第352話 乱舞24(葵サイド)
夜の闇は未だ晴れることはなくコソコソと裏で準備をしているのはやましいことをしている気分だった。最後のトラックが発進すると葵は煙草を1本取りだした。
時間は午前4時。思っていた以上に作業は手間取った上に人は集まらなかった。本当のことを言うのなら日本政府の面々にも手を貸してほしかったが、事が漏れるのは避けたいという双方の合意から殆どを葵と一部の面々だけにしか協力を願うほかなかった。
「はぁ…。やっと終わった」
背を伸ばすと骨が小気味よくポキポキと鳴って硬化していた筋肉が嬉しい悲鳴を上げた。
冬場の寒さは体内まで浸透してくるようで左手は早く、早くとライターを求めている。
「火、いい?」
ポケットに手を突っ込んだままの真理が指に添えたままの煙草を前に出す。断る理由もないため先端に火をつけた。吸う姿はキリッとした顔立ちが合わさって妙に様になっている。あの偏屈で手のかかる子どもと思っていた少女がすっかり大人になった姿に感動を覚えた。
「何?」魅入っていた葵の様子を訝しげに見る。
「いつから煙草を?」
得心がいった顔で真理は紫煙を吐き出す。
「ちょっと前。でも、子どもを産む前には止めるかな」
「え?」理解が追い付かないでいた葵は灰を落とし損ねて指に赤熱した部分が触れて煙草を落とした。ジンジンと痛む箇所に息を吐きかけては痛くないと紛らわせた。ついでに煙草をすり潰した。
「お前、妊娠したのか?」
葵の言葉を受けて真理は下腹部を庇う。
「してないわ。話をちゃんと聞いててよ」
憮然とした顔は普段通りだ。いきなりデリケートな話に足を突っ込まれたのだから無理からぬ話かと自嘲の笑みが零れた。
少し前の話を思い返し、早とちりだったことに溜息をついた。
小さな点になっていくトラックを見送りながら葵は息を吐く。広がる白い吐息は普段以上に濃く見えた。
「でも、これが上手くいかないと願いごとを叶えるなんて夢のまた夢ね」
赤熱化している灰とは裏腹に言葉は冷たい。滲む不安は黒々としている。
「アタシもギャンブルはやりたくないさ。でも、やらなきゃ勝てないならやるしかないだろ」
「掛け金が私たちの命だけで済むなら、まだ安い方なのかしら?」
乾いた笑いを浮かべて真理は残っていた煙草をアスファルトに落とすと足でもみ消す。破れた紙から飛び出た中身が分解されている最中の動物の腸と重なる。それが余計に葵の傷口を刺激した。
「身内の命に値段をつける趣味はない。それだけは言っておく」
飛び散った煙草の残骸を真理は蹴飛ばす。完全に紙の保護を失った中身はアスファルトの隅々に挟まって消える。
「私の命には、あるわ」
それだけの言葉の中に押し込んでいた悲鳴と罪と諸々が内包されていた。聞いていた葵からしてみれば的外れもいい言葉だ。ただ、その言葉を高々笑い話などで一笑に付すことなどできはしないことはよく分かっている。
抱えるものの重さは当人にしか理解できない。まして長い歴史の中で紡がれた集大成に居合わせてしまった可能性が高いとなればその重さも外野には想像を絶するものだ。
「お前が気にすることじゃない。勝手にお前の親や祖先がやってきたことだ。そこに運悪くお前という存在が生まれ落ちた。本当はとっくの昔に分かってるんだろ?」
うつむき、一点を見つめる真理の目には何が写っているのかまでは分からない。それでも、脳は葵を認識し、唇は伝えるべきことを伝えようと動く。
「知ってる。そんなことを言われなくても。でも…」
靴音が生む音が駐車場を巡る。それを標にしてか真理は外へと歩みを進めていく。
「私は、自分がしてきたことを正しいってずっと思えない。これからも、そう感じることは永遠にこないと思ってる」
武闘派魔術一族にして異形殺しで数多の輝かしい功績を上げ続けてきたクラウンベリー家で現在存在する唯一の直系。魔術を極め敵対勢力と異形を殺すことにのみ力を注ぎ続けた武闘派貴族の最高傑作、多くを与えられた天才。男でなかったことが彼女を見た者たちの多くが陰で口にしていたこと。
しかし、多くを与えられた天才には決定的に冷酷さと残忍さを始めとした非人間性が欠け、不要無用な優しさと良識と真面目さを始めとする人間性が与えられた。最終的に現実に軋み、耐えられなくなった精神は悲鳴を上げ、今に至る。
「悪ぶったところで意味がないことも理解してるだろ?」
「分かってるわ」
自嘲を浮かべると真理は未だ浮いたままの月を見据える。
「どんなに逃げても逃げられない。まるで呪いね」
「呪い、か」
宿命、自らの性、才能。全て、全てに絶望しては立ち上がって絶望してを繰り返した人生の重さをしっかりと物語っていた。
「お前は何処へ行くつもりだ?」
「最後まで戦うわ」
凛とした顔は確かな決意を帯びている。だが、声音には隠し切れない苦悩が滲み出ている。
「無理なら銃を置け。もう二度と握らなくていい。次は、そんなことを言えなくなる。おまけにこの後戦うのは、間違いなく人間だ」
日本政府との関係は何処まで突き詰めたところで敵の敵は味方の理屈でしかない。エウリッピらを倒しきることが出来れば次に戦うことになることは自明の理。向こうもこのことは理解しているだろう。仲良く手を取り合うなど出来ないことは猿でもわかることだ。それに今回のクーデター騒ぎを耳にしたアニマが黙っているはずがない。
「私を見くびらないで‼」
自分に出来ないことはないと主張するように真理は声を張り上げた。金切声はどうしようもないほどに切実に本音を示していた。
「嫌なら嫌って言っていい。お前にはその権利がある。十分に務めを果たしている」
説得力がない失言と分かっていても言わずにいられなかった。それが結果的に憤怒を招く結果になったとしても。
「私はそれ以外を知らない。これ以外の生き方なんて誰からも教わったことがない」
彼方を見る目は今を、葵を見ていない。昨日を、かつての自分を見ている。だが、あの目が本当ではないと言っていたことを葵は見逃すことはない。
「それ以外をお前は望んだ。昨日までのお前なら1ミリたりとも考えもしなかったはずの生き方だ。正直、お前の口から子どもを望むなんて耳にする日が来るとは思ってもみなかった」
葵の指摘に真理は黙る。その静寂が夜空と合わさって酷く寒さを感じた。
「本当はお前自身だってとっくに気づいているんだ。出来る出来ないって話は」
「…最初からそんなこと分かっている話よ。人を救わなかったのは自分の力が及ばなかったせいだって思いたくなかったから。人と仲良くしたくなかったのは失って自分が傷ついて弱いって知りたくなかったから。家名から逃げ続けているのも重圧に耐えられない自分の姿を見たくないから。全部、知ってる」
長い独白のあとで真理は葵を見据える。見据えて、口を開こうとする。
「それは間違いなく命取りだ。その優しさはお前を強くはしない」
「それでも、よ。私は、やっと答えを見つけられた気がするの」
『この世界で、生きる』
口を開けば、こう言うだろう。どれだけ力を尽くした説得も、あらん限りの汚物を塗りたくった否定の言葉も、贅を凝らした煌びやかな麗句を並べ立てても動きはしない。
「好きにしろ」
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