第379話 臨界8(ハーツピースサイド)

 もうそろそろ、聖女が目標地点に到達する。だが、肝心のものは未だここに来ない。


「事故った?」


 呆れたと内側で思っているのだろうなと伺える顔で姫川は普段と変わらないアンニュイな表情のまま端末をポチポチと弄っている。服装が制服なら完全に女子高生のそれだ。イメージが一度固まってしまうとハーツピースには集合時間に一向に現れないからイライラしている女子高生の姿にすり替わっている。


「直近の場所はすべて通行止めです。事故になるなどあり得ないことぐらい貴方だって分かっているでしょう」


 自分でも少し感情的になってしまったなと感じる声が出た。肝心の姫川は全く意に介していない。


「イライラしているのは分かるけど、ちょっとは落ち着きなよ。というわけで、これね」


 口に突っ込まれたのは棒付きのキャンディだ。強烈なベリーの味が口内に拡散していく。


「一応は君がここの責任者なんだから変にネガティブな感情を発散させたらダメだよ。特にこういう僅かでも現場が動揺している状況だとね」


「まあ、そうですね」


 飴を転がしているうちにハーツピースの精神は落ち着いていく。一方で聖女の歩みが刻む足音が近づいてくる。鏡を出してみると小さいながらも聖女の姿が写っている。ときを同じくして駆動音が聞こえた。


「来たみたいだね」


 護送車がやってくるのを確認すると姫川は柔らかな笑みを浮かべる。何処かホッとしているようでハーツピースは安心感を覚えた。


 ヘッドライトが見えてから1分もしないうちに車両は停まった。2人を中心に全員が見守っている最中に護送車から待っていた人物が姿を現す。


「お待たせしちゃったみたいね」


 手錠を嵌められた手をチャラチャラと鳴らしながら反省の「は」の字すらない軽薄な態度のままアンドレス・ピールはハーツピースの元に近づいてくる。


 高身長であるのに色白でやや筋肉質、睫毛は長い。加えて明るい紫色の口紅が幽玄な空気を強くする。ハットとスーツを合わせると男装の麗人と見まがうほどに妖艶だ。尤も声音を聞き、口調を知れば個性的な人物であるのだと察するに十分すぎる。


「お待たせどころじゃないところになるところだったけどね。踏みつぶされたら夢枕に立ってやろうと思ってたよ」


 ふざけた態度を取っていたアンドレスに姫川はチクリと嫌味をぶつける。ギリギリもギリギリだったのに反省の言葉一つなしとなればこの態度も当然と言えるかとハーツピースは納得する。


「それはゴメン被りたいわね。死ぬなら花に囲まれて大往生というのが理想なのよ」


「俎板の鯉みたいに死ぬとは考えないんですか?」


 呑気極まった態度と笑みを浮かべるアンドレスに今度はハーツピースが辛辣な言葉をぶつける。


「されても不思議じゃないわね。特に貴方。今にも私の首を撥ねそうなぐらいに殺気が出ているわね」


「肉を削ぎ落すのも、骨をぶった切るのも、殺すのも得意分野ですからね。知りたいのなら試してみますか?」


 今にも針を突き刺せば破裂しかねない風船が爆発するのは拙いと判断したのか姫川が割って入った。包帯が巻かれた手であっても多少なりとも力を入れることは可能らしくハーツピースの骨にまで強い圧力が加わる。


「フライパンに火をかける前に全員が丸焼けになっちゃうよ?ボクは嫌だよ」


 いつも通りの眠そうな瞳に仄暗い光が宿った。


「ん~、中々に剛毅なお嬢さんね」


 が、そんな剣吞さを他者なら感じるであろう雰囲気を目の当たりにしてすらアンドレスの態度は変わらない。


「マドモアゼルにも堪忍袋ってものがあるんだよ。そろそろふざけた態度を止めてくれない?生憎と今は両手とも空だから色々と出来るけど?」


「こっちは話をしてないと死んじゃうってのに。揃ってユーモアの欠片もないのね」


「吸血鬼にそんなことを説法される謂れはないね」


 重さを増した言葉を受けたアンドレスも流石にふざけた態度を改める。果たして改めたのか分からないからハーツピースに先駆けて姫川が口火を切った。


「アレの攻略方法、早く教えて」


「それは勿論よ。尤もこっちは倒し方を教えるだけということはお忘れない気ようにね」


「石鯛ぐらいは釣り上げてくるよ。で?肝心の方法は?」


 面倒くさいと言わんばかりに姫川は本題に切り込む。その問いにアンドレスは普段と変わらないしっとりした口調で言葉を紡ぐ。


「殻を壊して本体を引きずり出す。それだけよ。あとは…」


 口に出した言葉にハーツピースは眉根を動かさず、姫川は眉をしかめた。


「ボクのことなんだと思ってんの?」


 ギュッと両手を庇う様子はこれ以上の手ひどい仕打ちはゴメン被ると切に訴えている。訴えているが、今は何の効力ももたらさない。そのことは彼女自身が一番よく分かっている。


「ま、やるしかないわけだからやるけど。じゃ、それ」


 姫川の掌に一本のパイプが渡される。長さ大きさともに弓道で用いるカーボン製の矢と大差ない。


 何のためらいもなく左掌を切り裂く。白地を瞬く間に赤く染めては滲み出る雫はパイプの中に落ちていく。搾りたてのジュースを作るような光景は内容さえ知らなければそれにしか見えないだろう。


「女の子に血肉を捧げさせるんだから必ず勝ってよね」


 頼むでなく、命令の言葉。挑戦。受け取り方は自由だが、ハーツピースには命令に聞こえた。


「言われなくても分かってますよ。それに自分も憤懣やるかたないですから」

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