未経験から異世界転生したら人生詰んだ件~転生エージェントサービス体験記 あの、初回面談時にはアマ ンギフトカードが貰えるって聞いたんですけど? ~
惑星ソラリスのラストの、びしょびし...
第1話
中年、と呼ぶには少し早い、具体的には三十を少し過ぎた男がいたのだが、たった今死んだ。過労による心不全であった。日々変わり映えのしない、どこまでも続く荒野のような、無味無臭無感動の労働の日々の果ての、突然の死である。死後、彼はまず次のようなことを考える─しまった、これでは仕事に穴が開くな、納期が、スケジュールが、今週もまた休日出社か、やれやれ……いや待て、俺はもう死んだのだ、つまり自由。もう出社しなくともよいのだ、ついに解放されたのだ……いやいや待て待て、そんな、何たることだ。毎日残業休日出勤、ごくごくたまの休みには死んだように眠り日が暮れる頃にのそのそとベットから這い出て、あとは惰性でひたすらスマホをいじる、そんな糞のようなルーティンを送り続けて幾星霜、『ああ、こんなことならいっそ、何かの拍子にコロっと死んだりなんかして、そのまま流行りの異世界にでも転生できないかしら』なんてぼんやり考えていたら、本当に死んでしまったではないか! まだ俺はこの人生で何も、何も成し遂げていないというのに! こんなことがあっていいのか。畜生め、次こそ、次こそは。次の人生こそ、俺も、こんなしみったれた、語るべき点もない、つまらない、退屈な人生、そんなものではない、本物の生を生きるのだ。きっと。次こそ。次こそは。
そして今、彼はこの、こじんまりとした部屋にいる。これは、なんだ。あれだ。転職サービスの。その類の会社に呼ばれて。最初に通される部屋。面談ブース。それだ。それに極めて似ている。いや、それそのものといえる。部屋の隅には如何にもといった感じの、申し訳程度の観葉植物が、パリッと乾燥した葉っぱをつけて嘘くせえグリーンに輝いている。彼は椅子に座っている。テーブルを挟んで向かい側に一人の女が座っている。これまたパリッとしたスーツを着ている、ほっそりとした女だ。外見上、これといった特徴が見当たらないな、と彼は思う。しかし、よくよくその女の顔を見れば一つ一つのパーツの完成度がすこぶる高いのだ。その総和たるや恐ろしいほどに均整がとれている。顔だけではない。全身が、そしてその一挙手一投足もまた然り。計算し尽くされた美しさ。絹の様に滑らかなひとつひとつの仕草。欠けたところが何一つない。あるいはどこか一点のみ秀でたようなところもない。それ故、これといった特徴を申し上げることができないのだ。彼は、まじまじと女の顔を見つめる。女は、彼の視線に気づき、ニコリとだけ笑う。彼は思わずどぎまぎとして、曖昧に口角を歪ませ、視線をテーブルに逸らす。これといった特徴のない、ツルツルとしたテーブルの天板、いや、彼のちょうど目の前、視線の先に、引っかいたような僅かなキズがある。彼はそれを指で軽くなぞる。
女は彼のことなど意に介さず、ひたすら端末に何やらを打ち込んでいる。女がこの部屋に入室して以来、ずっとこうなのだ。この部屋には時計がない。彼は、自分がいつからここにいるのか、この女が部屋に入ってきてからどれくらい経ったのか、まるで見当がつかなかった。数十分のことのように思えるし、もう何日もこうしているような気もする。何もかもがあやふやで曖昧だ。果たして俺は、本当に死んだのだろうか。いや死んだのだろうな。あの、心臓を針で刺されたような強烈な痛み。それは、はっきりと覚えている。ということは今の俺は、いわゆる意識だけ、魂だけの存在なのか。生理的な欲求がない感覚、というのはこのような、ふわふわとした捉えどころのないものなのかもしれないな、と彼は考える。
カチカチ、タン。と小気味よい音を、ほっそりとした白い指が立てる。女が顔を上げ、彼の顔を見る。
「お待たせしました。すみませんお時間いただきまして」
「あ、いえ。そんな。お構いなく」
何がお構いなく、なのだろう、と彼は考える。私はあなたを気遣っていますよ、という程度の、サラリーマン時代から続く慣習的儀礼的な、意味のないジェスチャのようなものだ。そのような台詞が自然と、彼の口から漏れ出る。死んだ後まで! 彼は自身の台詞の無意味さ空虚さに気づき、心のうちで苦笑する。。
「さて、それでは一通り貴方のご経歴を確認させていただきまして、早速ではありますが軽く自己紹介のほうからお願いしてもよいでしょうか?」
「えっ、あっ、自己紹介、ですか?」
彼は困惑する。彼は自分が今しがた、もしかするとずっと前の事なのかもしれないが、とにかく記憶する限りではついさっき、自身が死んだことを確かに記憶している。死んだのだ、俺は。では今ここに座っている俺は、果たして誰なのだ? そのような観念的疑念を即座に読み取ったのだろう、女は、
「ああ、すいません。とりあえずは前世のもので結構ですので」
「あ、前世、そうか、そうですね、なるほど……ええと、では、高木トウノ、でいいのかな、高木トウノ、と申します……申していました。今は誰なのか、よくわかりません……えーと、出身は東京で……あ、日本の、東京です。分かりますかね? えー、それから親の都合でいくらか引っ越しまして、大学進学を機に上京。そこからはずっと東京です。えーと、職業は、SEをしておりまして、いわゆる客先常駐で、主に金融系のプロジェクトに携わっておりまして。で、先ほどですかね。えーと、死にました」
「……ありがとうございます。そうですね、高木さんの仰る通りですね。過労による心不全。享年31歳。この度は誠にお悔やみ申し上げます」
女が背をスッと伸ばし、かしこまり、深々と高木に向けて頭を下げる。高木もまた反射的に頭を下げる。少し奇妙な感じだなと高木は思う。こういうものは本来、残された家族に向けて発せられる言葉なのだから。それをこうして、死んだ当人が聞くことになるとは。
女は再び、手元の端末にて何やらを確認する。
「あの」と高木が問う。
「はい?」
「ところで、貴方のお名前を伺ってなかったかなと思うのですが、なんとお呼びすればよいですかね?」
「ああ、申し遅れました。そうですね……特に決まった名前はないのですが……私のことはエージェント、とでもお呼びください」
「エージェント、ですか」
「はい。高木さんの次の転生の手助けをして、そして高木さんと異世界を繋ぐ、代理人、といったところでしょうか」
「異世界転生、ですか……」
高木の心が、いや今や心のみの存在ではあるのだが、ともかく、思いがけず高鳴る。異世界転生。剣と魔法。冒険。綺麗なヒロイン。勇者。オーク。ゴブリン。ドラゴン。高木が生前、日々僅かに発生する、寝る前のひと時だったり、あるいは通勤時のそれであったり、そうした隙間時間で漫画を読み慣れ親しんだ、あの異世界転生。まさか。このような形でやってくるとは。ようやく俺の人生にもチャンスが。いや既に終わっているのだが。それにしてもチャンスには違いあるまい。
あんまりにも期待が先走ったものだから「それで、如何でしたか?」とエージェントが問うのを高木は聞き逃してしまうところであった。
「は、あの、何がでしょうか」
「ああ、その、何と言いますか、今回ご逝去なされたということなんですが、ご自身の今回の人生を振り返って、その、如何だったかなと」
高木は「はあ」とだけ返すと少し俯いて考え込む。それにしても、人の人生をまとめブログのような言い方で纏めてくるなあ。しかし、俺の人生。思えば俺の人生とは何だったのだ。高木はふと、中学校卒業時の担任の最後の挨拶を思い出す。君たちには無限の可能性がある、そのような内容だっただろうか。可能性。学生の頃は、まああの頃も冴えない、パッとしない、燻ぶったような毎日だったが、それでも、自分は将来何になるのか、どんな能力が秘められているのか、どんな風に社会に出て活躍するのか、それなりに期待を持っていたような気がする。それがどうだ。社会に出た後はひたすらパソコンの画面と向き合う毎日。何処をどう切り取って思い出してもそれだ。出社、パソコン、退社、夜遅く帰宅、残った僅かな時間で家事と食事、そしてスマホで漫画を読んでいるうちに、いつの間にか寝落ち。その繰り返しだ。これがあと何十年も続くのか、いやそもそも何十年も働けるのだろうか。老後はどうなるのか。貯金は足りるのか。今から個人年金でも始めたほうがいいのだろうか……今となっては老後の心配など全く必要なかったのだ。こんなことなら仕事なんて辞めてもっとやりたいことをやっておくべきだった。しかし、俺のやりたいこととは、何だったのだろうか? はて。そこだけすっぽり抜け落ちたように何も思い出せない。それにしても、こう振り返ると俺の人生というのは……。
「そうですね……自分で言うのもあれですが、なんだろうな、可もなく不可もなく、無味無臭の、無感動の、平凡で、語るべき内容もない、それであっけなく終わってしまった、といったところが、その、率直な感想でしょうかね」
高木は自虐と、幾分か強めの謙遜を交えて、そのように語る。
「ですよね」
「えっ」
「え?」
「あ、いえ、なんでもないです」
エージェントは相も変わらず、柔和な笑みを崩さない。そんなことないですよ、高木さんは十分頑張ってこられましたよ。そのような甘い言葉を、例え転職、いや転生エージェントにありがちなおべんちゃらだとしても期待していた高木としては頬をぶたれたような感覚だ。しかし彼女はそのようなことはお構いなしに話を先へ進める。
「で、ですね。ご逝去されて早々で申し訳ないんですが。早速これまでの高木さんのご経験を踏まえまして、こちらのほうでいくつかご検討いただきたい求人というものを用意させていただきました」
彼女が、テーブルの上にいくらかの資料を広げる。A4程度のサイズに、〈求人先〉に関する情報が簡単に纏められている。
「求人先、というとこれはつまり……」
「ええ。これから高木さんが転生なさるかもしれない、異世界になります」
てっきりこういうのは、いきなり異世界そのものか、あるいは女神様でも出てきて、なんかこう、神々しい感じに行われるのものとばかり思ったが、それは漫画の読みすぎだったのかもしれない。しかしこれも異世界転生には違いないのだろう。新しい世界。新しい人生。果たして俺はどういった世界へ飛ばされるのだろう、あるいはどのような能力をもって? もしかすると、勇者だったりするのだろうか。
高木は、資料の一枚一枚を舐めるように、つぶさに確認する。一枚目を上から下まで凝視し、次に二枚目、三枚目、四枚目。慌ただしく捲り、再び頭に戻る。内容に見落としがないか何度も何度も確認する。高木の顔はみるみる曇る。なんなのだ、これは。これではまるで、
「まるで、なんといいますか、えーっと」
「どうされました?」
「なんというか、凄くこう……現実的、といいますか。あんまり異世界って感じじゃあ、ないんですね」
そうなのだ。あまりに現実的すぎるのだ。提示された求人資料を見る限り、これまで高木が生きてきた世界と殆ど大差がないように見える。少なくとも、剣と魔法、あるいはモンスターやドラゴン、といったような下りは見受けられない。いや、見落としているだけなのだろうか? 高木は何度も資料を捲り、隅から隅まで読み直す。
「えっ? ああ……そうですね、やはり、これまでの高木さんのご経歴に合わせて、となりますので。元の世界には当然似てくるかなと」
「あ、ああ、なるほど、そうですか」やはり見落としではないのだな、高木は落胆する。しかし腐っても転生なのだ。新しい人生なのだ。きっと、何かこれまでとは違うチャンスがあるに違いない。そうでなければ……。
「ちなみにですね、例えばその、こういった世界に私が転生した場合なんですが、どういった感じになるんですかね?」
「どういった感じ、と申しますと?」
「ええっと、何と言いますか……具体的に、私は一体、どんな人生を送るのかな、と思いまして」
「ああ、なるほど、そうですね、たとえばこちらの世界の場合ですと……」
エージェントは一枚の資料をテーブルの表に出し、次いで端末のキイを叩く。
「まあ、高木さんの場合ですと、おおむねこのようなモデルになりますでしょうか」
その端末の画面を、高木のほうへと向ける。高木は思わず身を乗り出して画面を見つめる。その顔が何とも言えず曇る。
「どう、でしょうか?」とエージェント。
「ううむ……いや、何と言いますか……」
デジャヴ。既視感。色違い。2P用キャラクタ。目の前に提示された人生のモデルが、余りに、さっきまでの自身のそれと変わり映えのしないものであったから、高木は眩暈を覚える。いや実際のところは眩暈の元となるべき肉体はないのだから、これは当然気の迷いではあった。さて、提示された人生のモデルといえば、一般的な家庭に生まれ、一般的に育ち、そして一般的な職業に就く。一般的に働く。働く。働く。一般的に老い、一般的な逝去。あるいは仕事を通じて、何か大きなこと、いや、この際小さなことでもいいのだが、とにかくなにごとかを成すのではないか、そのような期待を持って読んでみるが、どこにもそのような記述はない。ひたすら、働く、そして死ぬのみ。それだけが書かれている。
「まあ、あくまでも現状から予測されるモデルケースになりますので。そこまで気にしなくても良いかなと思うのですが」
「……じゃあ、例えばなんですが、例えば、生まれついての、何らかの才能だったりがこの人生で開花して、もうちょっとこう、華やかな、そういった生き様になる可能性というのも……」
「ええ?」エージェントはその質問には応じず、ニコニコを通り過ぎ、ヘラヘラとさえ見えるような、そのような軽薄な笑みを浮かべる。なんだこの女。ムカついてきたな、畜生。と高木は思う。そうだ。こんな厭なエージェント、前にもいたような気がするな。これは前世の記憶なのだろうか。しかし俺は新卒で入社し、そのまま働きづめだったのだ。ということは、あるいはそれよりも前の記憶なのだろうか……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます