第110話 女王18(九竜サイド+サードニクスサイド)

「撤退だ」


 構えていた大刀を解除して阿慈地あじちは呟いた。


「どういうことですか?」


 チャンネルを合わせていないオレには何が聞こえたのか分からない。天長あまながとあのドレスの吸血鬼が戦っている戦場で大きな変化があったからか。隣とはいえ、確認をしているだけの余裕はなかった。


 尤も撤退というのは困る状況ではない。サードニクスは現在進行形であの繭の中にいる。暫く出てくるまで待つしかなかった状況をひっくり返すことが出来ない以上は、どっちに転んだところで大差はない。


天長あまながからの指示だ。急げ」


 大刀を仕舞うと阿慈地あじちは踵を返し、駆け出す。オレもそれに倣って死不忘メメントモリを鞘に納めて後に続く。姫川をはじめに他のメンバーも蜘蛛を散らすように全員が駆け出す。整然としていない、余りにもグチャグチャな撤退だ。

 背後を見ると、闇の中に煌めく群青色の光が見えた。


 立ち止まって見とれそうになるほどに神秘的な光景だった。


「立ち止まるな‼」


 さっきまでの落ち着いた声とは一転して、怒号に身を震わせそうになる。お陰で我に返り、駆け出そうとした直後に、強い力で引っ張られ、オレの体は前のめりになる。直ぐに体を阿慈地あじちの腕に固定される。

 そのまま、周辺に聳えるビルの影に阿慈地と姫川と共に転がり込む。


「もっと離れなくて大丈夫なの?」

「これ以上移動するのは無理だ。もう間もなく、来る」

 糸目が開き、ついさっきまで居た場所に阿慈地の瞳が動く。


「死なないといいけどね」

 極限状態であるにもかかわらず、姫川は軽口を叩く。


「なら、祈っておけ。死なんようにな」

 2人が緊張感を伴わない会話を交わしている中で、オレは胸に手を当てた。


 ―生きてる。


 まだ死地にいるにもかかわらず、自分の心臓が動いていることを実感した。


「大丈夫?何処か怪我でもした?」

 顔を俯けているオレが気になったのか姫川が声をかける。


「取りあえずは間にあ…」

 オレが答えようとしたところで、世界が反転した。


 そんな風に錯覚してしまうほどの衝撃が世界を覆った。


 熱風。肌にある水分をあっという間に吸い尽くしてしまうのではないかと思えてしまうほどの熱量で隠れているビルを容赦なく炙る。


 轟音。耳に響いたのは一瞬だったが、終焉を告げる鐘の音ではないかと錯覚してしまうほどに絶望的なものと聞こえた。


 目の端に映った景色は、正しく地獄の門が開いたというべきものだった。


                  ♥


 外に出ると、全てが終わっていた。


「おいおいおい。何なんだ?これは?」


 サードニクスの目に写真で見るような光景が広がっている。本来あるべきものが全て黒く染まっている。終末世界そのものだ。


 踏み出すと、体に付着したままの水がジュウウという音を立てて蒸発した。色々な物質が焼け果てたと証明するかのように鼻を突くほどの激臭が辺り一面を満たしている。


「ついついやりすぎてしまいましたね」


 フワフワとエウリッピが夜空から舞い降りる。一枚絵のような姿は宗教画の一幕と言ったところで十分に神秘的だ。


「堂々と約束を破る気分はどうだ?」


 素知らぬ顔で真横に降り立ったエウリッピを糾弾する。


「義理人情とやらにどれくらいの価値があると思いますか?」

「こっちが聞いてるんだよ」

 苛立ちを隠そうとせずにサードニクスは言葉を続ける。勝手に勝負を決められたばかりか、約束を反故にされた。


 とても、許せる話ではない。


「目的を果たすことが出来たのですから問題はないでしょう」

 エウリッピは踵を返し、真後ろにある廃墟へ歩く。


「こんな中途半端な形で帰りますと言われて納得がすると思うか?」

 サードニクスはギギをエウリッピの背中に向ける。握った手に力が籠る。


「帰りますよ?目的は既に果たしてますから」

 核心を全く明かさない態度にサードニクスの何かがキレた。


「ふざけるな‼」


 ギギを全力でエウリッピに向けて全力で突き出す。


 しかし、届く寸前で受け止められる。しかも、左手のみで。


「だから、信頼されないと理解できないですかね?」


 先端が、飴細工のように捻じ曲げられる。歌手を思わせるほどに美しい声音であるのに、心底身震いするほどの冷たさが伝わってくる。


「それとも、鎮魂歌レクイエムをご所望?」


 あり得ざる光景に仕掛けたはずのサードニクスの体に力が入らなくなる。まるで、金縛りにあってしまったかのように手足が動かせなくなっている。


「これだけの失敗をしておいて、何の説明もございませんが通用すると思ってるのか?」

「通用しますよ。私の方が強い。この一言に勝る言葉はないでしょう」


 右手に納まっている銃が、頭に狙いを定める。


「もう一度、試してみますか?」

 トリガーに指が添えられる。


 躊躇はない。お前など殺せる。そう物語っている。


「…分かったよ」

 舌打ちをしてサードニクスはギギを下ろした。

「ありがとうございます」


 口元に笑みを浮かべ、法衣の端を掴んで一礼する。動作の優雅さ、纏っている穏やかさは本物の修道女に見えそうになる。


 トコトコと崩れ落ちたビルへと歩いていく。灰燼吹きすさぶ焼け野原は戦術兵器が辺り一面を破壊し尽くしたかのような有様だ。

 付いていくことが癪だったサードニクスは居残り、攻撃が無いかを警戒する。この惨状を目の当たりにして、攻撃を仕掛けてこようなどと考えるようなバカはいないと頭では理解できているが。


「お待たせしました」


 エウリッピの腕には、幼子のような女王がお姫様抱っこと言われる姿でスヤスヤと規則正しい穏やかな寝息を立てている。とてもあれだけの暴れ振りを見せていた存在と同一と言われても疑問形で聞き返したくなる姿だ。更に後ろから数人が続く。

 とりあえず、全員揃ったようだ。


「これだけ暴れて誰も死んでないとは驚きだな」

 共鳴リベラスを解除しながらサードニクスは言う。


「そうですか?これが普通なんですよ」

 同じようにエウリッピも共鳴リベラスを解除しながら言葉を返す。姿が普段目にしている深紅のドレスへと戻っていく。


「戻ったら祝杯でも挙げますか?」

「酒は好きじゃない」

「つれないですね」

 誘いを断られたエウリッピは唇を尖らせるが、無視してサードニクスは先に前へ進む。


「では、帰還しましょう」

 背を追うようにエウリッピらも歩き始める。

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