第106話 女王14(天長サイド)
グラナートの振り上げた剣の切っ先が地面に触れ、その瞬間に地割れが起きた。底知れない深淵は落ちたら二度と戻れぬ蛇の大口を思わせる。
「アハハ!」と笑いながら横一文字に仕掛けてこようとしていることを見抜いた天長は後退するとエスポリを2本抜いてグラナートに投擲した。これはミゼリコルデ型の
攻撃態勢に入っていたグラナートは回避しきれず左腕に1本が命中した。だが、彼女の勢いは衰えることを知らずに直進してくる。
剣撃を紙一重で躱すと、天長は体を捻ってグラナートにカウンターを仕掛ける。
「へぇ…。思ったよりは全然やるねぇ」
渾身の一撃とは言わないまでも打ち込んだアビスの一撃をグラナートは左手、しかも素手で受け止めている。
「飛び道具を使ったことですか?」
「んー?それも込みってところかな」
グラナートの逸らす瞳の先にはエスポリがある。
「サービスでもう一度味わってみますか?」
「遠慮しておくかな。痛いのは嫌いだもん」
狂ったように熱に侵される想いがギラギラと揺らめく瞳から伝わってくる。それに呼応するようにアビスを受け止める力も強まっている。あと少し圧力が強まれば刀身は飴細工の如く捻じ曲げられ、粉砕される。
「私も同感ですね」
吐き捨て、
切り返しの早さ、弾道のラインは正確だった。本来なら問題なく命中している攻撃だ。仕掛けた当人も疑ってはいない。
しかし、グラナートは受け止めていたアビスをこれまでに使ってきた得物のように振って、あっさりと自身を犯そうとする銃弾を全て払いのけた。
「…なるほど。確かに、これまでの奴らとは違うようですね」
今まで通りの吸血鬼を相手にしていれば、既に勝負は完了している。デストロイの一撃によって今頃地面を舐めているところだ。
「そっちこそ、何者なのかな?」
グラナートの左手からアビスがずり落ち、カランと音を立てる。エスポリに仕込んだ毒素が回り始めたようだ。ただ、これまでの戦闘記録を遡るに毒素が通常の吸血鬼と同じ効力を発揮するかどうかは分からない。現在目の前にある弱体化している姿も芝居かもしれない。
「見ての通り、ただの人ですよ」
抑揚のない、マシンが読み上げるような声音で
「アハハ‼わたしと戦える人間なんているわけじゃん‼」
「ここに実在するんですがねぇ…」
過熱するグラナートに対して
「じゃあ、その化けの皮を剝がしてみよっか」
残った右手を使って剣を抜くとグラナートは走り出そうとする。
変化があったのは、直後だった。
グラナートの体が崩れ落ちる。さっきまでとは打って変わって強い態度はまるでなく、弱々しい。一気に呼吸が荒くなる。
興奮で赤みを帯びていた顔色は一転して死人の如く真っ白になり、大量の脂汗が噴き出ている。大きく見開かれている翠眼は先ほどまでのぎらつきはなく、苦悶に満ちている。
毒素が作用している症状ではない。
「ア…アアアアアア‼」
地面に倒れた剣が大きな音を立てる。握っていた右手は左手に添えられる。まるで心臓に何らかの負担が掛かっているように見える。
「殺しますか?」
後ろからスタスタと副隊長の
月明かりを反射する銀色で大きさは大砲の砲身と同程度の大きさだ。蓋を取るとプシューっという音を立て、内に納められていた武装を右手に装備する。
「そうしましょう。この機会を逃すわけにはいきません」
本来の
先端に付いたブレード、殆どの幅を締める砲身は簡単に手放せないよう右腕に自動で固定される。
「残っている全員で奴を囲んでください。一気に畳みかけます」
通信機越しに短い殺害命令を伝える。
ここは少なからず判断に迷うところだろう。
しかし、これだけ上位にある吸血鬼を仕留めるチャンスは滅多に巡ってはこない。
サンプルとしても、あの吸血鬼を抑える意義はある。
「させませんよ」
頭上から声が聞こえ、舞う影が視界に入る。咄嗟に
次に現れた女は戦いに不向きなドレス姿だ。剣を持つ貴婦人とも言えるその姿は肖像画から出てきたように見える。
裾を翻し、切っ先を天長たちに向ける。
「死にたい者たちから、どうぞ」
ウェーブがかったワインレッドのロングヘア、目も眩むほどに鮮やかな赤いドレス。凛とした佇まいはお世辞抜きに賛辞したくなるぐらいには美しい。タレ目気味の青い瞳で少し迫力には欠ける。
更に後から2人が続く。空気がさっき以上に張り詰める。
「次から次に…」
溜息をつきながら
姫川、それから見覚えのない少年がこちらに向かってくる姿が目に入った。
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