第344話 乱舞16(マレーネサイド)

 夜空は黒い。吹く風は愉しむように肌を寒さで痛めつける。正面にはシャッターを下ろした商店街。こっちを見るなと主張している割に表面に描かれている歌舞伎の絵がこっちを見ろと見せつけてくる矛盾に無性に腹が立った。まばらに歩いている人々の中にいると自分だけがこの世で一番不幸な存在のように思えて仕方がなかった。


 フラフラと歩く足取りはとても頼りない。今にも折れてしまいそうで人の心が善ならきっと手を差し伸べてしまうだろうほどに。


 全部が崩れた。愛する人も、自分のよりどころだった強さも。負けたわけではないにしても圧されて引き下がったのは「負け」と何も変わらない。


 まばらに散っている星空は小さな針穴から差し込む光のように見える。マレーネにとって今はそんな針穴ほどの光も心に灯っていないからひたすらに虚しいだけだ。


 帰ってどうしようかと頭の中でやらなければならないことを考えてもやる気は全くでない。何もする気が起きない。体の内側にあった芯が消し飛んでしまったように力が入らない。 


 目に入った雑居ビルを見つめていると飛び降りたら全部が終わってくれるだろうかとネガティブな考えが浮かんでしまう。


 ―嗚呼、嫌だ。


 死にたいと思ってしまうと並行して浮かぶのは九竜の顔だ。あれだけ明確に拒絶されて一度は殺されかけたのにまだ胸に熱が残っている。子宮があの感触をと求めているように疼いている。立ち止まって下腹部を触れると人の気配があった。


「彼女、一人?」


 品のない言葉遣いは絶対に九竜くりゅうの声ではないと断言できた。本当に耳障りで不快。振り向くと予想通りに軽薄そうな面構えの男がいた。人数は、3人だ。


 無抵抗のマレーネはシャッターに追いやられて3人が正面に立つ。同意しなければ動くことはないということの意だろう。雑踏の彼方へと追いやられたマレーネの姿を通り過ぎる人々は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。誰も助ける気はないと如実に物語っている姿がこれまでの人間と教えてくれる。それが余計に九竜への思慕を強くしていく。


「で?暇だよね?」


 近くで吐かれた臭い息がマレーネを現実へと呼び戻す。それ以外の答えは受け付けないと歪んだ唇から覗いた黄ばんだ歯が男の本性を垣間見させる。余計に生理的な嫌悪感が募る。


「急いでるんだけど」


 構わずに前へ出ようとすると男の一人が肩で通せんぼだ。その気になれば押し切ることは出来たが一先ずは大人しくすることを選んだ。


「ちょっとつれないんじゃない?」


 さっきまでの軽薄な顔を威嚇が取って代わった。キャンキャン吠える犬を見ている気分だ。どれだけ誠実に頑張っても報われない姿が自分と重なって虚しくなる。


 むしゃくしゃする。上手くいかない現実に、人間の本性に、自分の弱さに。自分でも目つきがどんどん悪くなっているだろうことは容易に想像が出来る。


「じゃ、行こっか」


 マレーネの募る怒りに気づいているのかものともしていないのか男は肩に手を回す。肉の薄い手には傷らしい傷はない。ゴツゴツした指輪の感触が気持ち悪かった。

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