第315話 蠱毒27(貴船サイド)
茫然と呟いた貴船の隙を逃さず、騎士は左拳でぶつ。咄嗟に右腕で防ぐも先ほど体感した膂力が余すことなく肉体に行き渡る。今度のダメージは先のものとは比較にならない。
骨が、砕けて肉が千切れた。痛みの洪水が肉体のあらゆる個所に行き渡って気が付いたときには床の上を転がっていた。自分の身に何が起きたのか理解するのに数刻が必要だった。それほどまでに騎士の内側に慄いた。
中身が、無かった。存在していたのは、一部の矛盾すらない負の感情の波だけ。文字通りに鎧の内側に誰も、それら以外は何も存在しなかった。
「知ったところで既に遅い。負ける側は常に何も知らず、理解せずに終わる」
無様に伏す貴船にデスモニアは嘲笑を浴びせる。
「クッソ…」
震える手は未だ水連を手放さない。それが余計にデスモニアの嘲笑を誘う。
「惨めですね」
デストロイを握ったままの手を容赦なくデスモニアは踏みにじる。加わる力は再び破壊を貴船の体へと賜与する。
「…っ‼」
抑え込むだけで手一杯の痛みを前にしても貴船は悲鳴を漏らさない。歯を食いしばって自身の手を飽き足らずに踏み続けるデスモニアの裾を掴む。その姿が、その手がデスモニアを苛立たせる。呆気に取られた顔は一瞬で苛立ちに歪んだ顔に変わり、更に嗜虐に満ちた顔に変わった。
「あんまりイライラさせないでほしいですねぇ‼」
掴む指を力づくで振り払う。破壊され尽くした右手で戦いを継続するなど不可能だと分かるほどに血塗れ、剥き出しの桃色の肉と滑りのある白色をした骨が垣間見える手はとても見るに堪えない有様だ。
「私に逆らうな‼人間‼」
金切り声が生み出す罵詈雑言が、終わりの見えない暴力の嵐が貴船の体を蹂躙する。
体が、心が死んでいく。砕いた欠片をより粉々に砕く。
否が応でも、底の底に封じていた記憶が扉に手をかける。自分の罪が眼を開こうとする。
「…やめ、て」
震える声で訴えても雨は止まない。より強く、より鋭く貴船の体を蹂躙する。狂気と陶酔に満ちた顔がいかなる手段を使っても止めようがないと知っているのに体は死という結末を拒絶しようとして、逃がすまいと迫る魔手に囚われる。
あのときと、何も変わりはしない。変わらない。
「やめて、よ…」
ちゃんと届いているのか分からない言葉。壊れた右手は動かない。左手を動かそうにも力が上手く入ってくれない。次に何が来るのか分かっているのに、次もまた謂れなき暴力であると分かっていても成す術がない。
「本っ当に‼」
顎が割れて、脳が揺れる。
「どいつもこいつも‼」
上腕骨が微塵に砕けた。
「どうして‼」
腹部に踵がめり込んで臓腑を分かつ。
「ア…」
声にならないか細い空気が落ちた。
「私の‼」
足が折れた。最初は右。続けて左。顔は暴力に酔っているのに楽しむ様子はなく機械的に、効率的に壊すべき場所を破壊する。
「邪魔をするんですか‼」
視界が、白んでいく。
「出しゃばらなければこんな目に合わずに済んだのに、可哀そうですね」
しゃがんで顔の高さを調整し、デスモニアは空の左手で貴船の首を締め上げる。
「あ…く…」
抵抗は出来ない。たった数刻の内に体の尽くが破壊され、足掻くことは叶わない体へと仕立てられてしまった。
武器は握れない。走ることも出来ない。生に繋がっているはずの何もかもが一斉に貴船から顔を背けた。
壊された箇所が熱い。きっと全身の骨が折れただろうなと思っても何処か他人事で自分の体で実際に起きている出来事であるのに外側で見ている感覚。それがもう自分は生きていないのだと嫌な事実を押し付ける。
首を圧迫していた力から解放されて一瞬の浮遊感に見舞われ、
「楽には死なせない。終わらせない。絶対に」
腹部を強烈な痛みが見舞った。駆け抜けず、引くこともなく貴船の脇腹を嬲る。ジンジンと痛むのは、火傷だ。僅かに散らす火の粉が弔花のようだ。
「いた、い…」
まともに傷を抑えることが出来ない貴船に許されるのは意味のない助命を嘆願する以外に選択肢は残されていない。
「痛い、ですか。同じですよ。私も痛いです。思い描いた絵をグチャグチャにされて…。嗚呼、本当にイライラする」
霞む視界ではどんな顔をしているのか分からない。分かっているのは、また暴力の豪雨が遠慮なしに壊れていない体を一つ一つ丁寧に破壊していくということだけ。
「ただの人間にしては面白かった。それだけは嘘でないと言っておきましょう」
顔を上げると、あの騎士が仁王立ちしている。ジッと貴船を見つめる瞳は奥に形容しがたい数多の感情が入り混じっている。
騎士の顔から胸部にかけてがゆっくり、ゆっくりと開く。内側は少しばかりの荘厳さを持っていた表層とは真逆で虚飾もかくやと言わんほどに真っ黒だ。一瞬だけ見えた光は幻だったのだろう。
漏れだした闇が貴船の肌を撫で髪を梳く。冷たく、熱く。あべこべな空気はとても理解の及ぶところにない。
「安らかに眠りなさい」
徐々に闇が迫る。一息に飲み込むのか、ゆっくりと咀嚼するのかは体験しなければ分からない話だ。出来るなら、生きて食われるなどごめん被りたい話である。
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