夢見香

並白 スズネ

第1話

そのフレグランスショップは日本のとある繁華街、深夜まで人々の喧騒とネオンサインの輝きが止まない大通りの傍にそれた人気の無い場所にあった。そこは調香師が一人で営む世界各地のマイナーな香水を取り揃えるセレクトショップだ。しかし、それは表向きの姿で、裏では独自に調合した人体に様々な作用を及ぼす特殊な香水を裏社会の住人やその関係者に売っており、こちらが本業だった。


 ある日、高級なドレスに身を包んだ美しい若い女が営業終了間際に店にやってきた。店内では調香師が片付けを始めていた。


 「申し訳ございません、お客さま。この通り、本日はすでに営業を終了しているんです」


 「私には叶えたい夢があるの」


 女の唐突な宣言に調香師は思わず笑ってしまった。しかし、女の表情は至って真剣だった。


 「そうなんですね。さぞ素敵な夢なのでしょう。よろしければ、簡単に私に教えてもらえませんか」


 「……」


 女は沈黙した。調香師は少しの間笑顔だったが、彼女に話す意思がないと見るや否や真剣な表情になった。そして、急いで店を閉めて、二人だけの密室空間を作った。調香師と女は互いに向き合うように座った。


 「本当に合言葉で客を判別するのね。また、パパの悪い冗談なのかと思ったわ」

 女は素直に驚嘆していた。


 「初めての方が驚くのも無理はありません。なにせ私の作る香水は少しばかり特殊なので誰にでも売るわけにいかないのです」


 「そうなの。ねぇ、どんな作用の香水があるか見せていただける」


 「ええ、もちろん」


 そう言って、調香師は店の裏側に行き、重々しい木箱を持ってきた。その中には様々な形状の瓶に入ったカラフルな液体が入っていた。

調香師は箱から一つ一つだし、女に解説をした。自白作用や催眠作用があるものだったり、中には特定の人と一生会わなくなる作用や自殺意志のない人間を誰がみても明らかな自殺志願者にする作用など魔術のような作用のものもあった。

 女は試しに香水の一つを使った。シトラスの爽やかな匂いが鼻を通ると、たちまち視界が波打つように歪んだ。女は調香師が詐欺師でなく、また父親が騙されていないのを確信した。


 「本当に効果があるのね」


女は頬を紅潮させ、やや興奮しているようだった。調香師は微笑みながら、香水を木箱に戻していた。


 「信じていただけましたか。ところで、本日のご所望の香水はなんでしょうか」


 「それがないの、私。なにせ、パパに勧められて来ただけだから」


 「では、私がお客さまに関する質問をいくつかするので、お客様は答えて下さい。私はそこから、今現在お客様の一番望んでいることを見抜きまして、それを叶える香水を作りましょう」

 

 「そんなこともできるの! じゃあ、お願い」


 それから、女は調香師の質問に次々と答えた。女は裕福で厳格な家庭の長女として育った。女は有名な中高一貫の女子校で育ち、頭脳明晰だった。女は外資系企業に就職したが、人間関係に悩んでいた。女がとりわけ熱心に話したのは恋愛に関する質問だった。


女の初恋は小学校の担任だった。今でもその先生の優しい柔軟剤の香りを思い出せるほど、女には鮮烈な体験だったという。それから、女はたくさんの恋をした。しかし、告白しても多くは断られたり、ひどい時は拒絶されたりして付き合えるのはごく僅かだったという。しかし、そのごく僅かな人とも長続きしなかった。


「だから、私もう辛い思いをしたくないの。」


「なるほど、左様でございますか」


調香師は質問を終えると、店の裏側に入っていった。少し経って調香師は一つの香水を持ってきた。


「それが私の要望を叶えてくれる香水なのかしら」


調香師は頷いた。女はうつろな目で、その円筒状の瓶に入った薄紫色の香水を眺めた。それに不思議な魅力を感じた。女は瓶を鼻に近づけると、優しく包み込むようなラベンダーの匂いがふわりと香った。


「こちらは時間経過によって3種類の香りが楽しめるものとなっております。そして、香りが変化するに従い、お客さまと運命の人の距離は縮まり、最終的に結ばれるのでございます」


「そう、どのくらいかかるの」


「それは、お客さま次第でございます」


「私はどうすればよいのでしょうか」


「何もすることはございません」


「何、どういうこと」


女は調香師の言っている意味が分からなかった。


「お客さまは夢の中で運命の方と出会うのです。なので、現実で何かをする必要はございません。」


調香師によれば、毎晩その香水をつけて寝ることで必ず夢を見て、そこに女と同じ香りの者が現れ、その人が女にとって運命の人なのだという。しかし、いつ会えるかは全く分からず、まさに神のみぞ知るというのだ。


「その後はどうすればいいのよ、まさか夢でしか会えないなんて言わないわよね」


「まさか! 運命の方に出会えると、翌日からお客さまの香水の香りが変化します。香りは一週間ほど持続しますが、その間に相手の方からお客さまの目の前に現れるでしょう。もちろん、現実で。そして、出会ったら最後の香りに変わります。そしたら、普通より多めに香りを身にまとってください。そうすれば、お客さまと相手とを分かち難い運命の間柄にするでしょう」


女はその効能にすっかり魅了された。女はすぐに購入した。来る前は気乗りしなかったが、店を出るときには天にも昇るような愉快な気分だった。女は自分の願いが本当に叶うという期待感に胸が高鳴っているのだと思った。


1ヶ月後のある晩、店の中で調香師と中年の男が話をしていた。中年の男は国会議員、しかも大臣であり、柔和な顔つきから想像もできない犯罪を裏で行っていた。


「いやぁ、助かりました。さすがですな」


そう言って、大臣は懐からおもむろに3000万の小切手を調香師に渡した。


「いつも、ご贔屓にしていただきありがとうございます」


調香師は笑顔でそれを受け取った。その笑みは緊張のせいなのか、若干こわばっていた。


「私は早く孫が欲しいと思うのに娘は一向に結婚する気配がなく、それどころか、いままで一度も家に彼氏を連れてきたこともないから恋愛経験があるのかも不安でした。だからといって、口酸っぱく言って娘に嫌われるのも嫌でした。そこで、あなたを頼ったわけです。そしたら、娘はものの1ヶ月で結婚することになりました。明日、挨拶に来るそうで」


孫が欲しいというのは大臣の夢であり、それが叶うことに嬉しさを感じていた。それから、大臣は自らの悪業について嗅ぎ回っている記者がいると言って、自分に関わる記憶を抹消する香水の調合を依頼して店を後にした。


翌日、大臣は妻と二人で娘とその相手を待っていた。時間ちょうどに娘がやってきて、その後ろにもう一人いた。


「パパ、ママ、こちらが私の結婚相手よ」


娘に紹介されたのは、艶やかな黒髪の女性だった。

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