第14話 闇夜12B(九竜サイド)
射撃が終わったあとは座学の時間だ。頭は使うが、酷使に酷使を重ねた体をこれ以上痛めつけないで済むと考えるだけでも十分に気が楽だった。
「さて、始めよう」
部屋に入って来るなり上梨はこれまでと同じで前置きなしに始めようとした。使っている部屋は昼食を摂った部屋だ。本と紙を一面に広げたテーブルは食卓から一転して勉強机に変わった。オレが本を開こうとしたところで上梨は止める。
「今日は使わん。これから私が言うことを書き留めろ」
断りを入れると上梨は喋り出す。話す速度は速く書き留めるだけで手一杯だった。
『指揮官が果たすべき義務は何か?』というのが書き留めた内容だった。
漠然としていて要領を掴めない問題だ。決まった答えがあるのか分からずオレは上梨の顔を見る。
「お前が考えた答えなら何でもいい。思いついたことを書くように」
聞くや否やオレは鉛筆を手に取って問題に向き合う。
頭に入っている指揮官のイメージは味方を勝利に導くこと。それ以外では部下を管理することだ。だが、こんな答えでは納得などしない。頭を更に回転させて答えを求める。
ーどれが正解だ?
納得できるだけの答えは出ない。唸っている間に時間は消えていく。頭の中に砂時計がサラサラと落ちていく図が浮かぶ。正面にいる上梨の眼光もより強くなっているように思えて焦燥が募る。
ー仕方ないか。
諦めてオレは関係していることを思いつくだけ紙面に書きなぐる。その作業を続けるうちに答えとして纏まっていく。
「出来ました」オレは上梨に答えを渡す。何も言わずに彼は紙面に目を走らせる。
書いた答えは「恐れられること」とだけ書き込んだ。
「何故、この答えを書いた?」
ここを答えられなければ折檻されるだろうことは予想できる。解答だけではなく過程まで求められることは何となく予想出来ていた。
「指揮官の務めが勝利を導く必要がある以上は部下を統率する必要があります」
オレが一呼吸を置くと上梨に「続けろ」と促される。
「その上で問題になることは手段です。部下に甘く見られてはいけない。この前提があるため恐怖される必要があります。だが、剣を振るうのは規律を破った者に限定すべきです。手当たり次第に行えば逆効果になります」
「相違ないな?」
「…はい」とオレは内心ドギマギしながら頷いた。間違っていないと言葉が返ってくるまでの時間が大して経過していないにもかかわらず過ぎる時間が何倍にも感じられる。
「悪くない。何処で勉強した?」
「本を読んで…」
「変わり者だな。そんな物をその齢で読んでいるなど」
驚きの言葉を発してはいるが表情は驚いているように見えない。
「姉に言われて…。まあ、その無理やり…」
「その姉も変わっているな。よほど勉強熱心なのか?」
「勉強熱心というか…。過保護なんですよね」
百葉の話に飛び火してオレは少し言葉に詰まった。
「いい姉だな。お前のことを大切に思っているらしい」
「そうなんでしょうね」
自分事なのにオレは他人事のように答える。
「お前は姉のことをどう思っている?」
「大切に思ってます。…最後の家族ですから」
言った後で失言だと気づき、慌てて上梨の方を見る。
「聞いてほしいか?」
彼の言葉にオレは首を振って否定する。
「1つ忠告しておこう。お前の傷が何なのか私は何も知らん。だが、隠し切れないのなら隠さないことだ」
一呼吸を挟んで話を続ける。
「傷は治療をしなければ化膿する。それは命を蝕むことになるだろう。中途半端にするというのは己を死地に送り込むだけだ」
「それは、教訓ですか?」
「好きに受け取るといい」
アラームが鳴ると上梨は立ち上がった。
最後は実戦形式の模擬戦だ。オレと上梨の双方が木刀を構えて向き合う。
勝利条件は一撃を決めればいいだけでルールは特にない。真正面から挑むもよし、地形を使った搦手を使うもよし。武器も問わずどれだけ持ち込んでもいい。禁止されていることは模擬戦の時間外に罠を仕掛けることぐらいだ。因みに制限時間は30分と他に比べると短く設定されている。
「いつでも来い」
上梨は仕掛けるつもりはないらしく木刀を中段に構えたまま動かない。オレは大きく振りかぶりつつ前に出た。だが、あっさりと回避されて足を打たれる。威力は抑えているようで昨日の折檻に比べればマシだった。
「直線的すぎる。もう少しフェイクを利かせろ」
アドバイスは有難く受け取ることにしても大人しく今聞くのは得策とは思えない。
再び中段に構えて攻撃の隙を伺っているように見せかける。漠然と頭で描いていた通りに上梨との間にある実力差は埋めようがない。馬鹿正直に真正面から仕掛け続けても一本を取ることは出来ない。
「どうした?まだ終わりではないだろう?」
容姿と釣り合わない品のない挑発も淡々としていて苛立ちを煽ってくる。それに乗るなと言い聞かせて抑え込む。
考える。正面からぶつかって勝つことが出来ない以上は搦手を使う以外に他はない。上梨もオレがそう行動するように誘導している。
周囲に視線を巡らせる。庭に使えそうな道具は何もない。更に外側には何かないかを考える。外の物を使ってはいけないとは言われていない。命令を唯々諾々と聞いているだけではここの戦いを乗り切れないことは葵とのやり取り、上梨に加えられた折檻で分かっている。
しかし、1日も経過していない頭で地形やその他に存在するオブジェクトを把握することなど出来ない。
「来ないのなら、こちらから行くぞ」
上梨が一歩を踏み出す。構えを解いて迫って来るだけだが、体から滲み出る威圧感が確かな形になった気がした。オレは防ごうと構えるが、気休め程度の役目しか果たせなかった。
気づいたときには手足、腹部に強烈な痛みが走って立つことが出来なかった。土の冷たさが肌に伝わってくる。
「もう終わりか?」
首を掴まれる。骨ばった手は力強く殺意があればオレの首など一撃でへし折れるだろうと思えるほどの強さがあった。
オレはまだ自由の利く手に土を握って上梨にぶつけた。のしかかっていた体重が軽くなって拘束が緩まる。この隙を逃さずにオレは上梨を蹴り飛ばし、木刀による突きによる一気で仕留めようとした。
あと少しで届く。だが、視覚を奪ったにもかかわらず上梨は予備動作もなしにオレの一撃を弾かれて直後に殴り飛ばされた。今度は手加減なしの一撃だった。
「殺すつもりでやったか?」
突然の問いかけにオレは答えられなかった。完全に予期していなかった質問だ。
「お前は情けを与えられるほどに強いか?」
「難しいことは聞いていない」
問いかける声は圧力を増す。唇と頬を抑える手が震えた。
「…躊躇いました」
「お前は何様だ?敵に情けをかけられるほどの強さを持っているのか?」
立ち上がると上梨は木刀を拾ってこちらに投げ渡してきた。
「続きは明日だ」
この一言で初日のトレーニングは幕を閉じた。
♥
夕餉も上梨の手作りで昼とは逆に豆腐や野菜が中心だった。食べ終わると歯を磨いてから茶を飲んで風呂に入った。
浴室は石張りになっていて自宅のものと大して変わらない雰囲気でホッとした。
体を動かすたびに節々が痛んだが、湯の温かさは疲れた体にはこれ以上ないほどの薬になった。幸いなことに生傷は殆ど出来なかったが、以降は増え続けるだろう。そのことを考えると気分が沈んだ。
あっという間だった。頭の片隅では出来ないと思っている自分もいたが、ギリギリではあっても実際にやってのけることが出来たという事実は確かな自信になった。
吸血鬼。空想の存在。頭では未だにそう記録されている。それが現実のものであると告げられ、認識のアップデートを迫られている。戦う以上は改めなければならないことは分かっている。だが、3日程度しか経過していない中で認識のアップデートは不可能に近い。
そもそも、人間が戦って太刀打ちできるのか疑問がある。加えて組織にも何かきな臭さを拭えない。オレがまだ気づいてないだけで色々とあるように思う。
自分は正しいことが出来ているのか?そんな漠然とした思いが今朝からずっと頭の片隅に居座っている。誓ったにもかかわらず逃げ出そうと目論む弱い自分が。
オレは顔を湯に突っ込んで余計な思考を無理やり霧散させようとしたが、湯船から飛び出しても消えることはなかった。
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