若武成伝 -武田に転生したと思ったら想像してたのと違う甲斐武田から枝分かれした安芸武田のさらに枝分かれの若狭武田だったので、滅亡しないように武をもって成り上がります-

尾羽内 鴉

第1話 はじまり

天文二十一年(一五五二年)二月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


 ふと、目が覚めた。高い天井が見える。どうやら俺は仰向けに寝ているようだ。

 此処は何処だろうか。染み一つ無い、綺麗な板張りの天井を眺めながら、思う。


 誰か――。そう呼びかけようとした。しかし、思うように声が出ない。そこで気が付く。歯が無いことに。

 思わぬことに動揺する俺。その感情が段々と高ぶり、終いには大声で泣き出してしまった。おかしい、感情を上手く制することが出来ない。


「はいはい。どうしましたか? お腹が空きましたか? それとも御不浄を?」


 そう覗き込んできた着物を着た若く美しい女性。ただ一つ気になる点がある。身体が非常に大きいのだ。俺の倍以上の身体があるぞ。


 いや、違う。俺の身体が小さいのだ。歯も無く、上手く喋ることが出来ない。そのことから察するに、どうやら俺は赤ん坊になってるらしい。何故だ。


 その女性が俺の下半身を露にする。股間がすーっとして、何ともむず痒い。思わず声が大きくなる。

 その声を聞きつけたのか、此方へと向かってくる足音が響いた。


「何じゃ。また孫犬丸は泣いておるのか」

「これは御屋形様」


 そんな俺の元にやって来た袴姿の男性。年齢は四十手前というところだろうか。腰には刀を下げている。そして着物には割菱の紋。


 女性は俺を抱えたまま頭を下げる。御屋形様と呼ばれた辺り、この男性が一番偉いのだろう。四十手前の容貌から察するに俺の父親だと推測していた。その男が女性の腕の中からから俺を抱き上げると、自分の腕に抱えた。


「おー、よしよし。ほぅら爺じゃぞ」


 違った。どうやら破顔しながら俺をあやすこの男性は俺の父ではなく、祖父にあたるらしい。四十手前という若さで。待て待て、色々とおかしいぞ。というか、何故に俺は赤ん坊になっているのだろうか。


 冷静になって現状を整理しよう。まず、俺は本当は赤ん坊じゃないのに赤ん坊になってしまっている。今更ではあるが、これはどういうことか。そして一つの結論に辿り着いた。何ていうことはない。事実は小説より奇なりである。


 そう。転生してしまっているということだ。そして俺は過去にタイムスリップしてしまっている。

 武田に所縁のある家で、それなりに高貴な家に生まれたということもわかる。理由は祖父と名乗る男性が着物に武田の家紋である割菱を付けているからだ。


 それに母親ではなく乳母に育てられているところからも俺がかなりの家に生まれたと判断する所以である。

 どう見ても俺が住んでいる家は百姓ではないし、大事に扱われている。祖父に付き従う人も多い。


 更に武田ということは織田氏の甲州征伐の前ということが分かる。何故なら俺の居る武田が滅んでいないからだ。となると、南北朝の時代か室町時代ということが分かる。どうだ、この俺の名推理は。


 しかし、室町時代なら多少分かるけど、南北朝時代なんてさっぱりだぞ。いや、そもそも武田で知ってる俺の知識は信虎、晴信(信玄)、勝頼の代の情報くらいだ。馬場とか山県とか知ってる名前があれば良いんだけど。


 そもそもである。何故俺は転生しているのか。確かに俺も武田姓ではあった。でも、武田姓なんて昨今であれば珍しい苗字でもないだろう。祖先も甲斐の武将であるだなんて聞いたことなかったけどな。


 東京でしがないビジネスマンとして働いていただけの男だ。せっかく定年間際だったというのに。

 と言っても定年したからと言って何があった訳ではない。どうせ独りだ。そう考えれば此方の方が良かったのかもしれない。


 戦国時代の知識は人よりはあると思っている。が、しかしだ。それも役に立つのか全く分からん。

 そもそも赤子過ぎて言葉を喋れないのだ。これでは今すぐにどうこうする事など出来ない。


 そんなことを考えながら俺はお祖父さんにあやされ続けるのであった。そして一人の男が入ってくる。

 血気盛んな二十半ばの男だ。目はぎらついており、屈強な身体、我の強さが伺える男である。おそらく彼が俺の父親だろう。何故そう思ったのか自分でも分からない。


 祖父が四十手前で父が二十半ば。一体、祖父は何歳の時に父を産ませたのか逆算したくなる程である。

 父らしき人物の後ろには数人の男性が控えていた。とても気まずそうな顔をしている。


「父上、細川右京大夫様がお待ちですぞ」

「おお、そうかそうか。そうじゃったな。連歌の約束をしておったんじゃった」


 そう言って俺を今来たばかりの男に手渡す。俺の祖父を父上と呼んでいたことから察するに、この男性こそが俺の父親なのだろう。俺を受け取った男が俺を見て笑った。笑うと愛嬌のある男性だ。


「ほーら、儂が父だぞ。柔らかいほっぺじゃのう。ほれ、触ってみぃ。内藤の」

「はっ、然らば失礼して」


 いつの間にか父の傍に控えていた三十半ばの無愛想な男性が近くに寄ってきて俺の頬を突く。するとその柔らかさに男性が笑顔になった。釣られて何故か俺まで笑顔になってしまう。


 うん、理解した。内藤というのは、あの武田四天王の内藤だろう。

 つまり、俺はあの甲斐の武田家に転生したのだ。これは勝ち組である。断言する。もし、仮に義信だったとしても勝頼だったとしても、その後の立ち回りで何とかなる筈。


 ここから察するに父は武田信玄だ。そうであって欲しい。問題は俺が誰なのか、ということになる。義信だったら早めに対処しなければ殺されてしまう。勝頼ならまだ時間はあるぞ。


「お前様。孫犬丸を乱暴に扱わないで下さいまし」


 柔らかい朱色の着物を着た女性が後ろに供の女性を引き連れて部屋へと入ってきた。光沢のある、如何にも高そうな着物に身を包んだ女性だ。言葉遣いと表情から気の強さが伺える。


「おお、すまんすまん。あまりに柔らかい頬だったものでな」


 そう言って俺を来たばかりの女性に手渡す。この女性が俺の母親だろうか。いや、もしかしたら祖母の可能性も否めないぞ。ただそれは杞憂であった。


「孫犬丸。お前の母ですよ。おぉ、良し良し」


 そう言いながら俺をあやす母親。この時点で俺の中で勝頼の線が無くなった。家中での立ち居振る舞いなどが明らかに正妻なのである。いや、この女性自体の地位も高いのだろう。恐らくは名家から嫁いできたか。確か、武田の正妻は公家から娶っていたような。


「のう、幸よ。お主の兄上は大人しゅうしておるかのう。上洛したとはいえ三好筑前に良いように事を運ばれた訳だが」


 おかしい。俺の聞き間違いでなければ三好筑前と聞こえたぞ。三好長慶と武田信玄なぞ関係を結んでいただろうか。長尾(上杉)の相手でそれどころではないはず。その俺の不安を更に煽るかのように母である女性がこう答える。


「兄も公方という立場ですので忸怩たる思いでしょう。しかし、勝ち目は薄かったと聞き及んでおります。ですので、これで良かったのでしょうね」


 悲しい顔をしてそう呟く母。それに釣られたわけではないが、俺も悲しそうな顔をした。

 何故かって、母親が公方様の妹だということが分かったからだ。公方とは征夷大将軍のことである。甲斐武田家に嫁いだ征夷大将軍の妹など聞いたこともない。


 つまり、俺は甲斐武田に生まれたという訳ではない、ということが証明されてしまったのだ。いやいや、まだ希望を捨ててはいけない。必ずしも俺の知っている歴史通りという訳じゃないのだから。


 俺の知っている歴史と微妙にずれていて、甲斐武田が重用されていて京の近くまで進出している可能性だってあるじゃないか。武田家は足利の重臣、盟友のようなものなのだから。


 ただ、俺のこの淡い期待はその後、あっさりと立ち消えることになる。

 父が言うのだ。内藤何某という男に。


「内藤の。小浜に俵物は届いたか? 義兄上にお贈りする品ぞ」

「はっ。こちらは滞りなく」


 小浜。これで大体の位置が掴めてしまった。昔、某大統領が就任した時に沸いた街である。

 俺は甲斐に生まれたのではない。今で言うところの福井県、この時代の言葉で言うところの若狭国に生まれたのだ。


 そして若狭国を支配しているのは若狭武田氏。甲斐の武田と比べて知名度はどうしても劣ってしまう。

 真田や高坂のような華やかな武将も居なければ川中島や三方ヶ原のような歴史に名が残る戦も無い。


 そう。


 オレが転生したのは宗家の甲斐武田から枝分かれた安芸武田の更に枝分かれした若狭武田だったのだ。

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