第369話 乱舞41(橙木サイド)

「だから、2人に、皆にお願いがあります」


 全員が作業の手を止め、呼びかけた真理を見る。集まる視線に心臓が、息が止まりそうになる。今までにない感覚に汗が噴き出して鳥肌が立った。この視線が溜まらなく嫌だったとことを今になって思い出す。逃げていた日々のことを思い出させる。


 だが、そんな日々も、世界も、自分も今日で終わりだ。


「力、貸してほしいって?」


 姫川は今更皆まで言う必要はないとでもいわんばかりに真理の言葉を先取りした。


「頼まれなくたってやるよ。これがボクの仕事だし、ボクの目的とも合致している。ハーツピースや他が何を考えているかは分からないけどね。それに、君の殊勝な態度を見られるなんて結構な幸運もついてきたからここに来て良かったと思えるよ」


 自分は言うことを言ったと示し話を振った。それにハーツピースは冷静に答える。


「これ以外に自分の生きる理由はありませんから。最後まで付き合いますよ」


 少し長々と話した姫川とは反対にハーツピースの答えは短い。付け足された紳士の礼を取る姿は慇懃をしっかりと感じさせた。


「ところでさ、九竜くりゅうはどうしたの?一緒に動いているわけじゃない?」


 突っ込んでくるだろうと考えていた質問が飛んでくる。緩みかけていた部屋の空気が再び引き締まる。今度は疑惑を多分に含んだ視線が真理を貫いた。


「知っていることは、ちゃんと言ってね?」


 迷っている真理に対して姫川は容赦なく釘をさす。鋭くない言葉ではないのにずっしりと胸に食い込んでくる。


「何か知っているようですね」


 ハーツピースも真理の反応を見て便乗する。同じように言葉が胸を刺し貫く。


 伝えるべきことであるということは、分かっている。いくら九竜が強くなったとはいえ女王麾下の吸血鬼と一人で相対して勝てるはずがない。


「我々だけなら話をしてくれますか?」


 ハーツピースが促す。地図の上をトン、トンと指で突いて威圧感をかけてくる。黙っているのはデメリットと判断し、真理はため息一つをついてぽつぽつと話を始める。椅子に腰かけるとジッと床の一点を見つめる。中途半端に剥がれた塗装が今の自分たちを示しているように見えた。


「…マレーネ・ロ・ティーチからご指名があったらしいわ」


 あの憔悴ぶりを目にしていればただならぬ関係にあることは何となく察せられた。ただ、サードニクスに見せた怒りを根源にした憎悪とは違う苦悩だったと読み取れた。


 強いて言うのなら強い愛、或いは友情が一息にひっくり返ってしまったが果てに待ち受けていた苦悩のように見えた。詳しくは知らないし根拠があるわけではない。勘だ。実際に自分が恋人を作ることにならなければ予想をすることもなかった。


「何故、我々に黙っていたのですか?」


 当然のようにハーツピースは舌鋒鋭く真理を言葉攻めに晒す。仮に真理の仮説が事実なら裏切りの可能性がある。今にも命綱が切れてしまいそうな状況にある旧羽狩にとってこの事態はとても容認し得るものではない。


「不要無用な噂話に嘘の尾ひれがついて事実でないにもかかわらず彼が願ってしまう原因を作ってしまうとは考えられませんか?」


 落ち着き払った口調で真理は平静を装って反撃を決める。


「だとしても、調べる時間は少なからずあったでしょう。2週間は敵の襲撃はなかった」


 ハーツピースの指摘は正しいと推し量れる。葵が九竜くりゅうに自由を与えるために『首輪』を付けていた。


 勿論、真理にもこの情報は共有されているが故にある程度は教えられている。


「散々にあいつらは虐殺しています。そのことをお忘れですか?」


「覚えてますよ。ですが、それは奴らの責任。叩き潰して償わせればいい」


 渋谷をきっかけに数多の襲撃があったにもかかわらずハーツピースにとってあれらの出来事は自分事と受け止めるほどの容量はないらしい。言い返そうとしたところで、真理は口を閉じた。これ以上のヒートアップは過度に不安を煽ることにしかならない。


「論点ズレてるから、止めようか。それにもうそろそろ奴が到達する。向こうからも開始のシグナルが送られてきてる」


 手をパンっと小気味よい音を立てると姫川は立ち上がる。ハーツピースはまだ言い足りないと思っているようだったが地鳴りのような振動に視線を真理から外した。

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