を知ってたからおかしいって思ったのもあるんだけどさ。俺が一番違和感を持ったのは、あの仮面の男だったんだ。アイツが、トワ先輩だったんだよな」
「ああ。最初は別人だったけど、途中からトワと入れ替わってたらしい」
そういえばハイネは、トワが仮面を外して正体を明かした所は、見てなかったっけ。
「会場で仮面の男と戦った時、俺のことを知ってるようなことを言ってたから、それで正体に気づいたんだよ。ぬるい稽古はしていないとか、動揺するのは悪い癖だとか」
「そう言えば、そんなこと言ってたような」
「それが解せないんだ。相手はトワ先輩だぞ。仮面で顔を隠していたからって、簡単に違和感を持たれるような、雑な演技をするかな?」
「ん、んんー? 言われてみれば確かに」
今回のトワのように、正体を隠して知り合いと話す時、バレないコツは極力喋らないこと。
声や話し方、自分しか知らない情報をうっかり漏らしてしまって、そこからバレる可能性があるからだ。
なのにあの時のトワは結構ベラベラ喋っていたし、さっきハイネが言ったように、違和感を抱くような事も何度も言っていた。
「緊張して、ボロが出たとか?」
「トワ先輩がそう何度も、うっかりすると思うか?」
「いいや思わない。トワは昔からしっかりしてて、頼りになる男だもん。あと、優しくて面倒見がいいんだよな」
「それは今関係あるか? けど分かるな。ミスらしいミスなんてしない、完璧超人。あれは男でも憧れるし、尊敬する」
「だろう!」
盛り上がるトワトークに嬉しくなって、ドレスの中で尻尾がブンブン揺れる。
だけど……はっ! こんなこと語ってる場合じゃない。
今アタシ達はそのトワに、命を狙われてるんだ!
「もっと気を引き締めないとダメだな。トワはもう、敵なんだから」
「ああ、敵だ。敵のはず、なんだけど……。話を戻そう、そのトワ先輩がこう何度もミスをするなんて、らしくないとは思わないか?」
それは確かに。珍しいと言うか、トワらしくないとは思うけど。
「何が言いたいんだ?」
「これは俺の憶測なんだけどな。しかも俺達にとって都合のいい、楽観的な考えなんだけど……もしかしてトワ先輩、わざと俺達にヒントを残してくれてたって可能性はないか?」
「ヒント? 待てよ。そんなことしたら、自分の仕業だってバレるだろ」
現にアタシもハイネも、仮面の男がトワだって途中で気づいた。
今のところ向こうの有利に変わりないけど、わざわざそんな自分の首を絞めるようなこと、するはずがない。
だけど。
「バラすのが目的だったとしたら? そもそも今回のトワ先輩は、ツメが甘すぎるんだ。実を言うと俺は、お前はもう殺されているんじゃないかって思ってた。けど生きてるどころか拘束もされていなかったから、驚いたぞ」
「元々は縄で縛られてたよ。けど、マアロの香りでアタシを無力化できるって証明するため、縄を切って……」
「そいつは初耳だけど、証明して何になる? 殺す相手に自分の有利性を見せて、悦に浸るつもりだったのか? あのトワ先輩が」
それは、まあ。いつどんな邪魔が入るか分からないし、現にこうしてアタシは逃げている。
余計なことをしないでさっさと始末しておけば、面倒なことにはならなかっただろう。
こんなの、トワらしくない。
「さっき言った通り、これは都合のいい考えになるんだけど。もしかしてトワ先輩はお前を殺すのを、躊躇っているんじゃないのか? 本当はお前に、逃げてほしかった。縄を切ったのなら、そういうことなんじゃ」
「はあ? 確かにあの状況じゃ逃げてもおかしくなかったけど、でも何のために?」
結果的にアタシはトワに立ち向かって行って、無力化されたわけだけど。
けどハイネの言う通り、あの時縄を切るのは確かに迂闊な気がする。
「そもそもトワ先輩は、そもそもこの計画に反対なんじゃないか? だからわざと俺が気づくようなことを言ったり、お前を殺さなかったりして、パルメノン卿の足を引ってるんじゃ」
「待て。それは確かに都合のいい考えだけど。それなら自首して、悪事をバラしちまえばいいんじゃ」
「ああ、そうだ。けどそれができない、裏切ることができない呪いが掛けられてることが、さっき証明された」
「えっ……あっ、呪薬!」
そうだ。パルメノン卿は曾孫であるトワにも、裏切らないよう服従の呪薬を施していたんだ。
なら、裏切りたくても裏切れない。もしかして、本当はこんなことは望んでいないのか? アタシ達を、助けようとしてる?
呪薬に抗がいながら、自分の正体に繋がるヒントをくれたり、殺すのを先伸ばしにしてくれてたってことなのか。
「証拠なんてないけどな。一度そうだと思い込んだら、何でも都合のいいように思えてしまう。けどトワ先輩が本調子じゃないのは、確かだと思う。でなきゃ、お前はとっくにこの世にいないはずだ」
「嫌な言い方だけど、説得力がある。トワが本気だったら、こんなに詰め甘くねーもん」
考えれば考えるほど、そうかもしれないって思えてくる。
もちろんこれらは、ただの都合のいい妄想なのかもしれない。
鵜呑みにするのは危険。生き延びるためには、むしろ楽観的な考えは捨てるべきだろう。
だけど、だけどそれでも……。
「お前はどう思う? 先輩、好きでこんなことやってると思うか?」
「思わない。つーか、思いたくない。アタシはトワが好きだから、盲目になってるだけかもしれないけど、今までのが全部嘘だったなんて、やっぱり信じられない」
「ああ、俺もだ。前にお前がモシアン先輩に怪我させられた時、トワ先輩はすごく怒っていた。あれが騙すための演技だなんて思えない。きっと本気で、お前のことを大切に思っていたんだ。けど、呪薬のせいで……」
聞きたくない命令を、無理して受けているってことか?
もちろんこれは想像で、本心なんて分からない。だけどそれなら。
「じゃあさ、トワをぶっ飛ばしてでも、本音を聞き出せないか?」
「ぶっ飛ばすって。相手が誰だか言ってるのか? そもそもお前まだ、トワ先輩のこと……」
「言うな。アタシだっておかしなこと言ってるって、分かってるんだ!」
好きな人をぶっ飛ばそうとする女が、どこの世界にいるって言うんだろうな。
だけどもしも本当に嫌々従っているんなら、それを確かめたいし、助けてやりたい。それまでは、死んでも死にきれねーよ。
生きなきゃならない理由が、また一つ増えた。
「だったら、俺も力を貸すよ。俺だって、昔呪薬のせいで苦しんでいたのを、トワ先輩に救われたんだ。先輩が俺達を騙していたとしても、それだけは変わらない。本心を聞き出そうぜ」
「ああ!」
ハイネが協力してくれるなら心強い。けど、まだ問題はあるんだよな。
それはアタシが、マアロの花の香りを嗅いだら力が抜けちまうってこと。
厄介な調教をしてくれたもんだよ。何か対策ができればいいんだけど……。
「ん、待てよ。そういえばここって」
「どうした?」
「ちょっと待ってくれ。たしかこの中に……」
アタシは部屋の奥に置かれていた、化粧台の中を物色する。
ここはドレスの着付けの時に来た部屋。記憶通りなら化粧台の中に、確かアレがあったはず。
だけど、物色していたその時。
「この部屋、鍵がかかっています」
「もしや、ルゥ様とハイネ様はこの中に? 大旦那様とトワ様に連絡を。あと、鍵も持ってきて!」
ドアの向こうから、聞きたくなかった会話が聞こえてきた。
今の声、あの人狼のメイド達か? マズイ、急がないと!
「どうする? 奴らもうすぐ、ここに入ってくるぞ」
「じゃ、じゃあ敵が集まる前に飛び出して、蹴散らしながら出口を目指すってのはどうだ?」
「とても作戦とは呼べねーけど、それしかないか。で、さっきからいったい何を探してるんだ?」
「今見つけたよ。これだ!」
化粧台から取り出したのは、瓶に入った香水。
着付けの時、メイドさん達とこれはないなって言っていた、人狼にとってメチャクチャキツい匂いのする香水だ。
瓶を開けると、強烈な匂いがぷーんと漂ってくる。
うっ、キツい。だけど、マアロの香り対策のため。自分の鼻めがけて、中身をドバッとかけた。
「うっ、臭っさー!」
「おい、こんな時に何ふざけてるんだ!」
「べ、別にふざけてなんか……。こ、これでアタシの鼻は、使い物にならなくなった。マアロの香りを、嗅ぎ取れなくなったはずだ」
これぞ捨て身の防衛方法。
強烈な匂いで全身の毛が逆立ち、頭がくらくらするし鼻がバカになりそうだしで、もう最悪。けど、マアロの花の香りで無力化されるよりマシだ。
それと、この格好も何とかしないとな。ヒラヒラしたドレスじゃ、動きにくいったらありゃしない。
やっぱりアタシに、きらびやかなドレスなんて似合わないや。
トワ、メイドさん達、せっかく用意してくれたのにゴメン!
スカートをビリッと破いて、ももの辺りまで捲り上げる。
「ちょっ、何やってるんだよ!」
顔を赤くするハイネをよそに、アタシはスカートを縛ってずり落ちないようにする。よし、これで動きやすくなった。
「あ、そういうことか。やっぱりお前、ドレス着て踊ってるより、ワイルドな方が似合うな」
「アタシもそう思うよ。さあ、敵が集まってくる前に行こう」
「ああ」
ハイネは目を赤くさせて、呪薬の力を使う。
アタシは全身に狼の毛をはやす、変身を行う。
これで準備はできた。悪いけど、パルメノン卿の思い通りになってたまるか。絶対に生き延びてやる。
アタシ達は頷き合うとドアへと近づき、勢いよく開いた。
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