第298話 蠱毒10(青山サイド)

 料亭の門を潜ると青山の姿を認めた秘書が後部座席のドアを開ける。先ほどまで剣呑な空気に身を晒していた男とは思えないほどに普段と変わらない飄々とした足取りで乗り込んだ。シートベルトを締めたことを確認すると車は動き出す。


「お疲れ様です」


「あの程度は造作でもないさ。前の男の方が実に厄介だった」


 頭をよぎるのは、1時間すら経過していない時間の中で土下座をする男の姿のみ。他のことは印象に残っていない。他には食べた料理のことだけだ。いつ食べてもあのまぐろは美味だと正確に思い出せる。


「そのお顔からして…」


「ああ、組むよ。いい条件を引き出すことが出来たからね」


 ニヤリ、と青山はスーツの内ポケットに潜ませていたレコーダーを取り出す。重要な切り札であるため無暗に晒す真似はしない。


「あれほどの人材。みすみす逃すなんて信じられないバカだよ」


 芥子川けしかわは部下の情報については目立つ個所しか送りはしなかった。だが、あの手合いは自分の能力を過信して他者を侮る傾向にある。付け入る隙は十分にあった。


 経歴や趣味趣向までキッチリ、細部はとことんまで作り込んでありこれが全てだと信じさせるぐらいには良く出来ていた。勿論、数日かけて精査すれば見破れないほどのモノでなかったが。特に気になる存在は、主に2人だ。


 弦巻葵つるまきあおい。一見すれば西欧を起源に持つブロンドの長髪を持つ美人。ギンっと光を放つ力強い翠の瞳が特徴の如何にも出来る女という雰囲気が写真越しにも伝わってきた。ただ、よくよく写真に写る瞳の奥には、黒い炎が燃えていた。轟々とではなく熾火が燻っているようだった。にもかかわらず、経歴は淡白で綻びらしい綻びは存在しなかった。指摘するところがあるとすれば、驚くほどに完璧すぎるということか。


 もう1人は、九竜朱仁くりゅうあけひと。初見からしてパッと見は何処にでもいる少年だった。そして、見た目通りに経歴は短く取り留めもない。そこが青山の興味を引いた。理由は分からない。何の能力を持っているのか分からず、如何なる経緯を経て修羅の世界に足を踏み入れたのかも不明。気になった理由を強いてあげるならこれぐらいか。他のメンバーについても気になる存在はあったが、手元に置いておきたいとすればひとまずはこの2人。


「一発で仕留められなかったのは、こちらにとって幸運だと受け取るべきかね」


「今まで我々の領域の外側で起きた事象なので測りかねる話です」


 秘書の淡々とした反応に青山は鼻で笑い、窓の外に目を向ける。遠くに見える高い電波塔が視界に入った。


「神話を紐解いている気分だ」


「事実は小説よりも奇なり、ですか?」


「空想は味気ない。何よりの娯楽を生み出すのはいつだって生きている人間だよ」


 流れゆく電波塔を逃さないと言わんばかりにジッと青山の目は窓から消え失せるまで凝視し続けた。

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