第396話 臨界25(パルマサイド)
パルマは短剣を握る右手を左手で何のためらいもなく切り捨てる。迸る鮮血が強い色彩となってサードニクスの網膜に焼き付いた。一瞬の出来事に体が硬直する。後ろに下がるとパルマは激痛が爆発している右手を抑える。脂汗がボタボタと落ちる顔でパルマの唇が歪に、大きく吊り上がった。
「勝負に手を抜いていると思ったか?悪いな。勝負事はカードゲームぐらいの些細な勝負ごとにだって勝たなきゃ気が済まないんだよ」
「ポーカーなら付き合ってやってもと思ったが、イカサマしそうな面してる奴とゲームをするのはごめんだな。肩に力を籠めすぎるのは耐えられんのでな」
「そりゃ残念だ」
脂汗をダラダラと流し、右手の切断面からはボタボタと今も鮮血が落ちている。ただ、切断面はあっという間に切断したばかりの右手が繋ぎ合わさって元の状態に戻る。
「こっちも残念だ。テメェ、本当に何者だ?」
「何度も言わせるなよ。俺は『アレッサンドロ・パルマ』だ」
名前の部分を強調する物言いは変わらない。直後にパルマの姿勢が傾く。実際のところサードニクスも頭が痛んでいる。この空間に長時間居続けた影響が出始めている。下手に隙を晒してしまうとこの戦いを一気に傾けてしまう原因になることは戦っている当人が一番理解できているから虚勢を張り続ける以外に均衡を維持するしかないのだ。パルマの心証は不明なため浅慮は命取り。
「やべェぜ。頭がグツグツ煮えちまいそうだ」
グラリとパルマの体が揺らぐ。今にも倒れそうと思えてしまうほどの動きは泥中に光る砂金のように見える。
チャンスと捉えられる場面である。動こうと思えば動ける距離。ガネーシャもすぐに動くことが出来る状況にある。
しかし、これまでの言動などを思い返すにフェイクを混ぜ込んでいる可能性は否定できない。判断を誤らせようとするのは、極度の緊張と這い上って首を絞めようとする熱さが今にも理性の牙城を突き崩そうとしているからだ。勝利へ向かってサードニクスを突き動かそうとする衝動は理性の綱という切り札を破壊しようとしている。
足が、動こうとする。鉄に誘引される磁石のように少しずつ前へ出ようとしている。合わせてグッと柄を握るも体は動かない。躊躇いがちに指に力を籠めると、僅かに動く。目の前に転がっているまたとない機会を得ろと。
「ちったぁ乗る素振りぐらいはしよろ。バカみたいじゃないか」
ケロッとした、如何にもいたずらに興じていた子どもですと思わせる声をパルマは発する。上げた顔を見て何もしなくて正解だったことを実感する。
「バカだからそんなバカげた策に乗ると期待したんだ。上手くいくわけないだろう」
本当は理性が吹き飛びかけて策に乗りかけてしまったことは胸に仕舞う。その経緯がサードニクスの頭をクールダウンさせる。
「お前ら何を企んでる?」
「テメェを倒すこと以外は何も企んでないぜ」
「あくまでもしらを切りとおすつもりか。猿野郎のわりに仲間意識はしっかりあるらしいな。おっと、間違えた。すまねぇな。猿だから同族意識が強いってわけか」
「どうとでも言え。化け物が」
目論見は勿論存在している。だが、今はまだその段階に差し掛かっていない。この状態で下手に仕掛けてしまうとこっちが一気に窮地に陥る。だから、何があっても理性という命綱を手放すわけにはいかない。
チリチリとギギの中で小さく青いスパークが迸る。
「らしくねェ返しじゃないか。面白みに欠けるぜ?そこはもっと感情的に、それこそ青筋立てて唾飛ばしながら怒るところだろ?猿呼ばわりされて悔しくないのかよ」
ズキンと胸の奥が痛む。言葉に、確かに反応した自分がいる。
『猿』という言葉にではない。『悔しい』という言葉に。
「人間は猿から進化したらしいな。俺は残念ながら人間じゃないが、俺よりも素晴らしい人間というものは知っている。ハッキリ言ってそいつのことを全く理解できていないというのが紛れもない本音だがな。自分の身も命も投げうってなんも出来そうもないガキを助けるなんて到底やろうと思えんことだ。尤もテメェみたいな品格も知性も感じられない文字通りのゴミに言ったところで意味のないことだな」
「化け物が人間を語るか。見世物としちゃあ上出来だ。ちょっとぐらいは愛想を振りまくぐらいの工夫は必要だと思うが?」
一瞬、オパールの刃が微かに鮮やかさを帯びる。右足に力を込めてサードニクスは飛びのく。元居た場所が焼け焦げ、ボロボロと崩れた。それが次の攻撃が始まりを告げる。
「だがよ。面白さってのは人それぞれで違うもんだ。1人にとっては絶大に面白い。1人にとってはまあまあ面白い。1人にとってはつまらない。1人にとっては超絶不快極まりない。さて、ここまで来たら、俺はどれだと思う?」
喋りながら熱波が刃となって牙を剥く。床も壁も次々に崩れて落ちていく。未だに焼けることも壊れることもないのはサードニクスのみ。
「抱腹絶倒と思っておいていいか?」
攻撃の手が一度だけ、止まる。光が吹いて跡形もなく消える瞳がものの見事に地雷を踏み抜いたことを物語っていた。
「正解は、超絶詰まらねえし、不愉快だっ‼」
目に見える熱波だ。床から天井までを攻撃範囲に含んだ攻撃。完全に避けられる場所はない。防ぐしか、ない。
「肉片1つ残さずに消し飛べっ‼」
「ちっ‼」
ギギを落とし、クロスさせた両腕で顔を覆うと同時に強烈な熱波がサードニクスを襲う。鎧で覆っていた箇所は間接的に肌を焼き、覆っていない場所は直接焼かれる。肌はあっという間に溶けて肉を炙る。熱はあっという間に炎となってサードニクスを焼く。
「ぐああああああああ‼」
今の今まで体に刻まれたことがないほどの激痛がサードニクスの体のありとあらゆる場所を襲う。火だるまになって悶え苦しむ姿をパルマはニヤニヤしながら眺めている。だが、手元は次の獲物がいる場所に狙いを定めている。右手首がピクリと、微かに揺れた。
「そこだろ?オトコンナ‼」
パルマの方向から見て右斜め。壁ごと熔かす斬撃を一振りに放つ。炉心すら溶かしてしまいそうな一撃は壁など存在していないと思わせる威力で突き進んでいく。
正面の廊下にガネーシャが姿を現した。
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