第397話 臨界26(九竜サイド)

 我ながらとんだペテン師だと思いながら九竜くりゅうは手に持った『死不忘メメントモリ』を振るう。エントランスという独り舞台には吸血鬼、人間を問わずに数多と詰めているが、誰も彼もが九竜に釘付けになっている。当然と言えば当然だ。一人で迫る吸血鬼を次々に殺し尽くしているのだから。賞賛も、罵声も何もないことが彼のことをどのように認識しているのかを如実に表していた。


「死ね」


 肉を切る柔らかな感触、骨にぶつかる硬い感触が神経を通って脳に伝わってくる。だが、気に留めるほどではない。


 九竜自身は己の立場を認識しているのか機械的に、或いは雨を降らせることを自らの使命と認識している雲のようにひたすら武器を振るっている。


「殺せ‼殺せ‼」


 怒号と共に吸血鬼が襲い掛かっては九竜によって次々に群がるハエでも処理するように切り捨てられていく。


 血飛沫は、悲鳴は気にならない。集中した意識がそのようにさせているのか、何も考えたくないからそのようにさせているのかも。


「死ねェ‼」


 群がっていた吸血鬼の一人が繰り出した攻撃を近づいていたもう一人とぶつけ合わせるように九竜くりゅうは屈む。真上で意味のない傷つけ合いが起きた。その隙を逃すことなく九竜は体勢を元に戻すと突き刺した吸血鬼の顎に強烈なアッパーを打ち込んだ。続けて突き刺さったままの剣を抜き取るとアッパーに怯んだ吸血鬼の喉に挿しこんだ。それを終えて身を翻し『死不忘メメントモリ』を刺された吸血鬼の顔面を上下に斬った。


 落ちている変哲のない打ち捨てられた剣を拾う。左右の手に色も形も違うとはいえ握られた刃は血と油にまみれてなお得物を求めているようで見る者を威圧するに十分だ。特に右手に握られた『死不忘』は一際輝きを増す。対する持ち主である九竜の表情には何の興奮も恍惚もない。無を変わらずに貫くその顔は戦慣れをした兵どころか幾多の戦場を渡り歩きに渡り歩いた怪物のようで戦慄を誘わずにはいられない気配をばら撒いている。


 しかし、九竜からしてみれば自分がこれほどのパフォーマンスを為していることに驚きながらも冷然とこの状況を俯瞰している。ずっと胸の内で芽生えている違和感が今にも芽吹きそうになっているからだ。


 ―弱すぎる。


 一言で言い表すのなら、手応えがまるでない。これまでならサードニクスクラスの敵が状況を打破するために意気揚々と突っ込んできていた。それが今回についてはうんともすんとも言わないのだ。まるでこの状況に一切の興味がないとでも言わんばかりに。


 或いはと、九竜くりゅうは目を時折轟音を放つ羽狩中央が拠点にしている真後ろのビルに向ける。戦いの規模がここで行われているものとは比にならないほどに激しいものであることが分かる。辛うじて見えるビルの内側に点在する炎がそれを物語っている。


 目と鼻の先という表現がピッタリな距離。あの先で一体全体何が繰り広げられているのかは九竜くりゅうには推察することしかできない。尤も今というこの面倒な状況を一息に自分たちに向けるにはこれだけで十分だ。


 一歩を踏み出す。対して吸血鬼は一歩を下がる。


 再び一歩。同じことを吸血鬼は繰り返す。


「逃げるな。来いよ、吸血鬼」


 逃げるなと言われて逃げない者はいない。特に自分の命を害そうと、奪って露ほどの罪悪感すら抱かないと分かっているのならばなおのこと。後退を繰り返す吸血鬼たちの足を止める者たちはいない。それが彼らの立場を強く物語っていた。九竜は、ジッと彼らの足元に視線を集中させる。


「お前らは、逃げることが出来れば…と考えているのか?」


 鬼が喋ったのではないかと聞こえかねないほどに低く、体の奥に染み込んでくる声が吸血鬼どころか味方である人間すら震え上がらせる。


「一つ教えてやる。お前らは捨てられている。誰も助けには来ない。誰も、救おうとするやつはいない」


 吸血鬼の一人が困惑の表情を浮かべて周囲を見渡す。口に出さずとも「聞いていない」、「知らされていない」ことが明白だ。結果的に彼らが九竜くりゅうの推察を形にしてくれた。


「お前たちに残された道は、降伏するだけだ」


 その場の空気が早朝の湖畔のように静まり返る。誰も一言も発さずに九竜、また別の誰かが口を開くときを待っている。それが徐々に吸血鬼側の感情を逆なでするであろうことを理解しての行動だ。


「ふ、ふざけるな‼」


 正面で踏みとどまっていた吸血鬼が歯頚を剥き出しに、大きく目を見開いて九竜を相手に今にも斬りかかろうとしている。その姿を目の当たりにした九竜の眉間に皺が寄る。


「意味のないことは止めろ」


「人間如きが‼たかが、人間如きが‼偉そうに‼」


 カタカタと震えつつも握る剣が心証を物語っていることを吸血鬼は気づいていない。まだ年若く見える吸血鬼はおおよそ争いとは多くの縁を結んでいないことを伺わせる。そんな後ろに控えている吸血鬼の多くがその光景を目の当たりにするや嘲りの表情を向けていることが九竜の眉間に刻まれている皺をより深くする。


 怖いのだろう。本当は今すぐにでも逃げ出したいということが痛くなるほどに伝わってくる。その姿に自らの姿を重ねてしまうから。唯一違うところは、かつての自分と違って自分を守ってくれる誰か、励ましてくれる誰か、導いてくれる誰かが存在しないこと。怒りが少しずつ冷めては憐みに変わっていく。


「あの女にアンタが尽くす理由は…」


「うああああああああああ‼」


 問おうとしたところで、吸血鬼が九竜に向けて突貫する。脂汗と絶叫と瞳孔が大きく開いた眼は九竜の脳裏へ強烈に焼き付く。それを彼もまた認識する。


 自分は、この光景を忘れることはないだろうと。だが、体は冷徹にどのように動けばいいかを予知しているかのように動く。


 攻撃そのものは大振りで避けるのは難しくない。渾身の力を込めたはずの一撃は石畳を僅かにひび割れさせるにとどまる威力にしかならない。躱されたときに浮かべた彼の絶望に落ちた青白い顔がどうしようもないほどにかつての自分と重なってしまったが、手だけがまるで分離したように動く。


 次に目にしたのは、首が宙を舞う光景だった。顔が見えなかったことだけが幸いだった。


 もし、このまま直視してしまっていたらあの首が落ちるまで、こっちにその眼が己を憎んでやまないとぶつけてくれるまで動くことが出来なくなっただろう。


 だから、前を向いた。恐怖にひきつった吸血鬼の顔を目の当たりにすることによって自らの内にある弱さを絞め殺すように。


「逃げないなら、殺す」

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