第332話 乱舞4(葵サイド)

 掛け値なしの地獄だった。その言葉が相応しいほどに思い出せるのは赤と灰色。鉄の音と怒号に罵詈雑言、悲鳴。頭が痛くなるほどに全てを鮮明に思い出せる。


 その只中で後のエウリッピとなる少女が一人震えていた。よく死なず、誰の目に付かずに生き延びていたと思えるほどの奇跡が存在していた。物珍しい動物を見つけたときのように傍らに居たグラナートが大きく口を開け、声を張り上げた。


「ビックリ‼よく生きてたね‼」


「失礼だよ。姉さん」


 と口にしたはいいものの、グラナートの言葉通りの状態だ。


 くすんだ赤い髪色はボサボサ、白い肌は埃に汚れていた上に身にまとっていた服はボロくず同然で少しでも動いたら一糸纏わぬ姿になりかねないほどに酷い。それ以上にゾッとしたのは目だ。


 青い瞳は元々が蒼玉を思わせる明るい色を帯びていたであろうに今は沼でも見ていると錯覚しそうになるほど黒ずんでいる。肉体はあっても精神は死んでいると口にしても誰にも否定はされないと思えるほど生きていること自体が奇跡という言葉が相応しかった。


 自分が身に着けていた外套を取ると葵(カルナ)は膝を折って背後に移動すると肩にかけた。


「大丈夫?立てる?」


 葵の手を取らず、エウリッピは頭を振った。立たせようと体を持ち上げようとするも体は動かなかい。力を込めるも反応は同じだ。


「ホッテオイテ…」


 生きる意思は、ない。三言も交わしていないのに目の前の少女が味わった絶望が嫌というほどに分かった。


 自分たちも、ほんの一瞬だけとは味わった黒さ。当然のようにあった日常が風に吹かれたように消えてしまう喪失感はとても言葉に出来ない。


「放っておけないよ…」


 気づいたときには、葵の手はエウリッピの手を引こうとしていた。生きる意思がないと如実に物語っている足は簡単に動いてくれない。


「何でこうも面倒なことするのかな~?」


 ちょっとばかりに困った笑みを浮かべてグラナートがもう片方の手を握る。自分を優に上回る力は簡単に動かなったエウリッピの体が動く。


「姉さん?」


 肩に手を回すどころかグラナートはエウリッピの体を背負う。埃だらけの姿は今しがた戦を乗り越えたと分かる姿をしているのに体力は無尽蔵と思えるほどピンピンとした姿勢で一歩目を踏み出す。葵は後に付いていく。


「背負うよ」


 自分が言い出したことだからと背負おうとしたところでグラナートは申し出を制す。向けられた微笑みは年長者としての余裕が存在していた。


「妹が大事にしているならこの子も家族。お姉ちゃんが妹を大事にするのは当たり前じゃない?」


 何を今さら聞いているのだと言わんばかりの表情でグラナートは問いかけ、前へ前へと歩みを進める。


「今日の夕飯はちょっと豪華にしちゃうぞ~」


 意気揚々とグラナートは明るい声でずんずんと進んでいく。


 早く追いかけなければ沈んでいく大きな夕陽に呑まれてしまいそうで怖く、葵は後を追った。

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