元魔法少女は振り返らない
夏野夜子
元魔法少女は振り返らない
銀行強盗、あらわる1
ホイップカステラって、区分的にはクリームなのだろうか、それとも焼き菓子なのだろうか。
駅前にいつの間にか出来たらしい、今話題のスイーツの店を見て思う。
若者の街|甘谷(あまや)だか渓袋(けいぶくろ)だかで一号店が出て、連日大賑わいとニュースでやっていたのは先月のことである。ニ号店が古宿だか七本木だかに出来るという話を先週聞いたばかりだけど、こんなところにも出来ているだなんて。
流行の入れ替わりが早いスイーツものだけに、勢いに乗ろうということなのかもしれない。
ちょっとレトロな和風感のある店構えに、シックなメイド風の制服を着た店員。オシャレかつ美味しそうな写真の載った看板が出ている。
なにより魅力的なのは、このふんわりと漂う甘い香りだ。
砂糖と小麦粉と卵とバターが熱を浴びて、きつね色になった香り。きゅうと胃が鳴いた。
素通りして銀行へと入り、ATMの列へと並ぶ。お昼時だからか、ATMも窓口も長蛇の列が出来ていた。
あのホイップカステラのお店も並んでいたけれど、これよりはマシだったな。
7台置かれたATMに次々とはけていく列を進みながら、私は頭の中で計算を始める。
看板によるとホイップカステラ季節限定いちごホイップセット税込み1765円。
普通のホイップカステラ1585円。
単品1200円持ち帰りも同額。
……なかなか強気である。映えるスイーツの価格は景気とは関係ないらしい。
先月分の予算から余りのお金が現在2508円。
とりあえずスタンダードな味を食べてみたいので、いちごホイップは除外。普通のホイップカステラにするとしても、ここから家まで距離があるし、午後も講義がある。持ち帰りをするよりはここで出来たてを食べてみたいけれど、ドリンク代がややもったいない。ぶっちゃけ水でいい。しかし、単品オンリーをあんなおしゃれなお店で頼むには私の精神はまだまだ未熟だ。
いっそ大学が終わってから寄って、家庭教師(カテキョ)先にお土産として持っていくのはどうだろう。
お茶はいつも出してもらっているから頂けるだろうけど、そうなると私と生徒のふたつだとなんだか心苦しい。たまにケーキや夕食をご馳走になっているし、せめてお母さんの分も買うべきでは。しかしそうなると予算が厳しい。
もういっそ明日にしようか。
しかし、あのかぐわしい砂糖と小麦粉と卵とバターの匂いでお腹はもうホイップカステラモードである。
ここでコンビニおにぎりでも放り込もうものなら暴動が起きてしまう。
恥を捨ててひとつ持ち帰りにして堂々と教室で食べるべきか、フォークは貰えるのだろうかと悩んでいると、自動ドアで開いた扉から何かボールのようなものが転がってきた。
ボールはATMの列を通り過ぎ、窓口の順番待ちベンチのところまで転がっていく。止まった瞬間、カッと眩しい光が店内を包み込んだ。
悲鳴があちこちで上がる。
「静粛に!! 全員動くな! この場は我々が掌握した!」
強い光に目を瞑っていると、大勢が入ってくる音が聞こえる。
人々の戸惑う声と、男性らしき人物が倒される音。空気銃のような軽い音が何発も打たれて、天井から細かい破片が落ちてくる音がする。警備員と監視カメラをまず狙うところを見ると、かなり手慣れているらしい。
「ウソ、銀行強盗なの……?!」
「最悪だ!」
「静かにしろ! 全員、ここへ来て整列するように! 反抗すれば攻撃するぞ!」
ATMの列にも何人かがやって来て、威圧的な態度で人々を誘導する。
目をゆっくりと開けると、黒ずくめで武器を持った男が目に入った。目元だけが開いたマスクを被って同じような姿をしている人間が、ざっと見て30人はいる。折り返して並んでいる人々を最後尾の方から急かしてベンチの方へと急がせていた。
あの格好の集団が駅前を走るところを想像すると、周囲から相当浮いている気がする。銀行強盗ではなく、不審者として通報されていそうだ。恥ずかしくはないのだろうか。
しかし持っている銃で撃たれたら死ぬだろうし、殴られたら痛そうだ。実際に倒れている警備員を見ると余計にそう思う。大勢いるだけに、反抗しても効果は少なそうである。
私は手に持っていた財布をできるだけバッグの奥へと入れながら、男たちの指示に従って反対を向いて歩き始めた。前の人と離れ過ぎないように気を付けつつ、目だけであちこちを見る。窓口カウンターの向こう側にも黒ずくめの集団は入り込んでいて、銀行員も順番にこちら側へと押し出されていた。それとは別に、奥で作業をしているらしき人だかりも見える。
「全員並べ! 順番にこっちへ来い! 男が先だ!」
「おいお前、もたもたするなよ!!」
黒ずくめの男のひとりが背広姿の中年男性を乱暴に押して、仲間の元へと連れていく。十秒ほどで開放されたその男性は、両手を胸の前で合わせ祈っているような体勢をしていた。
手首を内側にしてくっつけるように拘束したバンドは、頑丈そうだ。くたびれたおじさんが手首に食い込んでいるそれをやや痛そうにしていた。
まるで毛刈りを待つ羊のように、男性行員や客がのろのろと手首を差し出しに並んでいる。
「あぁ……恐ろしい、なんてことでしょう」
「おばあさん、大丈夫ですか」
近くに立っていたお年寄りが胸に手を当てて背を丸めていたので、私は思わず声を掛けた。
齢七十歳は越えていそうなその体からすると、幾分刺激が強すぎる展開のようだ。
そりゃそうだろう。いつも使っている駅前の銀行に強盗が入るだなんて、思春期の妄想くらいでしか体験しないものである。
「そこ空いてるので、座ってください」
「でも、動いたら何をされるか」
「おばあさんが倒れちゃったらあの集団も困ると思いますよ。何か持病はありますか?」
残った女性を見張っている男たちを気にしながらも、一番近いベンチへと誘導する。それに気がついた銀行員の女性も、おばあさんを誘導するのを手伝ってくれた。
「お客様、横になりますか? ゆっくり呼吸して下さいね」
「あぁ……、ごめんなさいね、お嬢さんもごめんなさい」
「この人だけでも開放して貰えたらいいんですけど」
しきりに恐縮するおばあさんの手は冷たい。顔色も悪いので、よほど怖いのかもしれない。黒ずくめの男たちは私たちの行動について咎めなかったものの、親切に手を貸してくれるつもりもないようだ。こちらに注意を払うわけでもなく、仲間内で何やら耳打ちをし合っている。
年寄り世代に冷たい悪党である。ろくな最後にならないに違いない。
お年寄りの開放をこちらから言い出すべきだろうか、殴られやしないかと考えていると、銀行員の女性がそっと私の肩に手を置いた。
「大丈夫よ、緊急通報ボタンを押したから」
「あ、そうなんですか」
「もうすぐ魔法少女がやってくるわ」
私だけでなく、聞こえたらしい周囲の数人がホッと息を吐いた。
魔法少女が来るなら安心だ。
彼らは、魔法少女に敵うことはないのだから。
近くにいた人の中には、やれやれと言いたげにベンチへと座ってしまう人もいた。もう解決したかのように時計を見たり、スマホを気にしたりしている。
ちょっと緩んだその空気を切り裂いたのは、低くて美しい響きを持った声だった。
「残念ながら、その希望は捨ててもらおう」
カツカツと高らかな靴音を響かせてゆったりと入ってきたのは、ひときわ真っ黒なスーツを来た、ひとりの男だった。切れ長の目に、高い鼻の下半分は黒くピッタリとしたマスクで覆っている。マスクをしているのにメガネが曇っていないとは、相当な技術を使ったマスクのようだ。さすが、セキュリティに自信のある銀行を狙うだけのことはある。
男は怜悧な印象を持たせる顔にメガネを付け、その中央を中指で押し上げる。手には黒いグローブがはめられていた。
長い脚でゆっくりと近付いてきた男と、ふと目が合う。
メガネの向こうの硬い黒の瞳が、確かに私をじっと見ている気がした。それを証明するように男が近付いてきて、グローブをはめた手でおばあさんの肩に触れていた私の手首を掴み、持ち上げる。
反対の手も同様に掴まれて、男の胸元へと引き寄せられる。私の様子を観察するかのように、男の黒い目はまっすぐに私を見つめていた。
そして細いベルトのようなもので、両手首をキッチリと拘束される。
「我々は唯一、魔法少女に対抗し得る力を持つ組織だ」
とりあえず今日のお昼には、ホイップカステラは食べられそうにないらしい。
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