第284話 破戒28(姫川サイド)
その光景は、あり得ざる地獄。幾体の死体が作り上げているのか到底数える気にもなれないほど悍ましい代物。しかも、その頂で吠える人なのか、吸血鬼なのか、獣か、悪魔か。どのように例えるべきか分からない存在が自らの功績であると陣取っている。
ギロリ、と。
紅玉の如き鮮烈さ、憎悪を炉心として業火と燃える瞳に窒息しそうになる。いや、一瞬とはいえ呼吸をするのを忘れた。
壊れたプロテクター、アンダースーツの隙間から覗く大小多々の傷跡は戦いの苛烈さを物語っている。少しだけ色の濃くなった箇所は誰の血がもたらしたものなのか聞くにはなれない。
言葉が、出ない。これまでずっと、ずっと底の底に押しとどめられていた混じりけのない負の感情が姿形を持ったものを目の当たりにして何一つとして。
「ゴメン。違ったね…」
当たり前だったから、誰だって乗り越えることが出来るのだと切って捨てていた。
真下の死体の1つと目が合った。『死』という1つの情景を物語っているのに浮かべる表情は様々。それでも、目が合うたびにお前もこっちに来いと手を掴もうとしているのではないかと思えてしまうほどに強すぎる絶望が張り付いている。それが余計に彼の苦悩を物語っているようで直視することが出来ない。
敵だから殺すのは仕方ないこと。だとしても、躊躇っていた殺しを幾万幾億と重ねる行為を認めるのは、測りようのない苦痛があったのだろう。
どうすべきか、何をするべきかも定まらないままに積みあがった死体を見ていた緋咲音を殺さんと飛び上がる。
「クッソ」
生者を抉らんとしていた赤くしとしとと濡れる太刀は山に加わっていなかった死体を刺し貫く。仕留め損ねたと理解した
「…ボクも殺すつもり?」
確認の言葉に九竜は答えない。感情が生きているのか、理性が僅かでも残っているのか明らかにはならない。
累々と積まれた赤い血を垂れ流し続ける死体は今もまだ血の河を押し広げている。自らの領土を広げ、誉を主張するように。
地面を浸す血に波紋が走る。水溜まりを靴で踏んだときと変わらない画だ。
緋咲音との距離は、100mほど離れている。しか離れていないと解すべきか、離れていると解すべきかは当事者しか知る由はない。
逃げなければ、死ぬか。自らの身に降りかかっている厄災を前にして
武器は、全て使い切った。刃も弾も一つも残っていない。走ろうとしても満足に走ることは出来ないほどに体にも力が入らない。正に弓折れ矢尽きるだ。
「…しょうがない、か」
納得が出来るほどの理由か否かと問われれば、少しばかり返答に困るところだ。一方で納得してしまっている自分もまたいる。諦めか徒労か。理由は、分からない。
死ぬのは、勿論嫌だ。痛いのも、勿論嫌だ。
あのとき自分が彼を殺しておけば、捕らえることが出来ていたのならこんな罪過に手を染めさせることも無かった。これほど追い詰めることも無かった。恋人のところに送り返すことも、こんな醜悪さに満ちた奈落に足を踏み入らせないことも出来たはずだ。
自分がもっとしっかりしていれば、誰にも負けないほどの強さを持つことが出来ていればと後悔ばかりが積み増しされていく。
一歩ずつ、確かな重さを以て死神の足音が迫って来る。
太刀を伸ばせば、届く距離。だが、一本筋と張るはずだった太刀は本来の姿にならずそれを為すはずだった体は大きく傾く。
「九竜‼」
宙から支えていた糸が半ばからプツリと切れたように堂々と聳えていた肉体が崩れ落ちていく。
罠かもしれないと普段なら飛び出すようなことはない。リスキーな選択肢を取ることはないクレバーな女だと自覚していたから。
受け止めた体は重くて熱い。体の奥で内熱機関が暴走しているようで手が爛れてしまうのではないかと思えてしまうほどに。乱れに乱れた呼吸は生きていることを、今なお生きようとしていることを証明してくれている。
―嗚呼、そうか。
ようやく得心がいった。穴だらけだったパズルに面白いほどピーズが当てはまって一つの画として形を成していく。ぼやけた輪郭がしっかりと顔を見せた。
「…バカ」
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