第62話 離別19(小紫サイド)

 刺した直後に刀身が分裂し、発生した触手か紐のようなものに射出した『屍喰しぐらい』が弾かれた。取っておきたかった最終手段もこれで使えなくなった。これ以上の維持が無理だと判断した甘楽は下賜ギフトを解除した。

 漏れ出ていた緑光が収まり、刀身が元に戻る。それと裏腹に眼前で起こる変化は激しくなる。


 何が起きているのか甘楽は理解できない。待ちぼうけを食らうが、吐き気を始めに体に起きた不調を治めるには都合が良いとポジティブに受け止めた。

 ただ、突如として発生したその物体は収まりかけていた吐き気を再び込み上げさせる。どれほど前向きにとらえようとしたところで、受け止められない。

 残虐で悪辣、軽蔑や嫌悪感を抱く描写は幾度もあった。だが、いま目にしている光景はどれにも当てはまらない。

 生理的嫌悪。根源から絶対的に本能が受け入れることの出来ないもの。それが目の前にある。

 卵、繭。目の前にある蠢く球体を言い表すなら、そんな言葉がピッタリだろう。どちらかと言えば後者か。表面を蠢く血管のような物体のように床にも張り巡らされている。

 初めての感覚だった。抑えるために唇を噛みしめ、痛みで誤魔化す。

 体感で3分ぐらいだろうか。皮膜が内側から破られた。

 内側からは色素を薄めた血のような液体がザバッと溢れ出る。見ようによっては孵化に見えなくもない。そこから這い出てくるのは可愛らしい雛鳥などではなく悍ましい怪物であるが。


「悪いな。あまり慣れていないんだ」

 見た瞬間に、恐怖した。

 生存本能が全力でこの場から逃げ出せと訴えている。見た目も雰囲気も完全に別人だ。

 水の滴るウルフカットの赤褐色の髪型は変わらずだが、瞳の色は青から鮮血の如き赤に変わっている。更にスーツは黒を基調とした鋭角の鎧に変化している。尤も動きやすさを重視しているのか必要個所のみの装備という感じで肘より下部分と膝から下、胸部から腹部にかけてと限定的である。また得物も変化している。

 右手に装備しているのはドリルかランスか形容しがたいオブジェクト。鎧同様に黒鉄色に赤いラインで縁取りがしてある。見ているだけで危険だと伝わってくる。左手には鉤爪が装備されている。

 見た目からして油断はしていけないと教えてくれるよい教本だ。


「始めるか」

 サードニクスがオブジェクトを構える。ビーム兵器を撃っても不思議ではない素振りだ。

 甘楽は中段に構える。

 状況は逆転している。そう認めざるを得ない。いや、実態はもっと悲惨かもしれない。冷汗が顎先から落ちる。

 サードニクスの姿が消えた。よそ見をしていたわけではない。文字通りに消えた。

 気が付いたときには、か細い悲鳴が聞こえた。視線を聞こえた方に少し逸らすと、九竜くりゅうが倒れている姿が目に入った。

 何が起きたのか、分からない。

 ―瞬間移動?神速?

 あり得ない超常の現象を目の当たりにしたせいで正常な判断力が奪われる。


「驚きすぎだぜ?お楽しみはこっからなんだ」

 いつの間にか、真下にいた。オブジェクトを突き出して仕留めようとしている。

 咄嗟に防御態勢を取る。だが、サードニクスの出力は前とは比にならないほど上昇していてガードごと吹き飛ばされる。

「今のは受けるところだろ?」

 腹部に手を当てるとグローブが少し濡れる。僅かではあるが攻撃が当たったようだ。

 誤算だ。悲惨どころの話ではない。

 勝ち目が全くない。0にも満たない。もう一度『屍喰しぐらい』を使っても相打ちに持っていく以外に方法が無い。しかも、攪乱の九竜くりゅうを真っ先に潰されてしまった。

 彼と揃って生きて帰れる可能性は、いくら積み増してもマイナスからプラスに移行することが無いほどに絶望的な開きがある。

「この姿になるからには一撃で仕留めないと満足できないんだよ」

 オブジェクトを愛おしそうにサードニクスは撫でて嗜虐的な笑みを浮かべる。

「おかげで命拾いしましたね」

 甘楽の虚勢をサードニクスは鼻で笑う。

「面白いことを言うな。本気でそう思っているのか?」

 再びサードニクスの姿が消える。

「遅いな」

 声が聞こえたときには背後を取られていた。

「悪いが、もう遊ぶつもりはないんだよ」

 再び防御に移ろうとしたところで間に合わず、後ろから肝臓付近をオブジェクトに貫かれた。


                   ♥


 床が冷たい。目を開けると、黒い世界が白に変わる。

 自分に何が起きたのかを理解し、オレは顔を上げる。そして、地獄を目の当たりにした。

 小紫がサードニクスに貫かれていた。


 夢。悪い夢だとオレは思いこもうとした。現実などではないのだと思おうとした。直後に目の当たりにしているものが、噓偽りのない現実なのだと思い知る。

 下腹部が痛んだ。自分に何が起きたのかまでは分からなかったが、攻撃を受けたことだけは確実なようだ。

 抜かれたあのランスのようなものに大量の血が付着している。それだけではなく、小紫の足元に血だまりが形成されつつある。


 言葉が出ない。あれほど強かった小紫が成す術なく敗北してしまったからか。恐怖で脳が停止してしまったからなのかは分からない。

「さて、次はお前だ」

 サードニクスが歩む音が聞こえる。

 金属の音とは少し違う音。どうでもいいことを今更になって頭の中で分析する。

 オレ自身、動くことはままならない。小紫より重くない傷とはいえダメージを負っている。

 血が止まらない。どうすればいいのか分からない。何をすればいいのか、言えばいいのか分からない。

 何か手を考えなければと思うも、そんな猶予は残されていない。

「どうした?先輩の仇討ちをするチャンスだぜ?」


 目の前にいるのは…何だ?

 顔を上げると、目が合う。

 目の前にいるのは、逃れようのない死。

 目と鼻の先で止まる。わざわざご丁寧に攻撃を当ててみろと言わんばかりに。

 サードニクスの顔が吐息の届くところにまで迫る。赤い瞳が、映画で見た本物の吸血鬼のように見える。

「お前に言ったところで仕方のない話だが、少しは力の差を理解できたか?」

 橙木とおのぎの言っていた言葉か。確かにオレ自身には関係のない言葉だ。

「残念だ。もう少しは楽しめるかと…」

 そこまで言いかけたところでサードニクスの顔が離れ、後ろに向く。オレも釣られて視線が動く。

「驚いたな。急所は確かに破壊したはずだが」


 今にも崩れそうな姿勢で小紫が立っている。下腹部は自身の血で濡れ、顔色は青白い。目にも力はない。

るなら…。胸を狙う…べきでしたね」

 息も絶え絶えの状態で小紫が言う。

「次からはそうしよう。二度あることは三度あるらしいからな」

 サードニクスがオレから離れていき、攻撃目標を小紫にのみ集中する。

 背後から襲えばチャンスはあるかと頭によぎり、その可能性を抹消する。小紫ほどの使い手がここまで一方的にやられてしまった以上、オレの攻撃など通用するはずもない。

 それでも。このタイミングを無駄には出来ないと、オレは立ち上がろうとする。だが、体は思うように動かない。

九竜くりゅう…」

 立ち上がろうと悪戦苦闘していたところで、か細い小紫の声が聞こえた。

「命令…忘れないで…」

 耳を疑った。もう助からないであることは当人が一番理解できているだろう。

 だとしても、自分を捨て石にする理由が分からない。


 どれほど元気な人間でも呆気なく死ぬことを知っている。

 死がどれほど恐ろしいものか知っている。

 人がどう死ぬか知っている。

 目の前で、消したくても消せない絶望が起きている。

 本当は、オレが肩代わりしなければならないことを、オレと関わったがばかりに小紫が背負ってしまっている。

「こんなときにまで…何を、…何を言ってるんだ‼」

 先走った自分の言葉にハッとして震えながら小紫の顔を見る。


 こんな絶望的な状況で、自分の死が確定している状況で、笑っている。

 折れそうだったオレを導いてくれたときと変わらない安心させるような顔。

 気にしなくていい。背負わなくていい。覚えてなくていい。そんな顔。

「来た…れ。『屍喰しぐらい』…」

 最初と同じように太刀が変形する。毒々しく漏れ出る緑色は小紫の残り少ない時間を食らっているように見える。

「1つだけ…追加…です」

 覚束ない動作で霞に構える。最早まともに相手をするつもりはないのかサードニクスはその様子を見ているだけで止めようとしない。

「最後まで…」

 その言葉と共に刀身が伸びる。

 避けることもせずにランスを突き出す。だが、刀身を目にするやサードニクスは飛び上がる。更に腕部と脚部の鎧から赤い光が噴出される。

「人間にしては楽しめたぜ」

 推進力を爆発的に増強したその突撃の元に繰り出された切っ先が、小紫の胸を貫いた。


                  ♥


 散々人を殺しておいて未練がましいとはこういうことだろうと思う。

 私は自分の人生というものに意味を見出したことが無い。

 生きている理由、生まれた理由、存在している理由。何を取っても自分というものを証明する手段を持っていなかった。

 だから、演者であることを選べたのだと思う。


 私には確固たる存在理由がなかったから周りにとって都合のいい人間、求められる人間を演じることが出来た。初めから壊れていたが故に出来た所業、それが私という人間の正体。


 だから、自分からこの地獄に足を踏み入れよとしている彼には無性に腹が立った。

 帰る場所がある、待っている人がいる、自分を持ちながら役目を果たすことが出来ている。


 見当はずれの八つ当たり。自分で自分の道を定めながら傷心者に嫉妬するなど余りにも情けないことだと分かっている。

 だから、生きて欲しい。抗って欲しい。諦めないで欲しい。

 彼の全てを否定したいから。


                   ♥


 太刀が手からするりと落ちる。

 見えてはいない。聞こえていない。

 もう、見ることは叶わない。

 目の前にサードニクスがいるということは分かるが、感覚器官がまともに機能しないほどに体がズタズタになってしまったようだ。

 声も出ない。そんな当たり前のない行動すらとれない。

 言いたいことは言えなかった。

 嫌い、否定、甘ちゃん。何1つとして感情に任せてぶつけることは出来なかった。

 それも、自分らしさだろうか。


 ―結局、私は…何になれたのかな。

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