第293話 蠱毒5(葵サイド)

「大分厄介なことになったねぇ」


 額に浮かんだ汗を拭うと金崎は疲労を滲ませた顔で葵に水を向ける。


「全くだが、どっちに転ぶかは分からんな。世界でも最高クラスの軍隊だ。指揮系統を別にしているとしても十分すぎる存在だ。居てくれるだけでも心強い」


「でもさ、外から攻撃を受けたわけじゃないから武装は限定されるでしょ?」


 頬杖を突きながら欠伸を嚙み殺している姫川が気だるげに動かしている。顔にガーゼと包帯、手にも包帯と見ているだけで痛々しい姿だ。


「穴倉を決め込んで出てこないと想定するなら航空部隊も戦車隊も効力を発揮しないだろうな。立地的に艦隊援護も期待できない。それに前例がない出来事だ。法律も何もない。今から会議をしたところで直ぐには決められんだろうよ」


 核弾頭をぶつけることが叶えば確実に勝利へ持っていくことも出来るだろうなと胸中で付け加えておく。尤もこれは絶対に切れないカードとして封印しておくべきだろう。


「ただ、奴らも二方面からの攻撃を警戒しておかなければならないというのは頭の痛い話だ。付け焼刃だろうと戦い方を知っているなら知らないよりは遥かに強力だ。芥子川けしかわが協力体制を構築している段階で必要最低限の装備についてのノウハウも渡しているはずだから量産体制こそ揃わなくても一戦交えるぐらいには十分に揃えられるはずだ」


「納得。でもさ、奴らがどんな攻撃をしてくるのかまでは想定のしようがないよね」


「問題はそこだな」


 想定されるパターンは、本拠地である中央を狙ってくるというのが最も濃厚だ。これは最初に列挙されるぐらいであるためエウリッピも事を起こす可能性は低い。奇襲と挟撃をあれだけ完璧なタイミングで繰り出しておきながら目を覆いたくなるほどの失敗を晒したとなれば尚更だ。負け犬に素直に従うほど理知的な性質は有していない。


 散々に策を弄してきたことを考えるに戦力はまともに残っていない可能性が高い。それだけに、次に何を仕掛けてくるのか判然としない。真っ向勝負で挑んではこない。搦手を行使して雁字搦めにして終わらせようとするだろう。何処から攻めてくるか分からない神出鬼没さも奴らの武器。仮に戦うだけの理由が未だに残っていればの話にはなる。


「ところで、彼は今どこに?」


 金崎がこれまで避けられていた話題に触れる。姫川の眉が動いた。戦いに意識を集中していたから2人の間に何が起きていたのかは知る由もない。


「伸び伸びしているよ。何をしているかまでは知らん」


 首を突っ込まないほうが良いというよりは、下手に痛い傷を勘繰られるほうがよろしくない。ただでさえ、戦力が減ってしまった状況を鑑みるに九竜くりゅうを戦力として使わないという選択肢は最初からない。わざわざ箝口令を敷いた意味がない。


 葵にしても九竜の『力』についてはまるで分からないことが多い。知っているのは真理や姫川から聞いた話から推察できる範囲だ。


 あの力は自分と同質の力であることまでは分かっている。違う点は当人すら制御が出来ないレベルで強いこと。分かっていないことは、何がトリガーになっているのか、どれほどの時間あの力を振るうことが出来るのか。戦力としての信用はあまりない。だが、使わざるを得ないというのが現実だ。


「良かったのかい?首輪をつけていなくて」


「理解できないものには下手に触れない。調べている時間がないなら触れるべきじゃない」


 煙草に火をつけ、紫煙を体内に取り込む。久々に味わう煙草の味は溜まっていた疲労を取り去るようで頭が冴える。堂々と煙草をくゆらせる葵の態度に真理が眉をひそめるも無視して続ける。


「そこまで彼に肩入れしているのか?」


「契約だからだ。アタシの目的に付き合わせるんだからこっちも同等の対価を支払う。当然のことだ。同じ立場ならお前だって守るだろ?」


「倫理に反しないという前提ならば、だね」


 答えると金崎は立ち上がる。不敵な笑みを浮かべるさまは普段と変わらない。


「私は己の信念を貫く前に公人だからね。義務を貫くことが最優先だ。情に絆されて己の仕事を全うできないなど話にはならんよ」


「なら、アタシへの余計な恋慕なんざ清算しておけよ」


「君が敵に回るなら、そのときだ」


 言い残すと金崎が部屋を去る。続けて糸場が伸びをする。硬くなった体はバキバキと小気味よい音を立てる。


「ア~。仕事めんどくさい~」


「面倒なのが仕事だよ」


 喘ぐ糸場に姫川が苦言を呈す。不満タラタラの顔は収まるどころか強くなる。


「仕事変わってよ~。監視なんて性に合わない~」


「監視?」


「監禁してる委員会の監視。ハーツピースの代わりだよ」


「ああ。本当はボクがやる仕事だったやつか」


 得心がいったという顔で姫川が手をパンと叩く。気だるげな眼は本当に思い出したのか疑わしい。


「そういう、こと‼テメェがボロ雑巾になったからあたしらがやる羽目になってんだよ‼」


 途端に爆発した糸場が姫川に噛みつく。剣幕に押されかねないほどの迫力を持っているはずなのに姫川はとぼけた態度を一向に崩さない。


「同じ場所に居たらボロボロになるよ」


「ならないし‼あたしは強いもん‼」


 目を吊り上げて糸場は姫川に強く食い下がる。ギャンギャンと響く甲高い声は反響して耳が痛い。煙草が不味くなる。


「痴話げんかは外でやれ」


 葵が凄みを利かせると今しがたまで騒いでいた糸場は口を閉じる。一瞬だけ覗き見えた軋む歯の隙間から負の感情が吐息と共に滲み出ていた。


「処刑の許可が下りたら、お前にやらせてやるよ」


「え⁉いいの⁉」


 不満タラタラのしかめっ面が一気に華やぐ。好物を目の前にした子どもそのものだ。


「ああ。好きにしてくれていい。なんなら、今すぐにでもやって構わんぞ」


 裏切った委員会は手順通りに裁判にかけて片を付ける予定だ。だったというほうが正確かと葵は認識を修正する。今はとかく時間が足りていない上に生かしておいて足を引っ張る可能性がある芽は摘めるときに摘んでおいた方がいい。


「じゃ、あたしぶち殺していい?」


「理由付けはどうするの?」


 目をキラキラさせている糸場とは反対に姫川は現実的な話題を振る。ムッとした顔で糸場は噛みつこうとして葵が睨みを利かせ黙らせる。


「罪状は十分にある。スパイ行為だけじゃないからな。危うく後ろを刺されて終わる可能性もあったわけだ。逃走しようとしたから止む無く射殺したやら理由は十分だ」


 全部芥子川けしかわが独占していた情報であるから詳細は全く知らない。後ろから刺される可能性については推測の範囲を出ない。だが、戦においては特に珍しい動きではない。過去の戦いでこの手管は幾度か目にしている。


「それで良くない?監視付けてるぐらいだから信用ないってわけでしょ?」


「それだけなら構わんさ。ただ、無能だとしてもあの保身に長けた連中だ。念のために駒は慎重に進める必要がある」


「石橋を叩きすぎてガタがきそうだね」


 ポケットに仕舞っていたチョコを齧りながら姫川が嫌味を口にする。色合いからしてビターチョコ。灰皿に煙草を擦りつけて姫川をチョイチョイと手招きした。


「1枚くれ」


「300円」


「ぼったくりだな」


「500百円」


「頼んだアタシがバカだったよ」


「ボクのチョコはそれぐらいの価値があるんだよ」


 フフンと鼻を鳴らしながら姫川は葵の手に包まれたままのチョコを乗せる。


「大した自信で助かるよ」


「あれだけの戦いを生き残ったんだから自信もつくよ。これじゃ世話ないけどね。多分、次は戦えない」


 と包帯が巻かれた掌を晒す。ポールに磔にされていた姫川の姿を思い出して痛々しさが蘇る。


「武器を使い果たしたか?」


「悪いけどね。補充も出来なそうだし、手もこれ。それに体が結構重い。ここ最近はまともにメンテナンスもしてないからさ」


「戦力が低下するのは避けたいところだが、こればかりは仕方ないな」


 2本目の煙草に火を付けつつ葵は姫川を流し目で見る。


 人間ベースの吸血鬼。実際に目の当たりにして存在を認識するに至った者たち。力は人間を優に超えてはいても吸血鬼には及ばず、寿命は人間にも及ばない。切り札としている力も共鳴リベラスの劣化版。加えて肉体のスペック、いかなる方法で体を改造したかはブラックボックス。兵器としての性能は信頼するに能わない。結局のところは全てにおいて中途半端という言葉がピッタリな存在。


「信頼されてないみたいだね。ボクは」


 姫川は不信感を込めた瞳でジッと葵を見る。咥えていた煙草を灰皿にトントンと落として葵は紫煙を吐く。


「誤解だよ。少なくともアタシの部下を体張って守ってくれたんだからな。多少の休暇があったところで問題はないと思うが?それとも、命令って言った方が従順か?」


「お節介だね。休暇も仕事だって理解しているよ。でもさ、1つだけ約束して欲しいことがあるんだけど、聞いてもらえるかな?」


「叶えられる範囲ならな」


 葵の答えを聞くと、姫川はダウナーな表情から一転して能面を思わせる不気味な表情に変わる。漂白された布を思わせる顔は色素が消え去ったようで葵の体に寒気が走る。持っていた煙草をすり潰した。


「エウリッピ・デスモニア。あいつをボクに殺させて。自分の手であいつの首を跳ね飛ばさないと気が済まないんだよ」


「…好きにしろ」


 短く答えて葵は立ち上がる。ピリついた空気と緊張感がブレンドされた部屋での会議は体を凝らすには十分だ。


「アタシも行くぞ。何かあればすぐに教えろ」


「了解」


 姫川から了承の言葉を受け入れると葵は会議室を後にした。

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