第359話 乱舞31(エウリッピサイド)
言われなくても知っている。カルナが『弦巻葵』と名乗る前からずっとグラナートを見る目に憧憬だけではなく対抗心が混じっていることを知っていた。それが腹立たしかった。
「死にたいの?」
返す言葉はそれだけ。それ以上の言葉はない。
「それは嫌だな」
「…そうなるしかないわ」
強力すぎる者たちがぶつかれば待ち受ける結末は、どちらかの「死」だけ。互いに生きて帰る未来はあり得ない。ましてや今の段階では最強クラスの面々。回避は絶望的だ。
「グラナートが手を抜いてくれると思う?」
「無理な話だね」
「分かっているなら…」
「分かっていてもやりたいんだよ」
耳に届く言葉は、確かな力に満ちていた。希望に満ちていて一点の曇りもない。止められないと悟っていた。だが、ここで止められなければ葵は三途の川を渡ってしまう。
許せるはずがない。許してしまえば、もう二度と手の届かない所へと行ってしまう。やっとまた会えたのに何も言えないままに終わってしまう。
「勝ち目のない戦いに意味はないわ。死んだら、それでお終いなのよ?分かっているの?」
暫しの沈黙の後に葵の指が肩をつつく。本当は顔を上げずに何もかもを嘘だと思い込めただろうにエウリッピは顔を上げてしまった。
「少しだけ歩かないか?」
晴れ空の下で歩く誘いならばまだしも赫と輝く炎を街路樹に瓦礫の道を闊歩するなどどんな愚者でも思いついても発言しないだろう。呆れていたら不思議と笑いが込み上げてきた。最初に出会ったころの記憶と重なった。目じりに涙が溜まるほどに笑い声をあげたのはいつ以来の出来事なのか思い出せないぐらいだ。
「どうした?」
突然笑い出したエウリッピの豹変に葵は不思議なものでも見たと言わんばかりの表情だ。ひとしきり笑い続けると呼吸を落ち着ける。
「いつも突然ね」
立ち上がるも葵の手は取らない。まだ聞けていないこともある。
「人間に味方している理由。それもグラナートの一件と関係してるわけ?」
「それ以外にあると思うか?」
葵はネクタイを外すとスーツを脱ぎ、ブラウス一枚になる。白い肌を覆う汗は流れ落ちては肌を艶めかしく濡らす。その色っぽさにエウリッピは唾を飲んだ。
「アタシにとって姉さんは憧れだ。それを超えたいと願うことは不思議なことと思うか?」
「…思わないわね」
ならばまた別の感情を思い抱くことがあったところで何かおかしなことはあるだろうかと問いたくなる。
―本当にグラナートが嫌いだ。
「その機会をあいつらは奪った。それがどうしても許すことが出来なかった。まあ、有体に言うなら復讐したかったって話だ。いくら姉さんでも生存する確率は絶望的だったからな」
戦いは確かに存在したが、刃を翻した者たちはグラナートに首と体を切り離された状態で見上げることを強制された。全ての勢力を叩き潰すのに一週間も必要はなかった。仮に葵を担ぎ上げた輩が居たとしても神輿を担ごうとした愚者を一匹残らずに皆殺して終わりになっていたことは想像も難くない。結局のところは全部が葵を死なせたくないと焦ったエウリッピの取り越し苦労に過ぎなかったわけだが。
「だから、帰ることなく世界をさすらっていたって?」
「前にも言ったけど、横やりが入るって状況が気に入らないんだよ。放っておいたら、隙あらば確実に邪魔をしてくるだろ?」
隙なんてあの二人に存在しているのだろうかと思いながらも話に耳を傾ける。
「部下を集めていたのも?」
「そういうことだ。あいつらにも相応の目的があったからwin-winな関係だ。双方の目的を果たすまでアタシたちは戦うって契約だ」
「納得したわ。貴女がどうしてあんな腐りきった組織に身を置いているのかずっと疑問だったけどその義理堅さを考えたら納得するしかないわね」
内心では「どうだか」と毒づく。葵ほどではないにしてもエウリッピは人間というものを長く目にしてきた。そして、例外なく腐りきった者たちばかりだった。どいつもこいつも組織の上に立っているという自覚がまるでなく全てにおいて「自分が、自分が」としか口走ってしかいなかった。話をしているだけで耳が腐るんじゃないかと思うことは何度もあった。終わってからワインを飲み明かしたことも数知れず。
「でも、2つに1つ。分かっているわよね?」
しかし、部下たちのことを大事にしていると葵がどれほど力説したとしてもエウリッピにはまるで関係のない話だ。
「そんなことは決まっている。姉さんと戦う場所を提供しろ」
予想した通りの返答に内心でほくそ笑んだ。自分が知っている、心の底から愛しているカルナ・アラトーマそのものだ。
「邪魔されずにグラナートと戦うことが叶えば満足ということなの?」
「可能か?」
現在動員できる兵力に全てを割けば問題のない話だ。報告にあった通りなら葵が抜けた本陣は奇襲一発で落とすことなど赤子の手を捻るよりも簡単だ。手を出すなとどれだけ口を酸っぱく布告しても誰一人として今のエウリッピの命令を真剣に受け止めることはしないだろう。仮に命令を聞くとすれば、好きなだけ戦って殺し尽くしても良いと宣言するときだけ。それに冷静にこの状況を利用すれば葵を欠いた状態で人間たちは戦いに臨まなければならなくなる。勝機をよりこっちの手元に引き寄せることも不可能ではない。
「容赦ないわね。後ろからグサリなんて」
「アタシは向かってくる相手によってやり方を変えるだけだ」
「勝ったら、私のところに帰ってくる。その条件でいいわね?」
一言一言に力を込めて詰める。「はい」か「yes」以外の答えは絶対に許さないと認識させるように。
「ああ」
葵は深く頷いた。言質は取ったと示すべくエウリッピは葵の手を握った。骨ばっていながらも滑らかな感触はエウリッピの心拍数を大きく速める。
「誰の邪魔も入らない場所を用意する。それとこのことは…」
「他音無用だ。墓までしっかりと持っていくさ」
手を離すとエウリッピは手を大きく天に掲げる。
「これで、これで‼全てが終わる‼私の勝ち‼勝ちだぁ‼」
狂気的なテンションで騒ぎ立てるエウリッピを葵は冷めた目で見ていた。
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