第92話 エピローグ(九竜サイド+黒子サイド+吸血鬼サイド)
集合時間まではあと20分ほどだ。端末を弄っているとあと少しで到着するという馬淵からの通知があった。返信を済ませるとポケットに仕舞った。
天気は快晴もいいところで雲1つない。
ジージーとうるさく鳴く蝉の声、肌に纏わりつく湿気の多い空気は夏という季節の叫びのように感じられる。
日影に避難すると買っておいた炭酸水のキャップを開けた。プシュッという間の抜けた音が妙に心地よかった。
あの日、吸血鬼を殺したオレは翌々日まで寝ていた。疲労困憊だったらしい。
後日、葵たちにその働きを褒められた。芥子川からも一言お褒めの言葉を頂戴することになった。
前回のときとは違って
喜ぶべきところだったのだろうが、素直に喜んでいいのか分からず愛想笑いが限界だった。
二度目とはいえ、殺しという行為で得た栄光を喜ぶ気にはなれなかったからだ。
「お待たせ!」
思考の海に漂っていたオレの意識を引き上げるように声が聞こえて顔を上げた。馬淵の姿が目に入った。
あの日とは違って白いシャツに黒のワイドパンツだ。ポニーテールに纏めた銀髪とスニーカーが活発な印象を与える。
本当は予定通りに行いたかったが、オレの予定が二転三転と転げに転げまわったせいで中々に決まらずに結局のところ8月のラストにまでもつれ込む事態になった。そのせいもあってか服装にやたらと気合が入っているように見える。
とりあえず、見惚れた。言葉でどのように言い表せばいいか分からないぐらいに可愛かった。自分でも呆れるぐらいには、惚れているらしい。
「どうかした?」
首をかしげて尋ねられ、我に返った。
「いや、何でもない」
誤魔化すだけで精一杯だった。
「じゃ、行こっか」
差し伸べられる白い手。握ろうと伸ばしたところで止まった。
穢れのない白い手に対して朱く汚れた手。
何をしようとしているんだともう1人の自分がいる。
誰かを殺しておいて、自分だけ幸せになろうとしているんだ。
囁きかける声音に進む手が止まる。
触れたところで何もないことは分かっているのだが、自分の朱が彼女の手を汚してしまうのではないかと思えてしまうのだ。
「もう!ちんたらしない!」
そんなオレの心配をよそに馬淵はオレの手を握った。振りほどく暇なんてなかった。
ふくれっ面をした彼女の顔は、天使か女神のように光り輝いていた。
ーオレは、彼女とずっと一緒に居てもいいのだろうか?
♥
コンコンと扉をノックする音が聞こえ、「どうぞ」と黒子は返した。
「失礼します」
そう言いながら部屋に入ってきたのは
直立不動に背筋を伸ばした姿は威風堂々としていて相も変わらず自信に溢れているように思える。前回の戦闘では重傷とはいかないまでも負傷したと聞いていたが、そこまでは酷くないようだ。
体に目立つ傷はない。顔に多少の絆創膏やガーゼが目立つ程度だ。
しかし、いつもの好青年を思わせる精悍な顔立ちは全くなく何処か影があるように感じられる。
立ったままという訳にもいかないため黒子は丸椅子の上に置いてあった書類をデスクの上に置いて昼間に提供した。
「紅茶でよかった?」
「いえ、お構いなく。すぐに済みますから」
断りを入れた昼間だったが、黒子は無視した。目は真剣そのもので、声音はいつもよりも妙に低く聞こえた。何もないと考える方が不自然だろう。
テーブルを挟んで座る。ただ、両者とも口を開かずに時計のコチコチという音だけが部屋を流れる。
「ふぅ…」と小さく息を吐いて昼間が口を開く気配を見せる。気合を入れるように紅茶を一息で飲み干す。
「自分にもっと強力な装備を下さい」
テーブルを挟んで話し合っていたら「ゴンッ」という音がするであろうほどの勢いで昼間が頭を下げた。
「どうして?」
白熱している昼間に足して黒子は努めて冷静に対応する。
「もっと、強くなりたいんです」
「理由を聞かせてくれるかしら?」
知ったところでゴーサインを出すつもりは最初からない。これ以上のスペックを要求しだせば人間に耐えられる領域を超えることになるからだ。ただ、このことを説明しても彼が納得するかと問われると、確証は持てない。
「強くならなきゃ、強くならなきゃいけないんです」
「小紫が死んだことがそんなにショック?」
「許せると、思いますか?」
闇がある。瞳の奥にどす黒い臭気を放つ泥が蟠っている。ひとたび火が付いてしまうと、消すことが出来ないもの。
「戦争に許す、許さないなんてあると思う?」
さっきよりも冷たく返す。こういう手合いは見飽きているし、どういう末路を辿るかも嫌というほどに知っている。
「あると思ってます」
怒りを抑えるように拳を握り締める。
「残念ながら、私は無いと思ってる」
自分が今欲しい答えを貰えなかったからか昼間の顔が険しくなる。
「博士が、吸血鬼だからですか?」
普段ならこの程度の言葉を聞き流している。黒子にとっては些末なことでしかない。度し難いのは、自分に溺れている昼間の態度は気に入らないからだ。
「どうだっていいのよ。私にとってね」
黒のストッキングに包まれた美脚を組みかえて黒子は言葉を続ける。
「正義、愛、温情。耳障りのいい言葉だけど、結局はそれだけ。あくまで私の意見だけど、心底下らない」
黒子の言葉に昼間は茫然としている。まるでこの世の存在を認識していると思っていないようだ。
「当たり前じゃない?酔いしれているのは、当人とその周りの奴らだけなんだから」
尤もあのチームは誰かの願望なんかに当てられる者が誰1人として存在するとは思えないが。
「今の君は仮に力を手に入れたとしても振り回されるだけよ」
話はこれで終了と言わんばかりに黒子は立ち上がって扉を開く。
「…今日はありがとうございました」
トボトボと昼間は諦めたように部屋を出て行く。誰も居なくなった部屋はコチコチと時計の針が動く音が虚しく消える。
♥
「以上です」
「分かりました。下がって結構ですよ。ヴェローナ」
エウリッピは自身の副官の報告を聞き終えるとチェアに身を沈める。
結末は予想通りだった。とはいえ、カルナを捕えられないまでも一矢報いて果てると思っていただけに期待外れもいいところだ。思わず手にしていたグラスに罅を入れてしまった。
「どうしたの?」
そんな不穏な音を耳にしたグラナートがベッドの上から身を乗り出す。
普段は丁寧に編み込んでいる美しいブロンドは解かれている。毛量も相まって獅子の
「何でもないわ」
罅の入っていない側を見えるようにテーブルの上に置いてエウリッピはベッドに移る。
「誰か死んだの?」
ニヤニヤとグラナートが尋ねる。
「ポルリルーが死んだわ」
「ふーん。そうなんだ」
自分で聞いておきながらグラナートは興味なさげだ。実際に興味などないのだろう。
「女王なら、ちょっとは心配してもいいんじゃない?」
「何で?」
グラナートは纏っていた純白のローブを脱ぎ捨て、エウリッピの胸に飛び込む。すべすべの純白の柔肌がローブ越しに伝わってくる。
「どうでもいいじゃん。わたしたち3人だけいれば…」
グラナートの勢いに任せるままに、エウリッピは身を委ねる。彼女の指が髪の感触を確かめるように間を潜り抜けていく。次に纏っているローブにグラナートの手が伸びる。
「いい?」と上目遣いに尋ねる。別に許可を取る必要はないのだが、彼女なりの礼儀ということだろう。
「構わないわよ」
許可を出すとさっきまでの遠慮がちだった姿勢は何処へやらと聞きたくなるほどに勢い良く、ローブを解いてエウリッピの肌を白日の下に晒し、豊満な乳房に顔をうずめる。小さな子どもか年の離れた妹を思わせるグラナートの頭を丁寧に撫でる。
安心できるように、孤独ではないと刷り込むように、夢幻の彼方へと追いやる。
彼女への愛おしさからではなく、罪悪感から生じたものだと悟らせないように。
グラナートが吐息を立て、眠りに落ちたことを確認するとエウリッピは立ち上がる。
起きないように、慎重に体を逸らしていく。思った以上に気を遣う。
ローブをグラナートに被せ、エウリッピは普段使いのドレスを着る。仕事が終わってはいないからだ。
部屋に入り、執務机の上に整理された封筒を手に取る。
先だってヴェローナが用意してくれたものだが、その中の1つである『メルクリウスキューブ』と書かれた物にエウリッピの目が釘付けになる。
手に取り、封を解く。
目が痛くなりそうなほどの大量の文字の羅列。
しかし、読んでいるうちに感情が高ぶる。普段は露にしないように抑え込んでいるだけに、一度栓が外れると我慢が出来なかった。
―これで、勝てる。
天からの啓示。
ようやく、全てを取り戻せる。
口元が歪み、高笑いが部屋に木霊した。
♥
今回にて『イノセンス・V アマルガムの繭(前編)』は終了になります。
ハードで残虐、重苦しいことこの上ない拙作にお付き合いいただき感謝以外の言葉がありません!
本当にありがとうございます!!
以降は『イノセンス・V アマルガムの繭(後編)』に突入します!!
序盤から前半より危機的な展開を迎えることになります!!
九竜たちはどのように乗り越えるのか?吸血鬼たちは何を仕掛けてくるのか?
お楽しみください!!!
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