第328話 蠱毒40(九竜サイド)

 目が覚めた。ムクリと起き上がると頭が酷くガンガンと痛んだ。内側から軋みを上げるような痛みは頭から下へとじりじりと全身を嬲る。


 もう一度寝ようとしたところ、隣で寝息が聞こえた。目を向けると、馬淵の姿が目に入った。一糸纏わぬ姿は昨日の出来事を思い出させる。


 加えて、彼女がオレに告げた名前も。


 散々に触れた髪は触れるとサラサラとしていた。何度も触れていたいと思えるほどの触り心地であるのにチラつくのは小紫の顔、声だ。


「なんで…だろうな…」


 昨日までは愛おしかったはずの顔が今は別のものにしか見えない。天使の仮面を被っていた。その鍍金が剥がれ落ちた存在が目の前に居る。


 大切で守るべき存在の側だった。


 誰かの苦しむ顔を見たくなかったからオレはこの地獄の道を進むことを選んだ。


 そのはずだった。なのに、オレは守ろうと誓った存在を手にかけようとしている。


「ん…」


 小さく寝返りを打って首筋が露になる。


 白い、造形物と思ってしまうほどに美しい首。薄皮の皮膚の下に潜む血管が浮かび上がっている。


 部屋には十分に凶器として使うことが出来る道具がある。


 立ち上がって、洗面台に向かう。


 鏡に映る顔は筆舌に尽くしがたいほどに酷い顔をしていた。目元は赤く腫れあがっていて瞳は淀んでいた。


 カミソリを手に取った。ギロリと光る刃は普段使いしている得物と比較してみれば大分頼りがない。


「オレは、生きてるのか?」


 これで、自分の首を掻っ切るかあの白い首を搔っ切るか。


 衝動が堰を切って溢れそうになる。衝動と合わせ、鏡に映る刃と死人のような顔が合わさるとシリアルキラーだ。


 ベッドに戻るとマレーネは今も寝息を立てている。


 殺そうとすれば、難しくなどない。薄皮一枚を切り裂くだけ。


「くりゅうくん…」


 馬淵の唇が少しだけ動いた。顔には涙の軌跡。


 偽物ではない、本物だと根拠もないのに驚くほどストンと納得がいった。だからか、自分の名前を呼ばれて手が石化したかのようにピクリともしない。


「だいすき…だよ」


 眠っている最中に口にした言葉。


 たったそれだけの言葉で拠り所にしていた柱はボッキリとへし折れた。


 絨毯にカミソリを落として、オレは膝から崩れ落ちた。


 涙は、出なかった。


 しなければならないことは、決まっている。最初から決まっていることだ。


 それでも、オレはこいつを殺せない。


「クッソ…」


 どうして、オレから全部を奪っていく。与えておきながら目の前で根こそぎ奪い去っていくのか。声を押し殺そうとしても押し殺すことが出来ずに怨嗟の言葉が漏れた。


 ―何で、何でこうなるんだ。


 一緒に居たいだけ、守りたいだけ。


 ただそれだけなのに、それだけを願っているのに。


「こんな結末…認めない」


 未だ眠っている馬淵の手を握って、1つだけ誓う。


 こんな結末を描いたやつを許さない。


 神がいるのなら、殺す。


 悪魔がいるなら、喰らう。


 絶対に、許さない。


 許しはしない。



                  ~予告~


 今回で『蠱毒』は終了となります。


 これまでより長く、血生臭くて重苦しいストーリーになりましたが楽しんでいただけたのであれば幸いです。心弾む場面があったのかは別になりますが…。


 数多の思惑が絡み合って混迷を増す戦い。


 愛の絶頂から絶望のどん底へ沈んだ九竜と馬淵、憎悪と嫉妬の怪物に成り果てたエウリッピ、姉との決着に固執する葵。


 己が願いに忠実に生きる者たちが辿り着く先は…。


 次回からは『イノセンス・V 乱舞編』が始まります。


 今後ともよろしくお願いします!!

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