第319話 蠱毒31(貴船サイド)
疾駆する軽業師が得物を片手に跳ねまわる。手にする物は違えど幾度も見てきた姿。内に流れる血は変わっても面影が損なわれることはない。
「はあああああ‼」
絹を切り裂くのではないかと思えるほどに鋭い声がホテルの一角をビリビリと揺るがす。負けじと騎士も応じた。ガァンと轟いた音を起点に発生した轟音が部屋を揺るがす。
「やってくれるじゃん?思ってたよりは、さぁ‼」
槍を持ち替え、糸場は三叉に切り替えた穂先で騎士の頭を潰そうと狙う。重さと速さ。求められる全てを兼ね備えた一撃だ。
『A…A…』
騎士の口から掠れた声が漏れた。直後に金属がぶつかり合う音とは違う音が紛れた。装飾するのは体が軋む音だ。
重々しい体で騎士が跳ねた。とてもジャンプができる体をしているとは思えないほどの跳躍をやってのけ、穂先をあっさりと踏みつけにした。
「な⁉」
固定された槍は満足に動かすことは出来ない。躊躇えば、確実に首と胴体を切り離す事態になりかねない。
柄から手を離し、騎士の腕を潰すべく蹴りをぶつけると見せかけて糸場の腕がするりと騎士の体に入り込む。
「どおおりゃああああ‼」
轟雷。腹の底より吹きあがったと思わせるほどの大声で糸場は騎士の体を投げる。投げるというよりも叩きつけるという方が正確だ。その証拠に床が罅割れ、ドカンと盛大な音を立てながら一気に諸共に崩れ落ちる。1人、1つ。崩落に巻き込まれた廊下、スイートルームに存在するものが次々に落ちていく。
また失敗してしまったなと貴船が眺めていたところで何をすることも出来ない。
「ヤッバ‼」
逼迫する状況の中であっても衝動に呑まれずに戦えても周りの全てを気遣っていることなど出来るはずなど出来はしない。今回については、貴船としてもその咎を責めるつもりなどなかった。
下の階層は幸いなことに人は存在しなかった。濛々と砂塵が舞う中にあるのは崩落に巻き込まれた哀れなオブジェクトと敵対者の2人、自分たちのみ。肝心の騎士については叩きつけられた際に装甲の大半を破損したようで空洞を覗かせる。
「いや~、ほんとゴメン」
また貴船の体は糸場に支えられていた。助けた側であるのにちょっと怯えた表情で謝罪を口にする姿に可笑しさを覚える。顎が砕かれてしまったから満足に言葉を発することは叶わないが。
「中々に無茶苦茶してくれますね」
舞う粉塵に汚れることを嫌だと示すようにデスモニアはパッパと服に付いた埃を手で払う。その姿は未だに余裕が存在していることを示している。戦いはまだまだ激しさを増すと判断し、糸場は貴船の体を安全な場所に寝かせる。
「あんだけぶっ壊したんだから一々気にしなくてもいいだろ」
「確かに、私にとっては関係ありませんね。貴女たちの死期が1秒、10秒ほど早く縮まったところで」
デスモニアの
「ヒロイン気取りかよ⁉そのくたばり損ないが今更…‼」
今度は自分が優に在ることを示すべくマウントを取ろうとして、言葉を失う。
『A…A…』
呻き声が、横に裂けた口から漏れた。ガタガタと体が震えると同時に瓦礫が震える。
「な、なに⁉」
戸惑う糸場を余所に瓦礫は動く。向かう先は騎士の口だ。更に大きく裂けて次々に瓦礫が体内に収まっていく。
腹に出来た大きな穴が埋まる。崩れ落ちた腕が元の形を取り戻していく。元の形ではなく、より禍々しく歪な形に。のっそりと変わらない重々しい動作で騎士は立ち上がる。信じがたい光景に糸場は言葉を失う。
「驚きましたか?」
騎士と同じようにデスモニアの口が横に裂ける。動きがシンクロしたように見えた。
『A…A…aaaaaaaa‼』
直後に飛んできた咆哮に耳をやられて糸場は動きを封じられた。その一瞬が命取りになることを長いこと戦いに身を投じていた糸場には理解できていた。
「クッソ‼」
顔を前に向けたときには騎士の姿はなかった。振り向こうとして、違和感を覚える。
「あ、レ?」
胸に手が生え、糸場の体が大きく傾いた。
♥
悪夢。悪夢だ。
これは、現実ではない。現実ではなのだ。貴船の頭は認識などしない、認識などしたくないと拒絶する。倒れている糸場は似た誰かなのだと。血だまりに堕ちていくほど彼女は弱くない。届く血の匂いは自分の血の匂いなのだと認識させようとする。
だから、違う。違…う。
「随分と手こずらせてくれましたね」
貴船が見ている前でデスモニアが糸場の体を片腕で持ち上げる。普段なら必ずと言っていいほどにキャンキャンと小型犬のようにうるさく噛みつくのに一声も発しない。どんな劇薬よりも確かな激しさによって貴船に現実を急速に染みこませる。神経を高速で進み、脳にその画を、音を叩きつける。
「あ、あ…」
否定しなければと思っても未だズキズキと痛む数多の傷は逃避を許さない。許してはくれない。
「ん?何ですか?」
今にも頽れそうな体なのに貴船は糸場の体に手を伸ばす。それがデスモニアの嗜虐心を大きく煽ることになると普段なら理解できているはずなのに。
歯が見えるほどにデスモニアが口を歪ませて笑い、糸場の体を廊下の奥に投げる。受け身を取ることもなく、何のアクションを起こすこともなく体は床に叩きつけられる。
体は、動かない。ピクリとも。一声もない。
「いや…」
死なないでと叫ぼうとして声は出ない。
代わりに涙が止めどなく溢れる。
それが
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