転校、ラピス学園
第1話 転校生は狼少女
人がいっぱいいる。それも魔族でなく、人間の男女が。
目の前に広がるのは、本で見たような机の並ぶ学校の教室。
少し前までアタシがいた学校とは違う広い教室の中には、男女それぞれの制服を着た生徒が40人ほど。
そしてアタシは彼ら彼女らに向かって、頭を下げる。
「皆さんこんにちは。アタシの名前はルゥ、見ての通り人狼です。今日からよろしくお願いします」
当たり障りの無い自己紹介。別におかしなことは言ってないはず。
だけど頭にある尖った耳に、ヒソヒソとした話し声が聞こえてきた。
「わー、あの子やっぱり人狼なんだ」
「目付きも鋭いし、なんか怖そう」
「けど、案外可愛くねーか?」
「よせよせ、人狼なんて獣臭いぞ」
おい、陰口だったら聞こえないように言えよな。
くそ、好き勝手言いやがって。
アタシは心の中で舌打ちをする。
ここはトライア王国有数の名門校、ラピス学園。
初等部から大学まであり、貴族も平民もみんなウェルカムな、大きな学校だ。
そしてアタシは、今日からここに通う。
元々はトライア王国の外れにある、魔族の暮らす森に住んでいたけど、このラピス学園の高等部に転入して来たのだ。
森にも学校はあったけど、こことは違って魔族だけの学校だったし、服装は自由だった。
それが転校した途端周りは人間ばかりだし、ズボンでなくスカートを履かなきゃいけないときたもんだ。
慣れないスカートを履いて、胸には赤いリボンを付ける。それに第一印象を少しでも良くしようと、腰まで伸びた茶色のウルフカットの髪を念入りに手入れして、身だしなみはバッチリ。って、家で鏡を見た時は思ってたんだけどさ。
きちんと制服を着て来ようが、寝巻きのまま来ようが、もしかしたら一緒だったかも。
だって皆が注目しているのは服装や髪じゃなくて、アタシ頭の上に生えた狼の耳なんだもの。
教室に入るなり、皆して人狼だ人狼だって。
そりゃあ確かに人狼だけどさ。それ理由に騒がれるのは、好きじゃねーんだ。アタシは見世物じゃないっての。
「ハイハイ、皆静かに。ルゥさんは今まで国外れの森で暮らしていて、慣れないこともあるだろうから、助けてあげるように。それじゃあルゥさんは、そこの空いてる席に座ってね」
「はーい」
担任の女の先生に言われ席に着いたけど、魔族だ人狼だのと言った声が、ちらほら聞こえてくる。
あーあ。人間と魔族の間には、まだ見えない壁があるみてーだなー。
今からおよそ60年前。
暴君と呼ばれていた当時の魔族の王が太陽の騎士達に討たれてから、人間と魔族は仲よくなった。
小さい頃は、そう信じてたっけ。
まあ確かに、友好条約ってのを結んで、これからは仲よくしましょうってことになったみたいだよ。
けど経緯はどうあれそれまで争っていたのに、そう簡単に仲よくなんてなれなかったのだ。
魔族に偏見を持つ人間は多くて、魔族の中にも人間と距離を置いている奴はたくさんいる。
アタシが教室に入ってきた時の反応がいい証拠。皆して奇異な目で見てきて、居心地悪いっての。
小さい頃は大好きだった絵本、『太陽の騎士』のお話を鵜呑みにして、人間と魔族はすっかり仲よくなったものと勘違いしてたけど、現実はこんなもの。
魔族の森で暮らしていたアタシは、それを知るのが遅かったのだ。
もちろん、全部の人間がそうじゃないってことも知ってるんだけど。
ラピス学園は魔族の生徒もいて、両種族の共存を推進してるって話だったけど、実際はまだまだ、魔族は浮いた存在ってわけか。
こんなんでこれから、やっていけるのかな?
そんなことを考えているうちに、1時間目の授業が始まる。
幸い授業についていけないってことはなく、途中で居眠りすることもなく終了し、休み時間になったけど、さてどうしよう。
前いた森の中の学校では、休み時間は友達と話してたけど。転校してきたばかりで、友達どころか知り合いすらいない。
けど、仕方ないから昼寝でもするかと思ったその時。
「アナタ、ちょっとよろしいかしら」
不意に声を掛けられて顔を向けると、そこにいたのは金の髪をロールさせた、良い所のお嬢様といった感じの女子生徒。
さらにその後ろには、同じように数人の女子生徒が並んでいた。
「えっと、なんか用?」
「アナタにご挨拶がしたくて。わたくしは、エミリィ・チェルダーと言いますわ」
「あ、どうも。アタシはルウ」
大きく胸を張って、挨拶をしてくる。苗字があると言うことはこのエミリィとか言う子、貴族か。
トライア王国では平民、それに魔族には、苗字がないからなあ。
すると彼女、エミリィはまるで品定めでもするみたいに、ジロジロとアタシを見てきた。
「うーん、人狼と言っても、意外と身なりはしっかりしてらっしゃいますわね。アナタ、合格ですわ」
「は? 合格って、何が?」
「わたくし達のグループに入ると言うことですわ。アナタもチェルダー家の名前くらい、聞いたことがありますわよね」
知ってて当然と言わんばかりの態度。だけど、チェルダー家ねえ。
「うーん、チェルダー家チェルダー家……ごめん、分からないや」
「なんですって!?」
「アタシ、貴族とかそういうのに詳しくなくて。知っているのと言えば、パルメノン家くらいかな」
パルメノン家と言うのは、幼馴染みであるトワの家。
ここに来るまであたしがいた、魔族の住む森を管理をしている家なんだ。
森に別荘を持っていたけど、本家があるのはこのラピス学園の近く。詳しくは知らないけど、かなり大きな名家らしい。
するとエミリィは、何やら頭を押さえだした。
「パルメノン家、ですか。確かにパルメノン家には敵いませんけど、それでもチェルダー家を知らないなんてアナタ、思った以上に田舎者ですわね」
「悪かったって。それよりあんた、さっきなんか言ってたね。アタシがグループに入るとかなんとか」
「そうですわ。ルウさん、アナタ転校してきたばかりで、何かと不便でしょう。ならわたくし達のグループに、入れて差し上げようと思いましたの」
「は、はあ」
つまり、友達になりたいってこと?
アタシだって、別に人間が嫌いなわけじゃない。友達になれるって言うんなら、本当なら喜ぶべきなんだろうけど。
「さすがエミリィ様、なんてお優しい」
「相手が人狼でも手をさしのべるなんて、慈愛に満ちていますわ」
エミリィの後ろにいた女子達が、そんなことを言う。けど、何だろうなこの違和感。
考えすぎかもしれないけど、コイツ等本当に、アタシと友達になりたいって思っているんだろうか?
変にニタニタクスクス笑っているし。同じグループに入っても、なんか居心地悪そうだなあ。
それにさっきから気になってたけど、このエミリィって子、ちょっと。
「それでルゥさん、お返事の方は?」
「あー、ごめん。誘ってくれたのはありがたいんだけどさ、ちょっと」
「は? わたくしの誘いを断るのですの?」
断られるとは思っていなかったみたいで、エミリィはムッとする。
「わたくしがわざわざ声をかけてあげたのに、どう言うことですの。何が不満なのか、ハッキリ言いなさい」
不機嫌そうに睨んできたけど、うーん、本当に言って良いの?
だったら言うけどさ。
「……匂いがきついから」
「は?」
「だから、匂いがきついの。アンタ、香水つけまくっているでしょ。ほら、アタシ人狼だからさ、匂いに敏感なのよ。あまりにきつい香水の匂いは、ほんとダメなんだ!」
我慢できなくなって、鼻を押さえる。
さっきから我慢してたけど、香水つけすぎ!
もちろんどんな香水をつけようと、本人の自由。
アタシだって全部の香水が苦手というわけじゃなく、例えばトワがつけていたようなマアロの花の香りなんかは好きだ。
だけどエミリィのつけている香水は何というか、壊滅的に相性が悪かった。
ごめん。別にアンタが悪いわけじゃないけど、匂いに敏感なアタシは無理だわ!
するとエミリィは、プルプルと肩を震わせる。
「あ、アナタ、失礼ですわよ! 匂いがきついって、誰に向かってものを言っているのですか!」
「だから、アタシだって言いたくなかったんだって。けど言ったのはそっちじゃん」
「お黙りなさい! このデリカシーゼロの無神経な狼女! 頭おかしいんじゃありませんの!」
「は? おい、それはさすがに言い過ぎだろ!」
「言い過ぎなものですか! いいからまず、失礼な事を言ったことを謝りなさい!」
「やなこった!」
アタシもエミリィも互いに譲らず声を大にして叫び、いつの間にやら周りには人だかりができている。
そりゃあアタシだって悪いとは思うけど、失礼な態度はお互い様だろう。
二人とも興奮していて、取っ組み合いのケンカに発展しても不思議じゃない。
だけどその時。
「ストップ。二人とも、そこまでだ」
不意にアタシ達の間に、一人の男子生徒が割り込んできた。
え、なんだコイツ?
現れたのは男としてはやや小柄な、アタシと同じくらいの身長で、黒いさらさらとした髪に黒真珠のような瞳の男子生徒。
人の醜美に疎いアタシでも、いい顔だって分かるくらいの、整った顔立ち。そいつはニコリともせずに、エミリィに目をやる。
「エミリィ、その辺にしておけ。『ガーディアン』が騒ぎを起こしてどうするんだ」
「ハイネさん……。そうですわね。わたくしとしたことが、熱くなるなんてどうかしてましたわ」
なんて言いながらも、ジロリとこっちを睨んでいる。
そしてハイネと呼ばれた男子生徒も、こっちに目を向ける。
「お前もだ。転校そうそう、騒ぎは起こしたくないだろ」
「うっ……」
そうだった。ついカッとなっちゃったけど、ここでケンカしたらアイツに迷惑が掛かっちまう。
すると大人しくなったのを見て、ハイネがふうっと息をつく。
「あんまり手を煩わせるな」
彼はそれだけ言うと、自分の役目は終わったと言わんばかりに去る。そしてエミリィも、「戻りますわよ」と、取り巻きを連れて不機嫌そうに離れて行った。
アタシもモヤモヤは晴れなかったけど、それでもこれ以上揉めるのは良くない。
ここは止めてくれたハイネって奴に、感謝しないとな。ただ。
「さすがハイネ君、頼りになるわねえ」
「本当。けどあのルゥって子、いきなりエミリィさんにケンカ売るなんて、ヤバくない?」
「関わらない方がいいかも」
聞こえてくるのは、ハイネを称える声と、あたしに対するヒソヒソ話。
しかもケンカしたのはエミリィも一緒なのに、アタシだけが悪い事になってないか!
ああ、世知辛い世の中。
絵本を読みながら、魔族も人間も仲よくできるって信じて疑わなかった幼い日のアタシよ、これが現実だ。
人間と魔族の溝は、未だ深い。
そしてアタシも、あの頃の無邪気さはどこへやら。
狼娘ルゥ、15歳。我ながらすっかり、可愛げのない女に成長してしまったよ。
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