第331話 乱舞3(葵サイド)

 廃墟一歩手前のホテルを出ると葵と真理は現場近くに止めた車に乗り込んだ。起動させると備え付けのラジオから流行りのグループの曲が流れる。哀愁誘うバラードを歌い上げるのは透明感のある声だ。


「この曲、最近よく聞くわね」


「『Tempest』の『望郷』だな。お前もこういう類の曲は聴くのか?」


「街中で耳にする程度よ。自主的というわけじゃないわ」


 興味なさげな態度で真理は背もたれに体を預けて瞼を閉ざす。


 遠ざかっていく景色はつい先ほど事件が起きたとは思えないほどの静寂。エンジンの音と2人の呼吸、ラジオから流れる音が合わさった三重奏が車内を支配する。


 人の目のない場所を目指したいというのが本音だが、頬杖を突きながらイライラとした表情を浮かべている真理の顔は針が一触れしてしまえばボンっとなることは確実だ。少し早いと思いつつ葵は話を始めようと乗り込む前に買った缶コーヒーをハンドルの横に置いた。


 赤信号で停まった合間にプルタブを開けると葵は中身のコーヒーを一杯だけ口に含んだ。真理はペットボトルに入ったミルクティーだ。太陽は完全に顔を隠し、夜闇の帳は冬の寒さを名優の技の如く演じてみせる。


「さっきの話だが、お前はあいつの身柄をどうするのが正解と思う?」


「殺すことには賛同しないわ」


「そいつはアタシも同感だ。何せ分からんことだらけだ」


「…分からないことか」


 葵の言葉に真理は顔を俯かせて弱々しく唇を開く。流れる言葉もまた通っている血が少ないのではないかと錯覚してしまうほどだ。


「色々と知らなかったと思い知る日々ね」


「贅沢な悩みだな」


「当てつけ?」


「いやいや、本心だよ。生きてるって実感が出来るのは良いことだ」


 慌てて取り繕うも気に食わないと分かるほどに強い言葉と態度は窓から差し込む光の加減によっていつも以上に恐ろしく映った。憮然と唇を尖らせる様子に変化はない。


「恥の上塗りよ」


「雪げる恥なら上々。終わって逃げるほど肝は小さくない。違う?」


 本の数秒前まで浮かべていたキリリとした緊張感を伴う顔とは違う顔。それからスイッチをいつ切り替えたのか分からないほど口調は様変わりだ。


 そのことに真理は言及しない。自分の至らなさを余計に露呈することになると分かっていたから。


「負けたまま終わるなんて冗談でも笑えないわ」


「その一歩をつい最近踏み出したから?」


 突然の不意の言葉だったからか真理は言葉を詰まらせた。真っ赤になった顔は如実に彼女の変化と近況を物語っている。


「…知ってたのね」


「アレの浮かれ面を見ていれば分かるよ」


 鋭い指摘を受けた真理は赤くなった顔を見られることを嫌がったのか外へと顔を向ける。横顔に浮かぶのは自嘲の笑みだけ。


「あんなにつっけんどんな態度を取っていたのにどの面下げてって感じよね」


「受け入れる余裕がようやく出来たって話。お前の立場なら尚のことだよ」


「…本当は、こんなことしてる場合じゃないんだろうけどね」


「こんなときだからやるんだよ」


 少し言葉を区切って葵は言葉を続ける。本当はジェスチャーを交えて話をしたいというのが本音だが残念ながら運転で両手が塞がっているため使うことは不可能だ。


「武器を手に取る本当の理由は殺すためじゃなく守るためだと思ってる」


 体感で10秒ほど空白が生まれた。真理が噴き出してようやくピシリと固まった空気に亀裂が走った。


「らしくない台詞ね」


「最もな反応」


 チラリと真理の顔を確認すると緩んでいた表情は沈んだものに変わる。興味なさげに外を眺めていたときとは違って目はジッと葵を見ている。


「アタシの顔に何かついてる?」


「誰か…守りたかったの?」


 葵の問いに問いが返される。揺れる瞳は踏み込むことが奈落の門なのかもしれないと不安を物語っている。これまでの態度の報復を受けるのではないかという恐怖も含んでいるだろうかと勝手に推測した。余計な勘繰りかなと葵は小さく息を吐く。


「居た、ね。アタシの力は要らないほどに強かったよ」


「女王のこと?」


 返された言葉に棘が存在していない、脅威が無いと理解したのか真理は次の矢を放つ。葵も次のカードを切った。


「姉さんもだが、エウリッピもだね」


 目の前に映る景色はよく目にしている夜景だが、少しずつ色は在りし日の画へと変わっていく。小さなころの自分の目に映るのは愛おしい2人の姿だ。


「あいつと出会ったのは、戦場跡だったよ」

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